第4話
海灯は秋子が見つけた写真を使って、杏里を脅迫し、借金をチャラにしようと考えている。借金をチャラにしてもらう代わり、秘密を守る。
最初は、杏里との関係も、悪くないと思っていた。エロい体の女とセックスできて、ひそかに贅沢もさせてくれる。
しかし、愛情も何もないセックスは、思っていたよりずっと、空虚なものだった。そして、彼女の独善的なおしゃべりと、承認の強要は、彼の心の奥に、少しずつ、確実に、憎悪を沈殿させていた。
もちろん、3枚の不鮮明な写真だけで、杏里がザラ・カルテルとつながっているとは、言い切れない。しかし、彼女の贅沢、海外移住計画などを合わせて考えると、その可能性は高い。
あと、例のボールペンも、脅迫の材料だ。あの死体は、杏里が殺したものだ、と彼は確信していた。どこの誰で、なぜ殺されたのか、わからないままだが、あのボールペンを見た時の彼女の反応は、怪しすぎる。
それは、「杏里は殺人をいとわない女だ」ということでもある。そう考えると怖い。
しかし、もう、彼女に支配される日々は、うんざりだった。その気持ちが、恐怖より強かった。
今の彼女は、海外逃亡を企てている。それなら、彼を殺すより、借金チャラで済ませた方が、安全で安上がりなはずだ。
それに、『証拠が決定的でない』という点も、逆に彼女に殺されるリスクを減らしてくれる気もする。『このくらいなら、ばらされても、自分が日本の外に出るまでは、秘密が持つかも』と思ってくれるだろう。
今の彼女にとって、彼の借金くらい、はした金のはずだ。
――というように、彼の計画は、ほぼ希望的観測によって成り立っていた。
***
杏里を脅迫する前に、ザラ・カルテルについても、調べてみた。
想像以上に、危険な組織だった。
数あるメキシコのカルテルの中でも、彼女が率いる組織は、もっとも執念深く、もっと残忍だと言われていた。彼女に反発する政治家を、一週間のうちに、3人、殺したとされる。ひとりは射殺、ひとりは爆殺。もうひとりは、まず妻と娘を目の前で辱められ、そのあと、本人とあわせ、3人一緒にガソリンを掛けられ、焼き殺された。
利害と関係なく、ザラ本人を侮辱した人間も、殺害の対象になっている。彼女は、たまたまSNSで自分を嘲ったものを見つけて、殺させたこともあったようだ。確証はないが、小学生の時に自分を馬鹿にした同級生を、40年後に虐殺したとも言われている。
ネットには、組織の犠牲者と思われる人々の死体写真もアップされていた。切断された首、ナイフが刺さったままの手のひら、炎に焼けただれた顔、掴み出された大腸。SNSで許されるぎりぎりの残虐な絵。
だが、もう引き返せない。と海灯は思った。深く考えてはいけない。その前に、ジャンプだ。
携帯にメッセージを打ち込み、送信ボタンを押す。
***
火曜日の午後4時。
海灯が杏里を呼び出したのは、人の出入りの激しい、駅地下のカフェだった。
「忙しいんだけど」と彼女は不機嫌な顔で、彼の向かいに座った。
彼はタブレットを出して、秋子が見つけた写真をディスプレイに出した。
「これが?」杏里は言った。指で、せわしなくテーブルを叩き始める。
「一緒に映っているのは、麻薬カルテルのボスだよね?」
「知らない」
「あと、これとこれも」
海灯は残りの写真を見せる。
「こんなもの、何の証拠にもならないでしょう」
「かもね。でも、調べる人が、本気になって調べれば、もっと明確な証拠が出てくるよ。あなたが麻薬カルテルとつながっている証拠が」
「そんな暇人がいるかしら」
「麻薬退治にやっきな警察とか、どうかな。それでだめなら、ネット民の特定班でもいいな。こういうのを調べるのが、メシよりセックスより好き、という人たちがいるんだ。僕には、調査のスキルはないけど、彼らにこの情報を提供できる。そうすれば、どうなる?」
杏里は、しばらく黙り込んだ。指はあいかわらず、テーブルを叩いている。
「めんどうね」やがて彼女は、口を開いた。「私にやましいことなんてないけど、そんな奴らに、私のエリアに入り込まれるのは嫌。何が欲しいの?」
「借金をチャラにしてほしい、それだけ」
「なるほど」
彼女は再び、考え込んだ。指はあいかわらず、テーブルを叩いている。
海灯がコーヒーを飲み干すのと同時に、杏里の指の動きが止まった。彼女が顔を上げた。
「あなたの背後に、誰がいるの?」と杏里「あなたがひとりで、こんな写真を見つけられるはずがない」
「さあ」海灯は焦った。そういう追及は、予想してなかった。「それは言えない」
「まあ、いいわ」と杏里は言った。「要求は、借金をチャラにする、それだけね?」
「ああ、それだけ」
「本当にそれだけ?」
「本当にそれだけ」
「わかった、考えてみるわ」
杏里は立ち上がった。
「しばらく、あなたとセックスする気になれそうもないから、自分の部屋で、ひとり寂しく、シコシコやってなさい。ネットでエロいダンス動画でも見ながら」
捨て台詞を吐くと、彼女は去った。
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