第4話 魔王は熱を帯びる。

バイトを終え、部屋に戻った俺は机に突っ伏した。


体中がだるくて重い。


だが休んでいる暇はない。




「はぁ……働いて、飯代は確保した。


次は……魔力を回復させるための“いいね”だな」




ノートパソコンを開き、執筆画面を呼び出す。


目の奥がじんわり痛むが、それでも指は動く。


この戦場(小説投稿サイト)で勝つためには、文字を積み上げるしかない。




……今日のことを思い出す。


皿を運び、ドリンクをこぼしそうになり、ヤンキー店長に怒鳴られ。


そのあと夕方からリナがやってきて。




――ポニーテールを揺らして走る姿。


一瞬だけ、勇者の後ろ姿と重なった。




「……似てるな」




口に出して呟いてしまう。


もちろん、剣を振るう姿でもなければ、勇ましい鎧でもない。


ただ髪を後ろで結んでいた、それだけだ。




黒田魔王は机に突っ伏したまま、スマホの画面を指でスライドさせた。


ランキングページを更新する。




「ふん……さて、今日の一位は……」




――そこに表示された名前。




『光瀬ユウ』。




「……また貴様かッ!」




思わず声が漏れる。


昨日も一位、今日も一位。どれだけ更新ボタンを叩いても変わらない。


ランキングの王座に鎮座するその名前は、あの日読んだ時の衝撃を思い出させた。




(勇者ユウ……いや、光瀬ユウ。昨日は偶然だと思っていたが……こうまで毎回、同じ女の名を見るとなると……)




魔王の胸中にざわりとした焦燥が広がる。


一位を守り続けるその存在は、やはり只者ではない。




「ふん。まさか本当に勇者本人……いや、待て。落ち着け、余よ。昨日も考えたではないか。これは偶然、偶然に過ぎぬ……」




と、自分に言い聞かせるが、スクロールする手は止まらなかった。


表示される描写の数々は――血の匂い、兵士たちの断末魔、剣の軌跡。どれも、あの戦場を知る者でなければ書けない。




(……っ、やはり……! いや、違う! 断定はできぬ!)




魔王は布団に顔を埋め、ぐるぐると転がった。


六畳一間の部屋に「うおおおお!」という呻き声が響く。




「認めぬぞ! 余は……余は認めぬ! が、しかし……! あの文体、余を描写したあのくだり……あれは余だろうがぁぁぁぁ!」




――沈黙。




天井を見つめながら、魔王は力なく呟いた。




「……光瀬ユウ。お主、余を試しておるな……。昨日に続いて今日も一位とは……余を挑発しているとしか思えぬ……」




スマホを握る手が小刻みに震えた。


それは怒りか、恐れか、あるいはほんの少しの――高揚感か。






机の上の古びたノートパソコンを開き、クロタ マオはじっと画面を睨んでいた。


表示されているのは――自分の投稿した処女作。




『魔王の敗北譚 〜異世界の頂点から転落した俺〜』


 ☆いいね:23 ☆ブックマーク:7




「……ふん」




鼻を鳴らす。


23のいいね、7つのブックマーク。


それは数字だけ見れば取るに足らないものかもしれぬ。


しかし、ゼロではない。七つもの人間が、余の物語を「続きを読みたい」と思ったのだ。




「……七人の忠誠者、か。悪くない。昨日の余の断末魔に、心を震わせた者が確かにおるのだな」




胸の奥に奇妙な高揚が灯る。


戦場で軍旗が翻ったときのような昂ぶり。




だが同時に、スマホを開けば目に入る。


ランキング一位に輝く「光瀬ユウ」の名前。




「……また貴様か」




昨日も今日も、変わらぬ頂点。


勇者本人かどうかはまだ断定できぬ。だが、あの文章に宿っていた戦場の臨場感、勇者ユウそのものの剣筋――あれを読んだ時の胸のざわめきは忘れられぬ。




(ならば……余も続けねばなるまい。余の敗北を描くだけでは足りぬ。そこから始まる物語を、奴に叩きつけてやる!)




クロタ マオは両手をキーボードに置いた。


昨日の一話目――「敗北譚」の終わりから、続きを書き始める。




カタ、カタ、カタ……




『魔王が敗れ、ただの影となり果てたその後の話だ。』




指が動き出す。


それは戦場で剣を振るうように、流れるように。


時に止まり、うなり、また進む。




「……ふ、余は語れる。敗北の先に何を見たかを。勇者ユウよ、見ているがよい。貴様の物語が血と光なら、余の物語は闇と誇りだ」




そう呟くと、口元に自然と笑みが浮かんだ。


画面に映るのは、異世界から追放され、転落した魔王の新たな日々――それは、今のクロタ マオ自身の姿とも重なっていく。




「ふはははは……よいぞ! これはもう余自身の生き様よ!」




勢いに任せて数時間、クロタ マオは打ち続けた。


六畳一間に響くのは、カタカタというキーボードの打鍵音のみ。


その様子は、かつて覇王と呼ばれた存在が新たな戦場に立った瞬間だった。




クロタ マオは二話目を投稿し、胸を張ってランキングを確認した。




一位:光瀬ユウ『光瀬ユウの異界戦記』


二位以下:名前も知らぬ凡百の作家たち




「……ぬぅ。やはり動かぬか」




画面に表示されたタイトルは、煌々と輝いている。


“異界戦記”――その言葉の響きは、クロタの胸をざわつかせた。




「……異界、戦記。あれはまるで……余と勇者が刃を交わした日々のことではないか。なぜだ……なぜ奴は、あのように余の記憶に似た話を……」




震える手でスクロールを進める。


レビュー欄には称賛の嵐。


「戦闘描写が本物すぎる!」「作者は転生者じゃね?」と冗談めかしたコメントすらある。




「ぐぬぬ……。余が“敗北譚”をしたためる間に、奴は“戦記”を紡ぐか。これではまるで……勇者と魔王そのものではないか」




クロタ マオは机に肘をつき、ノートパソコンの画面を見つめていた。


三話目を投稿した翌日。


気になるのは、やはり――読者の反応だ。




『魔王の敗北譚 〜異世界の頂点から転落した俺〜』


 ☆いいね:34(+7)


 ☆ブックマーク:15(+5)




「……ほぅ」




昨日よりも数字は確かに伸びている。


そして、レビュー欄には数件の感想が書き込まれていた。




『魔王視点の物語って新鮮。続きが気になる』


『最初はネタっぽいと思ったけど、描写がリアルで不思議とハマる』


『勇者との戦いのシーン、迫力があって好き』




クロタはその一文一文に目を通し、胸の奥が熱くなるのを感じた。




「……ふ、ふふふ……! ようやく余の真価に気づいたか、凡百の人間ども!」




声を押し殺しながらも笑みがこぼれる。


これはただの数字ではない。


かつて軍勢を率いたときのように、“確かに従う者が増えていく”感覚。




「これが……いいね、ブックマーク、そしてレビュー……! 小説家の世界における、兵力に等しいものか!」




スマホに表示されるランキングに目をやる。


一位は依然として光瀬ユウ『光瀬ユウの異界戦記』。


レビューの数は桁違い、コメント欄は祭りのように賑わっている。




「……まだ遠い。だが……余の歩みも確かに始まった」




赤い瞳に決意の光を宿し、クロタは再びキーボードに手を伸ばした。

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