第7話 ある透明少女の幼い初恋 前編

「明麻絵も手伝って!」



 ママが声を張り上げている姿を、久しぶりに見たかもしれません。

 目の前では、切腹しようとする御手くんのことを、ママが必死に止めようとしています。

 いや、ママ気付いてください。

 彼が手に持っているのは、おもちゃのナイフです。引っ込むやつです。


 彼がこんなことをした原因は、わたしが放課後での出来事を打ち明けたせい。

 だけど、彼がした仕打ちを考えれば、これぐらいの復讐は許されていいと思うのです。


 わたしが何をされたのか。

 この話をするためには、まず小学一年生の頃にさかのぼる必要があります。


 


 わたし――『紙透 明麻絵』は小さい頃から、許嫁の存在を聞かされてきました。


 相手の名前は島田 御手。

 同じ年の男の子とのことでした。


 島田しまだ御所ごしょという、伝説的な陰陽師のひとり息子。


 初めてその存在を知ったのは、たしか、ママと一緒にテレビを見ていた時だったと思います。

 見ていたのは、恋愛ドラマ。

 上流階級の男に恋心を抱かれた、ある普通の女の子の物語だったと記憶しています。

 その中で『許嫁』という聞きなれない言葉が出てきたことが発端でした。



「ねえ、ママ、許嫁ってなに?」

「親が決めた、未来のパートナーよ」

「へー」



 その時は『そんなのもあるのかー』って全然現実味がなかったと思います。

 だけど、次の言葉で一転することに。



「実は、明麻絵ちゃんにもいるのよ~~」

「え、何が?」

「許嫁」

「うそっ!?」



 衝撃的でした。

 パパは忍者で、ママも美人で有名。

 だけど、あまり裕福な家庭ではありませんでしたから、許嫁なんていう高貴そうな存在がいるなんて予想外すぎたのです。


 そして、次に思ったのは『嫌だなぁ』っていうネガティブな気持ち。

 だって、ドラマの中に出てくる許嫁はすごく嫌な人の印象が強かったので。

 美人なのに主人公に色んな意地悪をするし、とっても悪役っぽい印象が強かったのです。

 

 

「明麻絵の許嫁は、とっても素敵な男の子なのよ?」

「本当?」

「うん。ママが保証する」

「そうなんだ」



 幼い時のわたしにとっては、許嫁というのは大人っぽい感じがして、ひどく心かれるものがあったのでしょう。



「許嫁のこと、もっと教えて」

「そうねー。ママもあんまり詳しく知らないのよねぇ」

「えー。じゃあ、なんでわたしの許嫁に選んだの?」

「それは秘密」

「……えー」


 

 これは後々知ったことなんですけど。

 許婚の父親とママは幼なじみらしいのです。


 なんだか、ただならぬ関係な予感。

 


「わたし、許嫁に会ってみたい!」

「ごめんね。15歳までは顔を合わせないって約束なの」

「でも、わたし透明になれるよ? 顔を合わせなくても会える!」

「うーん。いいの……かな?」



 ママはいい顔をしていなかったけど、ひとりで相手の家にお邪魔しちゃいました。


 島田家。


 そこは、とっても立派なお屋敷。

 まるで時代劇の中に入ったみたいで、テンションが上がって、わたしは失敗してしまいました。

 別にどこからでも侵入できるのに、あろうことか玄関からお邪魔してしまったのです。


 そこにいたのは、ひとりのおじさんでした。

 一見すれば、どこにでもいそうな見た目。

 ですが、彼の瞳は銅鏡のように重々しい雰囲気がありました。



「おや?」

 


 え、うそ。

 わたしのこと見えてるの?


 透明になればママにも見つからないのに。



「…………」



 なんだか、とっても怖い雰囲気があって、恐ろしくて、逃げ出したい。

 だけど、一歩も動けませんでした。

 

 確信がありましたから。

 

 この人からは絶対に逃げられない。

 隠れられない。

 触れられたら殺される。


 そんな予感が脳裏をよぎりました。



「…………ふむ」

 


 手が伸びてくる。

 捕まる。

 わたし、死んじゃう!?



「気のせいかな?」



 あ、偶然だったみたい。



「……ほっ」


 

 当時のわたしは安堵していたけど、今思えば、御所さんは全部を察していたのだと思います。



「えっと、おじゃましまーす」



 この時のわたしはなんと勇敢だったのでしょう。

 怖い目にあったのに、まだ許嫁に会おうとしていたのです。


 それから島田家の中を探索しました。

 自分の家とは全く違う内装に心を躍らせながら走り回って――



「……ひっぐ」



 縁側で、ひとりの少年が泣いているのを見つけました。


 わたしと同い年ぐらい。

 一目見て、ピンと来たんです。

 間違いなく、この子がわたしの許嫁だ、って。


 見るからに気弱そうで、全然男らしく見えないけど、絶対そうだ。


 だけど、なんで泣いているのだろう。

 泣いている姿を見ると、こっちまで悲しくなってしまう。

 それに初めて見た許嫁の顔が泣き顔なんて、ちょっと苦しい。


 だから、元気づけようと思いました。



「わたしの声が聞こえますか?」



 敬語になったのは、少しでも頼りがいのある人を演出するため。

 子供っぽい考えですよね。


 

「だ、だれ!? どこにいるの!?」

「わたしは妖精さんです」

「妖精?」

「妖精だから、姿を見せられないんです」

「そうなんだ……」



 透明人間って言うと怖がられそうで、親しみやすそうに『妖精』と名乗りました。



「どうして泣いていたんですか?」

「……聞いてくれるの?」

「聞きたくないなら、話しかけませんよ」



 数秒、彼は俯いたまま、黙ってしまいました。

 わたしはどうしていいかわからず、ドラマの真似をして、彼の手を握りました。


 すると。


 

「本当に、どんな話も聞いてくれるの?」

「もちろんです」

「……そっか」



 同年代の男の子なんだから、どうせ深刻な悩みじゃない。

 そう思って、力強く頷いたのですが。


 

「ねえ、僕って生まれてきてよかったのかな……」



 あれ、結構重い内容……。

 妖精に相談する内容じゃないんじゃないですか?


 ですが、自分から話しかけてしまった以上、今さら逃げるわけにはいきませんでした。

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