第3話 断ち切られた未来②

 私に退学を告げる教官の声は、もはやいつもの熱がこもった厳しい口調ですらなかった。


 淡々とした事務処理のように手渡された退学通知。

 そのたった一枚の紙切れが、私の未来をあっけなく断ち切った。




 ……ああ、終わった。

 人生詰んだ。

 頭の中で、そんな絶望がぐるぐると渦巻く。


 父さんの意志を継ぐためにも、母さんに裕福な生活をさせるためにも、私は工作員になるしかないと信じてきた。

 それだけを信じて、ここまで走ってきたというのに……。


 大好きな母さんの笑顔が脳裏をよぎる。

 今の私は、父さんにも母さんにも失望される未来しか見えない。


 いや、私が失望されるだけならまだいい。

 


 工作員訓練校に一度でも入学した者は、退学すると行方不明になることが多い。

 その理由として、国の裏事情を知った者をそのまま社会に戻すわけにはいかないから……なのだと、巷ではそう噂されている。




 ――そう。私が粛清されるだけなら、まだいい。


 でも万が一、母さんまで粛清対象になってしまったらどうしよう。



 私は家に戻り、ベッドに倒れ込み、ただひたすら天井を見つめていた。

 何時間経ったのかも分からない。



 静けさの中で、じわじわと「自分はもう終わりだ」という実感だけが身体を蝕んでいく。





「──おい、扉を開けろ!」


 それは、退学処分から3日後のこと。

 黒い制服を着た男たちが突然押しかけて来たかと思えば、無遠慮に私の家へ上がり込んできたのだ。

 

 母さんはいつも通り仕事に行き、私もそろそろ仕事を申請しなければと考え始めていた頃だった。



「お前が、シア・イェンだな?」


「……っ、は、はい……」

 


 男たちの胸の徽章を見た瞬間、一気に背筋が凍る。

 

 

 ……ど、どど、どうして、監察団の人たちがここに……?


 もしかして、もう3日もニートやってるのがバレて、誰かに密告でもされたとか……?



 恐る恐る、目の前に佇む男に目を向ける。

 

「ああ、驚かせたな。安心しろ、俺たちは君を捕まえにきたわけじゃない」



 ……ほっ。

 よかった、どうやら粛清対象になったわけではなさそう……。




「じゃ、じゃあ、どうして……?」


「いやあ、君がコウメイ訓練校を退学させられたと聞いてね……」



 ひいいっっ……!

 どうしよう、やっぱり退学絡みの話じゃない!

 

 ……まさか、もう逮捕とか連行とかされずに現行犯で射殺とか……




「――君を、スカウトしに来たんだ」



 ――……へ?

 な、なんて?


 今、スカウトって聞こえた気が……



「君は工作員は無理だったかもしれないが、監察団なら向いているんじゃないかって」


 男は穏やかに笑った。

 だがその笑みの裏に、逃げ場を塞ぐ冷たい影を感じる。



「とくに思想監視課なら、君の鋭い観察力を活かせるんじゃないかと……君の訓練校の教官からも、お墨付きを貰ってる」




 ――観察力。


 ……まさか、私の「目が合うと感情が流れ込んでくる力」のこと?


 あの時、模擬戦闘で相手の恐怖を感じ取ってしまったことを……まさか、この人は知っている? 

 というか、まさか教官にもバレていたの?

 


「……もし断れば?」


 私は絞り出すように尋ねた。

 男は肩をすくめて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「自由にすればいいさ。ただし……退学した元学生がどうなるか、君なら想像がつくだろう?」


 ……分かっている。

 この国で「落ちこぼれ」が生き残れる場所なんてない。


 ましてや訓練校では、式国この国についても、式国この国以外のさまざまな国についても学んでいた。


 情報統制が徹底されている式国この国で、大半の国民は知らないような知識をすでに知ってしまっている私を、政府が野放しにするとは考えにくい。

 


「そんな怖い顔をするな。工作員ほど華やかじゃないが、そこまで悪い仕事でもないよ」

「そうそう。何より、君が国に尽くせる場所が、まだ残っているんだ。名誉なことじゃないか」


 男たちは変わるがわるにそう言って、私の警戒を解こうとする。


 その瞬間、自分の中で何かが音を立てて崩れた気がした。

 だけど同時に、空っぽになっていた私の未来に、再び細い線が描かれたのも確かだった。


 私は背後で握った両手を震わせながら、やっとの思いで言葉を吐き出す。


「……分かりました。やります」


 父さん、母さん、ごめん。

 でもこの道しか、私にはもう残されてないみたい。



 


 入団初日。


 私は暗い灰色の建物の奥に案内される。

 廊下には、すれ違う隊員たちの革靴の音が響いていた。


「ここが君のこれからの職場だ」


 案内役の上官が口にする言葉は、軍隊の教本みたいに整然としている。


「横を見てみなさい」


 言われた通りに横を向くと、廊下の壁には黒光りする肖像画の数々が並んでいた。

 1番大きい将軍様の隣に並ぶ、団長たちの顔。


 短期間で入れ替わっているものが多いのは、彼らが間髪入れずに次々と失脚していった証だろう。


「団長は将軍様に直々に報告を行う。政治局の信任を受けなければ座につけないが、頻繁に入れ替わっているし、我々のような下っ端とは関わることもないだろう」


 私は急に寒気がして、黙って頷くことしかできなかった。




 次に、部門の説明が始まる。


 


思想監視課しそうかんしか

 ――市民の会話や言動の監視、密告者の報告や盗聴の録音などの分析を担当。

 4つある部門の中で最も仕事の守備範囲が広く、主に人の心を暴くのが任務。


 

工作員管理課こうさくいんかんりか

 ――シノビを含めた工作員の総合的な管理や、国外に出向くことの多い彼等の忠誠心を監視する。また、工作員の失踪や裏切りの調査も多い。


 

執行課しっこうか

 ――連行、尋問、収容所送りを実行する。国民からは最も恐れられる部門。

 腕力や冷酷さなどが求められる。



档案管理課とうあんかんりか

 ――忠誠档案の管理。市民も工作員も、一人ひとりが政府にとってどういう人間かが全て記録される。最近は改ざんや紛失が頻発し、裏社会との繋がりが最も濃い部署だとの噂も。



 

 気づけば、背中を冷たい汗が伝っていた。


 首都だけで五千人、全国で二万人もの人間がこの巨大な監視機構に従事しているという。

 だが、それでも人手は足りていないらしい。


 

「シア・イェン。君は思想監視課に配属される」



 ああ、やっぱり。

 あの日の模擬戦闘で発揮してしまった――目を合わせた相手の感情が流れ込んでくる能力。

 

 幸い、今は能力のことはバレておらず、ただの観察力が鋭いヤツだと思われている。


 警戒さえ解かなければ、この先もなんとかなるだろう。

 というか、なんとかならなくても、なんとかするしかない。


 

「承知いたしました。私シア・イェン――本日から思想監視課で、国家のために全力を尽くします」


 そう言って、再び頷くしかなかった。


 



 思想監視課の部屋は、広い割に常に人が足りていない。

 机の上には無数のテープと報告書が山積みで、誰もが目の下に隈を作っていた。


 

「――ねえちょっと、あんたが新人? イェンだっけ?」


 振り返ると、腰まである黒髪をポニーテールに結んだ女の子が立っていた。

 切れ長の瞳が、やけに鋭い。

 年齢は私と同じくらいに見える。



「えっと、はい……シア・イェンです」


「ふーん、私はセン・イー。年は21。去年入団したからアンタより1つ先輩ね。まあよろしく」



 彼女は早口でそう言い捨てると、さっさと自分の机に戻っていった。

 ……なんだか、嵐みたいな子だ。



 

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