第18話 信じる※ロデリック視点

「ありがとうございます、ロデリック様」


 彼女は、俺の手を取って、何度も頭を下げた。


 その仕草が、いじらしくて可愛らしい。小さな手が、俺の手を握る。彼女の体温が伝わってきて、その気持ちも理解した気がする。本当に反省しているんだろう。


 俺は、正しい選択をしたと思える。この子は、本当に良い子なんだ。今回がたまたま、ちょっと失敗してしまっただけ。運が悪かっただけ。誰にでも、失敗はある。


 父も母も、他の者達も、今回の結果だけを見て判断している。だけど、俺は違う。俺は、イザベラの本質を見抜いている。彼女の優しさ、努力、才能——それらを、ちゃんと理解している。


「それで、今回の失敗の原因だが、どうしてこうなったと思う? 何か、思い当たることはあるか?」


 俺は、彼女の肩に優しく手を置いて尋ねた。今回の失敗を糧にして、次は成功してもらいたいから。原因を探って、次に活かしてもらうために。失敗から学ぶことが、成長には必要だ。


 イザベラは、少し考えるような仕草をしてから、申し訳なさそうに口を開いた。目を伏せて、唇を噛んで、何かを言いにくそうにしている。


「実は……準備の段階で、私が無理を言い過ぎたせいかもしれません」

「無理?」

「はい」


 イザベラは、小さく頷いた。


「色々な新しい試みをしたかったので、スタッフたちに沢山のお願いをしました。噴水の設置、異国料理の用意、流行の音楽……どれも前例のないことばかりで。そうしたら……彼らは、だんだん不機嫌になっていって。私の指示に、あからさまに反抗的な態度を取るようになりました」


 イザベラは、目を伏せた。その表情は、本当に辛そうだ。


「もしかしたら、私に嫌気が差したのかもしれません。それで、わざと手を抜いたのかも……。いえ、きっとそうなんです。だって、あんなに何度も確認したのに、結果はあの有様でしたから」

「なんだって!?」


 俺は、思わず声を上げた。


 パーティーの運営に関わっていたスタッフが、わざと失敗させた? 公爵家に仕える立場でありながら、そんな裏切りを?


「そんなことが……」

「噴水の設置も、業者は『ちゃんと確認した』と言っていたのに、実際には配管に不備があった。料理も、私が指示した通りの香辛料の量じゃなかった気がします。音楽隊も、私が選んだ曲目リストと違う曲を演奏していた気がします。もっと落ち着いた曲を混ぜるように頼んだような記憶もあるんですけれど……」


 イザベラの言葉を聞いて、確かに、と思ってしまう。

 噴水の配管が故障したのは、設置業者の仕事が杜撰だったから。適当に確認して、実際には手抜き工事をしていた。料理が不評だったのは、料理人が指示を無視したから。イザベラの繊細な指示を、無視して勝手にやった。音楽が場に合わなかったのは、音楽隊が勝手に選曲を変えた可能性もあるのか。


 それなら、今回の失敗はイザベラのせいじゃない。


 彼女は、ちゃんと指示を出していた。準備もしていた。だが、実行する側が裏切ったんだ。


 原因は、スタッフたちにあるのかもしれない。


 スタッフたちが、わざと彼女を陥れたんだ。彼女の言うように、要求しすぎたという理由があるかもしれないが、それにしたってこれほどの事態になるまで裏切るのはやり過ぎだろう。


 それが事実なら、イザベラは悪くない。本当の悪者は、スタッフたちだ。裏切り者たちだ。


「あの……もう一つ、気になることが」


 イザベラは、さらに声を潜めた。周りを見回して、誰も聞いていないことを確認してから。


「あのスタッフたちは、過去にお姉様のパーティーの運営にも関わっていたようです」

「セラフィナの?」

「はい。もしかしたら、その繋がりで……」


 イザベラは、言いにくそうに続けた。


「裏でお姉様の指示を受けていたのかも……。お姉様は、私が失敗するのを望んでいるかもしれません。婚約者の座を奪われたことを、恨んでいるのかも」

「まさか!」


 俺は、思わず声を上げた。


 でも、可能性はある。十分に、ありえる。


 婚約を破棄されて、セラフィナは俺達に恨みを持っているのかもしれない。いや、きっと持っているだろう。


 婚約破棄の当てつけに、今回の失敗をセラフィナが仕組んだ、というのか?


 今回のパーティーを失敗させるよう、スタッフに裏で指示を出していたとしたら。


 セラフィナは、パーティー運営のプロだった。スタッフたちを掌握する能力も、人を動かす力も持っていた。彼女なら、裏で糸を引くことも可能だろう。


「なるほど……そういうことか」


 俺は、納得してしまった。全てが繋がった気がした。


 セラフィナなら、やりかねない。いや、十分にあり得る話だ。


 妹から功績を盗んでいたような女だ。嘘をついて、妹の才能を横取りしていた。そんな卑劣な女が、今度は妹を失敗させようと画策していても不思議じゃない。


 今回の失敗は、イザベラのせいじゃない。


 セラフィナが裏で糸を引いていたんだ。


「わかった」


 俺は、きっぱりと言った。決意を込めて、力強く。


「今回の失敗の責任を追求して、スタッフたちは全員解雇する」

「本当ですか!?」


 イザベラの目が、希望の光を取り戻した。輝きが戻ってくる。


「ああ。君を陥れようとした者たちを、このまま雇い続けるわけにはいかない。そもそも失敗するような連中を、公爵家に置いておくわけにはいかない」

「ありがとうございます、ロデリック様!」

「それに、セラフィナと繋がっている可能性もある。それが一番危険だ。いつまた、同じような妨害をされるかわからない。すぐにでも解雇し、スタッフを一新する。新しい、信頼できる人材を集めよう」


 イザベラは、嬉しそうに何度も頷いた。その笑顔を見て、俺の心も軽くなる。


 そうだ、俺は何も間違っていない。


 セラフィナを婚約破棄したのも、イザベラを選んだのも、全部正しい判断だった。


 ただ、今回の状況が悪かっただけ。スタッフが裏切っただけ。セラフィナが邪魔を事前に察知できなかっただけ。イザベラは悪くない。


「また、次を頼む」


 俺は、期待を込めて彼女の肩に手を置いた。


「今回は、状況が悪かった。君の実力を発揮できなかった。それだけのことだ。次は、新しいスタッフで、君の本当の才能を見せてくれ」

「はい……」


 イザベラの声は、まだ少し震えている。でも、希望が戻ってきている。


「次こそは、必ず成功させよう。君の本当の才能を、社交界に見せつけるんだ。卑劣なセラフィナなんかよりずっと優秀だということを、皆に証明するんだ。そうすれば敵意を向けてくるあの女も、きっと悔しがるだろう」

「ロデリック様……」


 イザベラは、感動したように目を潤ませた。涙が、またキラキラと光っている。でも、今度は悲しみの涙じゃない。希望の涙だ。


「ありがとうございます。私、信じてもらえて……本当に嬉しいです。今度は失敗しません。絶対に成功させます。ロデリック様の期待に、必ず応えます」


 その決意に満ちた瞳を見て、俺は確信した。

 

 次は、大丈夫だ。きっと成功する。期待しよう。今回の失敗を取り戻してくれるはず。スタッフを一新すれば、セラフィナの妨害も防げる。そうすれば、イザベラの本当の実力が発揮される。



***



 ロデリックは見逃してしまった。


 問題はスタッフではなく、イザベラ自身の無能さにあることを。


 スタッフたちが「反抗的」だったのは、実現不可能な指示に困惑していたからだということを。


 報告を無視して「わざと手を抜いた」と解釈したことが、どれほど愚かだったかを。


 そして、彼がこの判断によって、さらに深い泥沼へと足を踏み入れることを。


 経験豊富で有能なスタッフを失い、次はもっと悲惨な結果が待っていることを。


 パーティー運営のノウハウを持つ人材を、自分の手で追い出してしまったことを。


 イザベラの嘘と妄想を信じて、さらに大きな過ちを重ねてしまったことを。


 彼が本当に気づくのは、もっと後のことになる。


 全て、手遅れになってから。


 取り返しのつかないところまで、落ちてから。

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