ホリィとサリィの宿屋リングベル繁盛記 〜酒豪姉と苦労性妹、訳あり客と事件に囲まれながら今日も営業中〜

久遠まこと

一章 リングベルの日常編

第一話 宿屋リングベル

「いらっしゃいませ。ご休憩ですか? それともご宿泊で?」


昼下がりの柔らかな光が窓から差し込む。

外はまだ人通りもまばらで、馬車の車輪が遠くで軋む音が聞こえてくる。


ここは街並みの喧騒から少し外れた、小さな宿――リングベル。

祖父母の代から続く宿で、看板料理はコトコト煮込んだビーフシチュー。

「ここで食べると胃も心も温まる」と評判で、古びているのに不思議と落ち着く内装も人気だ。


……が、実際に宿を切り盛りしているのは、酒豪の姉と、胃を押さえてばかりの私。


本来なら父と母が継ぐはずだったのに、二人は「冒険稼業を続けたい」と出て行ったきり。もう一年も帰らず、届いたのは数通の手紙と土産だけ。


(はい、ここで自己紹介。私、ホリィ。十六歳。宿屋の苦労性担当です)

(趣味:帳簿管理。特技:ため息。悩み:姉のせいで寿命が縮むこと)


その姉、サリィは二十歳。

黒髪に赤いカチューシャ、紅い瞳。見た目は落ち着いた美人。

街では“リングベルのマドンナ”なんて呼ばれているけれど――


「ホリィ、お肉、いい焼き色になったわよ」


キッチンから皿を持って出てくる姉の頬はほんのり赤い。

……はい、すでにワイン入ってますね。


「……姉さん、まだ昼ですよ」


「お昼の一杯は心の栄養なの。ほら、運んで」


「……また“味見”ですか」


「味見よ。大事な仕事でしょ?」


サリィは軽く笑い、皿をカウンターに置く。

その仕草だけで食堂の空気が華やぐから不思議だ。

(妹から見れば“酔いどれ姫”なんですけどね)



この街は周囲をいくつものダンジョンに囲まれている。

だから宿泊客の多くは冒険者で、穏やかな人ばかりではない。

ときには剣呑な空気を漂わせる者もやってくる。


それでも私たちは彼らを受け入れ、一晩の安らぎを提供するのが仕事――。


ただ、血の気の多い連中が酒を飲めば、当然トラブルは絶えない。


「テメェやんのか!?」

「あぁん!? 望むところだ!」


夜の食堂に、椅子が引き倒される音が響いた。


そこへ、ワインボトル片手のサリィがすっと二人の間に割って入る。

ボトルをテーブルにドンと置き、紅い瞳を細めて言い放った。


「酒の席での揉め事は、酒で決着をつけましょ」


「私が勝ったら、喧嘩はお互い水に流して終わり。あなたたちが勝ったら──」


「私を一晩好きにしていいわ」


周囲にいた客たちがざわつく。

「まじか!?」「ヒュー!! こんな色っぽい姉ちゃんと!?」

「ちょっとまったサリィちゃん! 俺たちも参加していいか!?」「俺も俺も!!」


「もちろんいいわよ、ただしいっぱい注文してね!」


いやいやいや。なんで常連まで参戦して盛り上がってるの。

姉さん目当てで来る客が多いのは知ってたけど!


「私に勝てたら……ね」


こうして飲み比べが始まった。

結果、男たちは全員撃沈。床に転がるかテーブルに突っ伏すかで、まるで戦場の後。

……なのに、みんな幸せそうな寝顔なんだから不思議だ。


「私の勝ちぃ〜!!」

ご機嫌なサリィは椅子の上でポーズを決める。


だからスカートの中、見えてるから!!


とまあ、お酒絡みのトラブルは、だいたい姉さんがこうやって鎮めてくれる。

売上まで伸ばしてくれて一石二鳥だ。

その後、飲みすぎて床に転がった姉を部屋まで運ぶのは、私の役目。


夜遅くでもお客さんはやってくる。

扉が勢いよく開き、血と泥にまみれた冒険者二人が飛び込んできた。


「仲間がやられた! 部屋を一つ貸してくれ!」


肩を貸されている男は足を引きずり、脇腹から血が流れている。

顔色も悪く、今にも倒れそうだった。


「えっ、えっと……治療院へ行ったほうが――」


「回復薬ならある。少し横になれば大丈夫だ!」


(そうじゃなくて、その状態でベッドに直行したら……)


(シーツが真っ赤になっちゃうんです!!)


「こいつだけだから、一人分でいいか?」


「あ、はい……」


(しかもケチかぁぁぁ!!)


ワイングラス片手にキッチンから出てきたサリィが、にやりと笑った。

「まあまあ。血でシーツ染めるくらいなら、ワインこぼすのと大差ないでしょ?」


「私のベッドなんて、もうワインのシミで芸術作品よ?」


「そのシーツ!! 洗ってるの!! 私なんですけどーー!!」


こうして、割に合わない客を受け入れることもある。

これが、宿屋リングベルの日常。



そして翌日――。

宿の扉がきぃ、と音を立てて開いた。


昼の光の中に現れたのは、不健康そうな冒険者の男。

黒革の外套を羽織り、右手には鞘に収められた黒い剣を抱えるように持っている。


普通ならただの荷物のはずだ。だがその剣は違った。

鞘の隙間から黒色の靄がじわりと漏れ出し、生き物のように男の腕へ絡みつく。


私は息を呑んだ。

――あれは、どう見てもただ事じゃない。


(ちょっと待って……なんかものすごく厄介そうなお客さんなんですけど!?)


(勘弁してぇぇぇ!!)


次なる騒動を抱えた客が、リングベルにやって来たのだった。

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