教会の陰謀
「う、嘘だろ……!」
俺は驚きを隠せなかった。ひくつもりは毛ほどもなかったがこの世界の修正力だろうかアイリーンをひいてしまった。
御者が顔面蒼白になり、手綱を握ったまま馬車の上であたふたしている。馬は驚いたのか前脚を高く上げ、いななきながらその場で足踏みを繰り返していた。
「お、お許しください、殿下! わ、わたしは……!」
御者の震えた声が耳に入るが、俺は彼を
石畳の上に、白い修道服の少女が倒れている。アイリーンだ。倒れた拍子に頭を打ったのか、こめかみのあたりから血が流れ、金色の髪を赤く染めている。彼女の白い指がぴくりと震える、安心している暇はなかった。
「アイリーン!」
俺は彼女の肩を抱き起こし、膝の上に頭を載せる。呼吸は浅く、目は半分閉じかけている。そして、返答はない。危険だ。
「ライ様、あまり動かしてはなりません!」
鋭い声が飛んだ。見ると、いつの間にかセラスが馬車から飛び降り、駆け寄ってきていた。
「医術には多少ですが覚えがあります。応急処置を」
言うが早いか、セラスは腰のポーチから細い針と糸、そして小瓶に入った消毒液のようなものを取り出した。膝をつき、迷いなくアイリーンの頭部の傷口を押さえる。
暗殺者としての生活の中で身に着けた技術だろう。手慣れていた。
「ライ様、アイリーン様の体を固定してください。動かすと余計に悪化します」
「あ、ああ……」
俺は言われるままにアイリーンの両肩と腕を支え、できるだけ優しく抑え込む。胸が締め付けられる思いだった。
「大丈夫だ……大丈夫だからな」
俺は繰り返しアイリーンの意識が戻るように呼びかける。
セラスは小瓶の液体をガーゼに染み込ませ、素早く傷口を拭った。次にセラスは針に糸を通し、驚くほど冷静な手つきで傷口を縫い始めた。
セラスの指先は外科医のように正確だった。わずかな手の震えすらなく、細かい縫い目が次々と傷口を塞いでいく。
「出血は止まりました。ただ、頭部ですから油断はできません。すぐに治療を受けさせないと」
セラスが顔を上げ、真剣な目で俺を見る。
「城に戻るか、それとも――教会に向かうか、だな」
王城にも腕の立つ医師はいる。だが頭部への衝撃は命取りだ。魔法での治療が可能なら、それに越したことはない。
「ミラの回復魔法なら……」
「はい、確実です。ただ、急がなければいけません」
俺はこちらがアイリーンをひいてしまったために行きづらいとは思ったがそう言っている場合ではないとミラに見てもらうことにした。
セラスと協力してアイリーンをそっと抱き上げる。彼女の体は驚くほど軽く、かすかに熱を帯びていた。
「ライ様、頭をできるだけ高くしないように。揺れるとまずいです」
「分かった」
俺は慎重に馬車の座席に彼女を横たえ、自分の膝を枕にして彼女の頭を支えた。セラスは再び傷口を押さえつつ、容体の変化を確認している。
この世界がストーリーに出来るだけ沿うような法則が働いているとしたら、ゲームではひかれた後に意識のない中、弄ばれて死んだ。ならばこの世界でも死んでしまうかも知れない。
馬車を急がせて、教会についた俺たちは大理石の扉を叩く。すぐに修道女が駆け寄り、俺とセラスの抱えるアイリーンを見て息を呑む。
「聖女ミラ様をすぐに呼んでくれ!」
俺は声が裏返るほど焦っていた。
修道女が奥へと走り去り、やがて白い法衣をまとったミラが現れる。
「ライ様……!? どうされたのです、その方は――アイリーン!」
ミラは俺の急な訪問に疑問を浮かべていたが俺たちが抱えるアイリーンの姿を見て、焦りだす。
俺は息を詰まらせながら、かいつまんで事情を説明する。ミラは短く頷き、祈るように両手を胸の前に組む。すると淡い光が彼女のてのひらからあふれ出た。
「神よ、慈悲を――ヒール」
やさしい光がアイリーンを包み、その光の粒が体の中へと吸い込まれていく。血の跡は薄れ、縫合した箇所がふさがり、肌の赤みも消えていく。
――この世界では、このような魔法というものは誰にでも使えるわけではない。
少なくとも、俺のような貴族ですら、扱うことはできない。魔法を使えるのは、神に選ばれた聖職者だけ。王城の医者は俺の転生前の世界のように薬や手術で直すことしか出来ないのだ。
じゃあ、俺やサドが使ったあの異様な力は何なんだ、と言われれば説明のしようがない。ゲームの都合としか言えないだろう。
ミラの光が消え、静寂が訪れる。だが、アイリーンは目を開けなかった。
彼女の胸はゆっくりと上下し、呼吸も安定している。けれど、呼びかけても返事がない。
ミラは手をそっと離し、顔を伏せた。
「傷は……すべて癒えています。脳への損傷も、完全に修復されているはずです」
「それじゃあ、なぜ目を覚まさないんだ?」
俺の問いに、ミラは小さく首を振った。
「分かりません。肉体的には何の問題もないのに、まるで心だけが閉じてしまっているようです」
「すまない、俺のせいで彼女は……」
俺の言葉に、ミラはそっと微笑んだ。
「いいえ。話を聞いた限りでは、アイリーンの不注意のようです。夜道を走る馬車の前に飛び出したのなら、避けるのは不可能でしょう」
もっとも、この国では馬車事故そのものが稀だ。というのも、王都の設計自体が厳格に区分されていて、馬車は馬車専用道を走らなければならないという法がある。
だから、馬車が人をひくというのは、ほとんどあり得ないもし事故が起きた場合でも、原因が人の側にあると見なされ、馬車の持ち主が罰せられることは基本的にない。
――つまり、今回の件でも俺に法的な
……だが。心の中で、どうしても無罪とは思えなかった。
俺はベッドに横たわるアイリーンを見下ろしながら、拳を握りしめた。彼女の顔は穏やかで、眠っているようだった。ミラが無言で包帯の位置を確認し、深く息を吐く。
「ライ様。アイリーンは命を取り留めました。それだけでも、幸運です」
俺は頷いたが、視線を離せなかった。
「それにしても何故、アイリーン様は馬車が通る道などを通ったのでしょうか。あの道は人が通ることは禁止はされていませんが子どもでも通ることは滅多にしません、しかも視界が狭くなる夜にアイリーン様はその道を通った。何だかおかしい気がいたします」
セラスの言葉に、その場の空気が一瞬で張り詰めた。だが今は、確かめる術がない。
「今は彼女の容体を優先しましょう」
ミラがそう言って立ち上がる。
「ここで今夜は休まれてください。ライ様も、セラス様も。もう夜も遅いですし」
俺たちはそれに従い、用意された客室へと別々に案内された。教会なので男女別室だ。
そして、俺はアイリーンの容体を心配しつつも眠りについた。
翌日、俺が起きると異変を感じた両腕が何かに縛られている。見ると革製のベルトが手首に食い込み、ベッドの枠に固定されていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます