第7話 甘いリンゴ飴

 魔王城での生活は驚くほど平和だった。

 俺の立場はすっかり「魔王様お抱えの料理番兼、なんだかよく分からないけどスゴい策士(仮)」として定着し、幹部たちからの信頼も厚い。


 悪夢にうなされたあの日以来、ルシルフィア様は時々、俺の様子を気遣うように見に来てくれるようになった。

 その度に慌てて「べ、別に貴様の心配などしていないぞ!」とツンデレを発動するのが、もはや日常の癒しだ。


​ 聖女エリクシアの影に怯えることもなく、穏やかな時間が流れていく。


 そんなある日の昼食後、ルシルフィア様が何やら言いたげに、俺の周りをソワソワと歩き回っていた。


​「……ユキナ」


「はい、なんでしょうか?」


「その……貴様、まだ我が領地をきちんと見ていないだろう」


「え? ああ、そうですね。ずっと城の中にいましたから」


「ふ、ふん! それはいかん! 我が治める土地の素晴らしさを知らぬままでは、策士としての働きも鈍るというものだ!」


​ 彼女はビシッと俺を指差し、顔を赤らめながら宣言した。


​「よ、よって! 本日、特別に貴様を我が城下町の視察に同行させてやる! あくまで視察だ! 決して遊びではないからな! 勘違いするなよ!」


​ ……ものすごく念を押してくる。

 後ろの柱の陰から、リリスさんたちが「魔王様、頑張って…!」と応援の眼差しを送っているのが丸見えだ。

 これはもう、デートのお誘いと解釈していいだろう。


​「光栄です、ルシルフィア様。ぜひ、お供させてください」


「う、うむ! ならば準備をしろ! すぐに出発するぞ!」


​ 俺が笑顔で快諾すると、ルシルフィア様はぱあっと表情を輝かせ、慌てて自室へと戻っていった。



​ 一時間後。

 俺たちは人目を忍ぶためにフード付きのローブを羽織り、城下町へとやってきていた。


 魔王領の城下町は、俺が想像していたような血と暴力に支配された場所とはまるで違った。

 様々な種族――獣人、エルフ、ドワーフ、ゴブリンが共存し、活気のある市場を形成している。

 建物の様式は統一感がなくゴチャゴチャしているが、それがまた独特の魅力を醸し出していた。


​「す、すごいな……。賑やかで、みんな楽しそうだ」


「当然だ。我が統治しているのだからな」


​ フードの下で、ルシルフィア様はどこか誇らしげに胸を張る。

 しかし、その瞳は好奇心でキラキラと輝き、キョロキョロと周りを見渡していた。どうやら、彼女自身もこうして城下町を歩き回るのは久しぶりらしい。


​「お、なんだあれは?」


​ ルシルフィア様が指差したのは、リンゴ飴の屋台だった。ただのリンゴ飴ではない。飴の部分が、虹色にぼんやりと発光しているのだ。


​「『ウィスプの涙飴』だよ。食べると体がちょっとだけ光るんだ」


 屋台の狼獣人のおじさんが、気さくに教えてくれる。


​「ひ、光るだと……!?」


 目を輝かせるルシルフィア様。

 ……どうやら、かなり興味があるらしい。


​「一つ、いただけますか」


 俺が代金を払って光るリンゴ飴を一本買い、彼女に差し出す。


​「わ、私は別に、欲しくなど……!」


「せっかくの『視察』ですから。領地の名物を知るのも大事なことです」


「……む。そ、そうか。ならば仕方あるまい。一口だけ、味見してやろう」


​ もっともらしい言い訳をしながら、彼女は小さな口でリンゴ飴をぱくりと齧った。

 その瞬間、彼女の頬がリンゴ飴と同じようにぽうっと淡く輝いた。


​「…………!! おいしい!」


​ 満面の笑みで夢中になってリンゴ飴を頬張るルシルフィア様。その姿は、威厳ある魔王ではなく、年頃の普通の女の子だった。

 その無邪気な笑顔を見ていると、俺の心まで温かくなる。


​ その後も俺たちは、ピクピク動くリザードマンの尻尾の串焼きを眺めたり、ドワーフの武具屋を冷やかしたりと、視察という名のデートを満喫した。


​ そんな時、広場の方から子供の泣き声が聞こえてきた。

 見ると、小さな鬼族の子供が、母親とはぐれてしまったらしく、しくしくと泣いている。


​「……行くぞ、ユキナ。我々には関係ない」


 ルシルフィア様は一度そう言って背を向けた。だが、数歩進んでは、ちらりと後ろを振り返る。その足は完全に止まっていた。

 俺が黙って見ていると、彼女は観念したように大きなため息をついた。


​「……ああ、もう! 仕方ないだろう! 我が領民が泣いているのを、魔王が見て見ぬふりなどできるか!」


​ 結局、彼女はそう言って子供の元へ駆け寄ると、不器用ながらも優しく声をかけ、一緒に母親を探し始めた。

 その姿は、民を心から思う、立派な為政者の顔をしていた。


​ やがて無事に母親は見つかり、子供は「お姉ちゃん、ありがとう!」と、お礼に道端に咲いていた黒い花をルシルフィア様に手渡した。


「お、お姉ちゃん……!? わ、私は魔王だぞ……!」


 照れながらも、彼女はその花をとても嬉しそうに受け取っていた。


​ 夕暮れの帰り道。

 二人並んで、茜色に染まる城への道を歩く。


​「……今日は、その……楽しかったぞ」


​ ぽつりと、彼女が呟いた。


​「民の顔を直接見るのも、久しぶりだった。礼を言う、ユキナ。良い視察になった」


「どういたしまして。俺も楽しかったです」


​ 素直な言葉のやりとりに、二人の間に心地よい沈黙が流れる。


 城門が見えてきたところで、俺たちはローブのフードを外した。すると、門の陰から、ボルガノンさん、リリスさん、ネクロスさんが、ニヤニヤしながら姿を現した。


​「お帰りなさいませ、魔王様、ユキナ様。本日の『ご視察』、いかがでしたかな?」


「とても楽しそうでしたわねぇ♡」


「ふむ、二人の親密度の上昇率、データに記録させてもらった……」


​「き、貴様らーっ! 見ていたのか! だから視察だと言っておるだろうがーっ!」


​ 顔を真っ赤にして怒鳴るルシルフィア様と、それを宥める俺。

 そんなドタバタなやりとりすら、今はとても愛おしく感じられた。

 平和な日常が、ここには確かにあったのだ。

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