四話 全てが鮮やカニ、香り輝く宝の記憶の箱③
ずっとずっと、咲夜を私が絶対守らなきゃって思ってた。だって私は「お姉ちゃん」だから。私の後ろをヒヨコのように付いてくる咲夜の前を歩いて、道を作って、迷子にならないようにまっすぐに歩いて、転んだら手を差し伸べて、ほら。もう大丈夫だよって涙を拭ってあげて。それが私の大切な役目なんだって、ずっと思ってた。
小さな頃から、咲夜はずっと咲夜だった。宝石のようにキラキラした目力のある瞳に、大きく開く口。すぐ膨れるほっぺたに、大きく響く、アニメのキャラクターに出てくるような、透き通って子供らしい声。
近所ではわがままで、駄々っ子で。パワフルな元気さと、どこか凄みもあって、押しの強さと天性の華やかさからか、一種の男女問わずの取り巻きもいた。
家は、いわゆる大人しめだけど真面目な教師夫婦。そこまで裕福ではないけど、人並みにはお金はある。普通の双子なら困らない貯蓄はあった。それこそ、双子を良い大学に行かせて将来一人暮らしさせてもお釣りが来るぐらいには。
「お姉ちゃん、嫌だぁ、置いてかないでぇ」
そのくせ、私がそばからいなくなると泣き虫になる咲夜。幼稚園の服を着た咲夜がギャン泣きしながら地団駄を踏む。皆が咲夜を見て怪訝そうな顔をする。私は呆れてため息を吐く。保育士の先生も困った顔で咲夜をつかまえようとするのだけど、咲夜は私にくっついて離れない。
「咲夜、咲夜はぞうさん組でしょ。お姉ちゃんはうさぎさん組なんだよ。今日から幼稚園に入るんだから、別の組だってママもパパもお話ししたよね?」
「なんで、なんで!? 僕、お姉ちゃんと一緒じゃないとやだもん! ねー。おばさん、なんで僕はお姉ちゃんと一緒じゃないの!? 僕もうさぎさんがいいよ」
「コラ! おばさんじゃなくて先生でしょ! わがまま言わないの! ごめんなさい、先生」
「いいのよ、咲良ちゃん。よしよし、咲夜君、お昼寝の時間はお姉ちゃんと一緒にしてあげるからね」
「やだ! やだ! 僕うさぎさんだもん! うわああああん」
「ああ、もう、咲夜、あんまり泣いていると気持ち悪くなっちゃうよ? ゲー、したくないでしょ?」
咲夜はこの頃から、少し身体の弱い予兆があった。泣きすぎると戻してしまうのだ。だから、私は咲夜が泣く度に宥めなければ行かなかった。
「それもやだ! 僕、泣かない!」
「いい子ね。咲夜」
私は咲夜をギュッとして、優しく撫でた。
「うん!」
咲夜の面倒は、正直時々疲れた。でも、懐いてくる咲夜は素直に可愛いから、いいやと思った。それに家に帰れば、お母さんもお父さんも平等に私と咲夜を愛してくれた。
「おかえり。聞いたわよ。咲良また咲夜の面倒見たんだって? 本当に咲夜の面倒を見てえらいわね」
お母さんが私を抱きしめて言った。学校の先生で疲れているのに、お母さんもお父さんも家事とかを手を抜かない。大好きな両親。
「本当、咲良は優しいお姉ちゃんだな」
お父さんも、お母さんの家事を手伝う。家事はお母さんだけにさせないというのが、お父さんのポリシー。家族はみんなで支え合うもの、が口癖の、そんなお父さんが、私は大好きだった。
「えへへ」
「本当に、心からの自慢の娘だなぁ、咲良は」
なんて言って撫でてくれた。
それが、咲夜が重い病気になって、家族の中心が当たり前のように咲夜だけになって。私の意見を言おうものならわがままになって。
「咲夜、見て。咲夜を描いたの。これが、私」
「すごい、お姉ちゃん、絵が上手だね。アニメの絵みたい。パパとママも描いて!」
目にお星様でも入っているみたいにキラキラした瞳で咲夜は言った。すごく嬉しそうで、さみしさで描いていたという事実が全て吹き飛んでいった。
「いいよ。今年海行けないから、海の絵描こうね」
「わあい!」
屈託なく笑う咲夜に、私は苦笑いを浮かべた。咲夜がまた痩せこけた気がする。私と違って綺麗な顔の咲夜が、やつれていくのが見ていてツラい。
咲夜の病室で、裏表描いてボロボロなお絵かき帳とすり減ったクレヨンを手に私は絵を描いた。その頃には咲夜と一緒にいた幼稚園から離れて、おばあちゃんちに私は預けられていた。
おばあちゃんちのご飯は味が薄くて、量も少なくて、でもお菓子は寂しくないように沢山くれるから、病気で痩せていく咲夜よりは私の方が丸っこいような気がした。
「お姉ちゃん、大好き! 世界で一番大好き! ずっと好き!」
両手を広げて、抱きしめてくれというポーズをする咲夜を、私は抱きしめる。
「はいはい」
そして撫でてあげると、咲夜は嬉しそうにニッコニコに笑う。
「お姉ちゃんは、僕のこと好き?」
「好きだよ、咲夜」
「世界で一番?」
「うん」
「わあい」
あれは、本気だったのか子供故の冗談なのか、今だにわからない。ただ、あの表情は、甘えるというよりは怯えを含む恐れの表情に見えた。私が離れていくのが怖かったのかもしれない。きっと急激に自分ばかり両親に構われている自覚が、咲夜にもあったのだろう。それで、私に嫌われるんじゃという考えと、罪悪感からの確認だったのかもしれない。今、思い出しても何もできないけど。
「咲夜は、私の可愛い弟だよ」
「えへへ」
それでも、私にとって咲夜は可愛い弟だった。無力で、危なっかしくて、ほっとけない宝物だった。なのに、気がつけば抜かれていた。
「咲夜、何これ」
「何これって、今期の新作」
「ハイブランドはもういらないって言ったでしょ!? 咲夜!」
「お姉ちゃんも年頃なんだから、オシャレしなよ。カバンや服が嫌なら、高級画材とか。それか僕と海外旅行とか?」
「何もいらないよ、咲夜。咲夜が元気ならいいんだよ? 自分のために使っていいって言っているでしょ」
「でも」
地団駄を踏む咲夜。子供か。
「せっかくお仕事頑張っているんだから、ね? 昇給も無理に急がなくていいの。咲夜は健康になってもまだ体が強いわけじゃないんだから、お姉ちゃん、咲夜とカフェ行きたいな。ゆっくりおしゃべりしよう?」
咲夜の目がブワッと涙でいっぱいになっていく。咲夜は、甘やかされて育ったからか、感情のコントロールが苦手で、すぐ泣いてしまう。
「なんで僕に恩返しさせてくれないの! 僕の事やっぱり嫌いなの? うざい? 僕がいるせいで彼氏できないとか、思っている? 友達できないと思ってる?」
癇癪を起こし泣き叫ぶ咲夜。過呼吸気味になりしゃがみ込む。慌てて咲夜に駆け寄ると、私に甘えるように抱きついてくる。
「そうじゃないんだって、咲夜。落ち着いて、そんな事考えてもないから」
嬉しい気持ちよりも、惨めな気持ちの方が勝つのは正直事実だけど、気持ちだけは本当に嬉しい。でも私は知っている。咲夜こそ、女の子の誘いどころか、飲み会の誘いも全部断って私のそばにいようとしているという事を。
元々人見知りがすごい咲夜に飲み会は向いてないし、トラブルを避けるなら行かない方がいいのかもだけど、それでは一向に精神年齢が赤ちゃんのままで成長しないし、さすがに永遠にそれでは困る。立派な社会人になってもらわないと。
仕事態度は真面目だと聞くし、スキルもあるみたいだから、どうにか会社に馴染んで欲しいのだけど。
なんて。咲夜の事を朝ごはん前に雑巾掛けを終えてぼんやり考え込んでいた。すると、見慣れた姿が見えた。
「何黄昏てんだよ」
コツン、と私の頭を優しく小突いたのは……
「玉城」
少し眠たそうな顔の、玉城だった。
「俺の家の窓辺で」
一応窓の淵を掃除していたんだけどね。使用人だから、何かしらできる事はしないと。色々してもらっているからには、何かしないといけない。もちろん窓も拭いた。でも、窓もほとんど汚れてない。さすが手入れが行き届いている、立派ないい家だ。
「いや、咲夜のことで」
過去の思い出にぼんやりと浸ってしまった。目の淵が濡れている、懐かしい。
「あいつエリートなんだってな。ああ見えて」
本当に、ああ見えて、だ。言動がかなり子供だし、行動も小学生みたいだし。
「うん。いいとこに勤めている」
海外にも支社があるようなITの超大手だ。正直咲夜が入社した時は悲鳴をあげた。
「大変だろうな。会社の奴らも」
「そうかもね。でもエリートだから大丈夫だよ」
「エリートも大変だぞ。俺も、一応エリートって呼ばれているからな、その気持ちならわかる」
「そうなの? 確かに玉城もエリートだけど、モデルとか華道でしょ?」
種類が全然違うじゃん。仕事ではあるかもだけど。
「変わらないさ。周りの期待とか、あって当然だし、期待に答えられなきゃすぐに他に期待を移動されるし」
「へぇ」
そういうものなのかな? よくわからないけど。私は、絵は描けるけど、ひとりでやるような感じだし、次も次もと期待はされるけど、結局は一枚ずつの世界だから、ちょっと違うかも。
「期待されない方がツラいって言う奴もいるけど、ツラいの種類が違うんじゃないか」
「玉城ってたまに大人びたこと言うよね」
元々咲夜よりはだいぶ大人っぽいし、私よりも大人かもって思うけど。
「育ちがいいからな」
「自分で言う?」
説得力はあるけどね。なんか、ナルシストってよりは根拠ある感じ。
「別に。育てたのは俺じゃない。両親だ。俺は両親に感謝しているだけで、自慢でもなんでもないつもりだ。別にいいだろ」
なるほど。逆にここまでくると嫌味すらなくて気持ちいいな。
それに、そもそもちゃんと教育してもらってそれを馬鹿にするのも、失礼だしね。
「特にあいつは一般の家からの出身、それもガッツリ手術がいるような病人だったんだから俺より苦労はしただろう、正直逃げ癖もあるかもしれない。弱い存在として生きてきたから、逃げれば守ってもらえる、と思うかもしれない」
「うん」
「それでも『大好きなお姉ちゃん』がいるからハンデのない人間の社会に混じってエリートとして生きる重圧に耐えてこられたんだろよ。今はまだ子供でちょっとウザいかもだけどもう少し様子見ぐらいは踏ん張って見守ってやれよ、『お姉ちゃん』」
「わかっているわよ。でも。いつまで『お姉ちゃん』でいられるかな。抜かされちゃうんじゃないのかな。私、絵しかできないし」
「別に好き嫌いなんて能力比べじゃないだろ」
玉城が乾いた声で言った。鼻で笑うように、少し呆れるように。
「お前の愛情は、能力で変わるのか」
なんでそんな事もわからないのか、と言わんばかりの玉城は、逆にお前ならわかるだろうと言いたげでもあった。
「玉城」
私は何かがジン、と心に染みる感じがした。泣きそうだった。胸に当てた手が震えて、唇も震えた。だけど、言葉にならなくて玉城を無言で見上げて見つめた。なんだか胸がドキドキした。
すると急に玉城が、気だるい雰囲気で伏せ目がちになり、少し悩ましげな切なげな声で、
「俺の母さんも、言い方悪いけど、俺を産んだ事で体が強くなくなって、病気になってそれを理由に凄く大切にしていたモデルの仕事も辞めていて、それでも俺を一番にしていて。俺を言い訳にもせず、責めることもなくて。今も昔もすごく俺に優しいから、あいつの気持ちも少しはわかるんだ。もちろん、お前の気持ちもな」
と言った。そして小さく吐息。そして少し恥ずかしそうに私から目を逸らす。
「そもそも俺も身体が強くなくてご飯すらもいっぱい食べれなくて罪悪感で学校へ通えなくなった時期があった。他人への迷惑が嫌で、恩返しをしたい気持ちもあって、なおさら母の事務所から来たモデルの話に乗っかったのもある。自分で言うのもなんだが、俺って見た目デカいし、顔も派手だろ。元々、目立つ割には人間関係が器用かと言われればそうでもないしな。余計なこと言ってばかりだし」
まあ、玉城は少しおせっかいな所もあるけど、私はそこがいい所だと思っているし、好きだけど。優しいし、面倒見もいいし。
「そうなんだ……」
「いつも明るくてああ見えて姉御肌で世話焼きな百瀬に支えてもらって、父さんが百瀬を同じクラスにしてくれるよう頼んでたぐらいだ。だから、百瀬には頭が上がらない。本当に感謝してる」
知らなかった。そんな辛い事実があったんだ、でも、玉城はそれ以上語ろうとはしなかった。それがまた、玉城らしく凄く男らしいとも思った。
語り出せば、いくらでも同情を引けそうなエピソードを持ってそうなのに。
「そろそろ、爺の手伝いをしてくる。何か用事があれば呼べよ」
「玉城」
「じゃ。俺は行くから。とりあえず頭冷やしすぎて風邪引くなよ。まだ寒いんだから、風邪をひくなよ。お前は大事な使用人なんだから」
ポン、と私の頭を軽く撫でる玉城。まるでお兄ちゃん気取りで、優しいけど、なんとなく可愛らしい笑顔で、微笑ましい感じがして全くムカつかない。
「……ありがとう、玉城」
私はフニャフニャした口調で言った。まるで初めてお酒を飲んだ時のような、酔い慣れない若者みたいな、そんな感じ。
「おう」
玉城はそう言って、さっきからずっと持っていたまだあったかい湯呑みに入ったお茶を漆塗りのお盆から置いて、そっとテーブルに置いて行った。
私は両手でそれその湯呑みを手にして、胸の前に持ってきた。だからだろうか。胸がときめいて温かくて、不思議とゆったりとした気持ちでなんだか凄くポカポカした。
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