四話 全てが鮮やカニ、香り輝く宝の記憶の箱 ①




 私があの日美術館で見た迷子の着物の男の子は、何かを思い悩むように、私の絵の前から動かずに泣いていた。あの頃の記憶を、私は鮮明に思い出す。


 弾けそうな感情に、押しつぶされそうな嫉妬心がぐつぐつ煮えたぎってしんどかったあの頃。

 桜の綺麗な季節だったような気がする。咲夜の病気が治るように金沢の石浦神社でお祈りして、皆でぼんやり桜を眺めた。ぼんやりフワフワした桜の花びらで、目の前がピンクに染まる中、駆け込むように美術館に入ったのを覚えている。


「どうしたの? この絵が好きなの?」


 小学生だった私は、私の絵を見にきた後美術館の中をめぐる家族の目を盗んで、ひとりで更に細かく美術館探索をしていた。


「すごく、綺麗なの。でもね、何だか悲しい気持ちになるの、でも、幸せそうにも見えてすごく好きなの。僕、絵が下手だから、凄いなって」


 綺麗な男の子、いつか描いてみたい、そう思ってぼんやり見つめて固まったのを覚えている。でも様子がおかしい。

 私が描いた、咲夜と私を描いた絵を見て、「小さな頃の玉城」は泣いてしゃがみ込んでいた。高そうな着物が汚れるんじゃ、と思ったけど、気にしてない様子だった。とても綺麗な美少年で、私は何かが疼いて、この子を是非とも私の世界観に、と思った。


「この絵、お姉ちゃんが描いたんだよ、今、泣き止んでくれるなら、特別にスケッチブックとかあるから、君の似顔絵描いてあげようか?」


 ぴた、と泣き止む素直な玉城。そしてフニャ、と笑顔になる。

 天使のような笑顔を、当時の玉城は私に見せたのを思い出す。


「いいの?」

「うん。でも、君、本当は迷子でしょ。似顔絵描いたら、素直に受付に行くんだよ。ほら、笑って?」

「わかった。お姉ちゃん、咲良お姉ちゃんっていうんだね、綺麗な名前」

「ありがとう。ほら、出来たよ。ほら、行こう」


 黄金比率なのだろう。笑顔で綺麗に整った顔立ちは描きやすく、スイスイと描けた。色素も薄く、なんだか西洋画を描いている気分になった。


「凄い、僕ニコニコ」

「ずっとニコニコだったよ」


 受け付けへ行くと、車椅子の海外のモデルのようなご婦人と、使用人に見える……今思うとあれは爺が立っていた。ぺこりと頭を下げて、私は玉城をお母さんに受け渡す。


「お母さん、あのね、このお姉ちゃんが僕に似顔絵を描いてくれたの」


 無邪気に言っていた玉城は当時、何歳か正直わからなかった。背は高いけど、表情は幼くあどけなく可愛らしかったから。ただ、自分よりはだいぶ下なんだろうな、とは判断できた。


「そう、よかったわね、素敵な似顔絵を描いてもらって。ふふ、玉城君。玉城君が怪我なく迷子から戻ってきて、ニコニコでお母さんも嬉しいな。あの、本当に、ありがとうございます」


 玉城のお母さんは玉城と一緒に頭を下げた。


「いえ、では。私、行きます」


 私は時計を見て慌てて駆け出そうとする。いけない。咲夜が泣いているかもしれない。きっと東京から来た私の方が迷子扱いで、探されて大騒ぎになっている。


「あの、お礼を。よかったらご家族がいらっしゃるなら一緒にご飯でも」

「いいです。……もし、何だったらいつか私の絵を気に入ったら買ってください、なんて。私の名前は、桜井咲良です」


 冗談めかして宣伝をかまして、その場を後にした。


「買う! 僕、頑張ってお金を貯めて、いつか絶対お姉ちゃんの絵を買うよ! だから、お姉ちゃんは素敵な絵描きさんになってね!」


 ブンブンと小さな手を振って祈りを捧げ、笑顔になる玉城に皆が振り向きどよめいている事に、本人は気づかない。車椅子のお母さんに寄り添う玉城は、すごく笑顔で可愛かった記憶がある。


「ありがとう、じゃあね!」


 私は玉城に手を振って別れて、その後家族と合流した。何かが吹っ切れて、絵を描くのが楽しくなった。結局描くのは咲夜の絵でも、それは咲夜や家族だけのための絵じゃないとわかったから。いつかあの子に私の絵を買ってもらえるかもしれない。そう思うと、ずっと絵を描いていたいと思ったし、上手くなりたいと思えた。


***


「だから、俺は俺のお金でお前の絵を買ったんだ。なのに、お前は何でそんなに戸惑ってるんだ。後でいい額縁を手に入れてから見せたら、きっと喜んでくれると思って、今はまだ黙っていたのに」


 悲しげに言う玉城は時々見せる年齢より幼なそうな顔になっていた。私も胃がキリキリする。どうしよう、非常に真実を告げにくい。


「これは、誰かに盗まれたのよ。それを知らずに転売されたのね、玉城は」


 よく考えれば、玉城が知っていて盗品を所持するわけないし、ましてや直接絵を盗むわけがない。真面目な玉城が、卑怯な行為をするわけがない。


「は? 泥棒からの転売!? 俺の払った金はお前に一銭も入ってきてないのか!? 許せない! そういえば、お前の絵が盗まれたって報道があったが、まさかこの絵だったのか!? 絵を売った男に連絡しろ、爺」


「わかりました! 坊っちゃま。警察にも連絡します!」

「ずっとお前の絵を買おうとしてもチャンスがなくて、やっと俺がお前のファンだと知っていた画商が直接話を持ちかけてきて、買えたのに」


 悔しそうな玉城は歯を食いしばる。


「坊っちゃま、大変です、警察を呼んだはずが咲良様のご家族がいらっしゃいました!」

「なんで知ってるの!?」


 私が叫ぶと。


「この前テレビで坊っちゃまのあの勇姿が全国中継された時一緒に映ったそうです」


 と爺が頭を抱えた。なるほど、クレープ痴漢事件のあの時。

 姿を消していた爺が困惑した顔で戻ってくる。嘘。咲夜達が!? このタイミングで!? 最悪だ。


「何ぃ!?」


 パニック気味の玉城は珍しい。今、前田家に玉城の両親はいなかったような気がする。つまりは、全部玉城が取り仕切るしかない。


「玉城様を騙した画商は呑気に家にいたみたいで、逮捕されたそうですが。寝ていたそうですよ」

「それはよかったんだが!」

「あたしとりあえずお茶を出して時間稼いできます!」


 青い顔で玄関に飛んで行く百瀬ちゃん。


「百瀬ちゃん、ありがとう」

「って思ったらご両親の他に部屋の中にすでにひとりいる気配がするんだけど!? 助けて咲良ちゃん、誰この男の人! この人って話題の弟さんでは!?」

「咲夜!」

「わたくしめはご両親の方をお相手してきますね!」

「お願い、爺」


 とうとう、来た。艶のある黒髪を真ん中でざっくり分けた、童顔(私よりはだいぶデカいけど)華奢な私の弟。いかにも東京のできる人間っぽくスーツで決めた二十六歳「児」咲夜だ。


「お姉ちゃん! いた! 何で急にいなくなったの!?」

「咲夜、仕事は!? 結構会社で大事な役職任されてたよね!? この前昇給したって自慢してた!」


 咲夜は中身や見た目は子供っぽいけど、実は勉強はできるしITの仕事はバリバリこなす「一応」エリートだったりする。人は言動や見た目によらないとはいうけども我が弟ながら本当にそう思う。


「そんなの無理やり切り上げてきた! 会いたかった! 僕だけのお姉ちゃん!」

「ちょ、皆、見ているから」


 いきなり人前で抱きつくのはやめてほしい。昔からだけど、さすがにもういい歳なんだから、恥ずかしい。そして、不安そうに玉城が寄ってくる。


「えっと」


 何か言いたげに、じっと私と咲夜を見る玉城。顔、似てないもんね、私達。でもまあ、昔テレビとか報道で見た顔だから、双子の弟だろうと、記憶を辿っているんだろうな。


「誰、この男」


 品定めするように頭からつま先までじっとりと玉城を見る咲夜の目つきは怖い。まるで結婚を申し込みにきた娘の彼氏を見る父親のようだ。そこに、居た堪れない表情の百瀬ちゃんも寄ってくる。


「咲良さんの弟さん? 綺麗な人だね」

「そうだけど、何」

「金沢でお世話になっています。西園寺百瀬です。ちなみに後ろの男の子は前田玉城様。この家のご子息です。私と玉城様は、どちらも二十歳です」

「どうも、桃井咲夜です。咲良お姉ちゃんの双子の弟です。こちらこそ、姉がお世話になってます。綺麗な着物だね。凄く品がある」

「ど、どうも?」


 急に愛想が良くなる咲夜に動揺する百瀬ちゃん。そりゃそうである。


 私と同性なので私を取られないとでも思ったのだろう。女の子の百瀬ちゃんには敵意も向けず笑顔で挨拶する露骨な咲夜に、私はドン引きする。なんて単純な奴。


 すると、百瀬ちゃんが小さな声で耳打ちする。


「なんだか性的な匂いのなさすぎる男性ね」

「百瀬ちゃん」


 唐突に何を言うのだろう。咲夜はというとずっと玉城を睨みつけて、睨まれた玉城はどうしていいか分からず困惑している様子だった。多分、どう立ち回るか考えているのだろう。その間に、百瀬ちゃんは続ける。


「ある種あたしの同類っていうか」

「え? っていうか、性的って、何?」


 何だか過激な言葉にドキリとする。せ、性?


「あ、ストレート過ぎたかな。色気っていうか、下心みたいなものが一切ないっていうか」

「は、はあ」

「もしかして、恋愛感情とか、そういう欲とかないかなのでは。勝手な憶測だけど。そういうセクシャルマイノリティもあるので、将来結婚をせかしていたり、強制しないように、とだけ余計なお世話だけだと言っておくね」

「はあ」


 よくわかんないけど、今言う事なのかな、多分百瀬ちゃんなりに、話題を変えて落ち着かせようという気遣いなのかもしれない。


「そういう欲がない人もいるし、そういう人にとっては友愛や親愛の方が大事だから、咲良さんへの愛は過剰かもしれないけど、それはどうしたって割合的に仕方がない事でもあるの。一応、言っておく。大事な友達だから」


 咲夜自身には何も聞こえてないようだ。


 「は、はあ、そうなんだね。ありがとう」


 なるほど。そういう趣向もあるのか。でも、なんか納得。咲夜ってそういう話一切聞かないし、異性への関心がないんだよね。お姉ちゃんと結婚する、とは言っていたけれども、恋愛と親愛の混同すら感じるぐらい。


「でもだからこそ、そういう人って友情や親愛を大切にする傾向にあるから、気をつけてくださいね。咲良さん」


 なるほど。結局はそれを言いたくて百瀬ちゃんはセクシャルマイノリティの話をしたのだろう。

 すると、咲夜が玉城を睨み飽きたらしくこちらに視線を戻した。


「お姉ちゃんは、やっぱり絵しかできない人間なんだから、画材ならいくらで僕が買ってあげるから東京に帰ってきなよ。描く場所もあげる。ううん、着るものも、食べるもの、住むとこも、スペシャルにいいものを用意する。衣食住以外もなんでもあげる。僕とずーっと一緒にいようよ。僕に死ぬまでお世話されればいいんだよ、ダメなお姉ちゃんは」


 私は思わず無言になる。咲夜……。表情は笑顔だし、目がキラキラしていて、悪意が微塵たりとも含まれていないのが逆に悲しくて、つらい。


「お前、どの口でそんな事を言うんだ!? 何を根拠に、自分を世話してくれたはずの咲良をバカにするんだ。咲良はダメなんかじゃない。優しいいい奴だ。そりゃ俺も事情はよく知らないけど、お前のために咲良は絵をずっと描いてきたんだぞ。自分を犠牲にして、お前に尽くしてきたんだぞ!?」


 玉城は激昂して叫んだ。百瀬ちゃんが驚いて肩をすくませていて、今までにないキレ方なのがよくわかった。玉城は不必要に声を荒げないタイプだろうし。


「うるさい! 赤の他人の癖に! お姉ちゃんが可愛いからって、惚れたんだろ、一目惚れだろ? それで家に招いたんだろ、変態!」


 何言っているの、咲夜。貴方の方がバカなの。


「そんなの関係ない。だからハッキリ言えるんだ。血縁に甘えるな! 家族こそ、血のつながった他人なんだぞ! お互い気を使い、感謝しあえ」

「うるさい! バーカ! 生意気なんだよ! 田舎者のガキのくせに!」


 玉城の言葉に泣きそうになっている咲夜はやっぱり歳の割に明らかに精神年齢が幼い。


「生意気でもいい。さすがに言わずにはいられないんだよ。それこそ大人なんだから、してもらった事への感謝はしろ! 子供の頃できなかった分も、今からでもしろ! お前の命が誰のおかげであるか理解しろ! このクズ! そして金沢は田舎じゃない! いいところだ!」


 育ちのいい玉城の口からクズなんて言葉が出るなんて、と私は思った。でも、それぐらい玉城が頭に来たのだと思う。きっと普段は絶対口にしない言葉だろう。思っても絶対言わない単語だろう。そしてやっぱり金沢をバカにされると怒るのも忘れない。


「もうやだ! お姉ちゃん、こいつ何とかして!」


 喧嘩を売った側のくせに、口喧嘩慣れしてない咲夜は、すぐ根をあげる。


「何言ってんの咲夜。失礼な態度とったのは咲夜でしょ」

「なんで!? 何で僕側につかないの!? 僕のお姉ちゃんなのに!」


 ダン、と足を踏み鳴らす咲夜。子供か。


「帰る!」


 回れ右をして咲夜は叫ぶ。本当に子供のまま成長していないにも程がある。会社では、それなりに告白はされている様子だけど、それは絶対そういう趣味の人か、顔か、お金目当てだろう。


「どこに」

「ホテル!」

「予約をちゃんと取ってから来たの? もしかして急に来たんじゃないの?」

「あ、取ってない! 漫画喫茶は?」

「咲夜みたいな体弱い子に漫画喫茶は無理!」

「僕もう体弱くない!」


 顔を赤くしてヒステリックに咲夜が言うのを見て、呆れ気味に玉城が近づいてきた。


「この家の部屋はいくらでも空いている。布団もある。食事も用意できるし、三人で泊まってけ」


 落ち着いた声で、爺と時計と外の暗さを見て玉城が言った。


「え、玉城、いいの?」


 あれだけ自分に失礼な毒を吐いた咲夜を、自分の家に招くの? 優しすぎない? 聖人君子?


「こんな暗い時間に咲良のために金沢に来てくれた人を放り出せるか。布団を出すのはお前がやれ、咲良」


 玉城、心が広すぎる。私なら、絶対そんな事はしない。こんな無礼な相手にこんな善行、無理。


「それぐらい、いくらでもするけど。使用人だし」

「お姉ちゃん、こいつの家の使用人なんかしているの?」

「うん、なんとお給料までもらっているんだよ。私、玉城の家の使用人のアルバイトしているんだ」

「ダサ」


 見下すような、寂しそうな顔をする咲夜は、軽蔑まじりに私を見た。月給いくらもらっているかは知らないけど、なんかムカつく。


「仕事内容で人をバカにするな。別にその仕事についている事でお前に迷惑をかけているわけではないんだから、迷惑をかけた時にだけ、文句を言え」


 玉城がまた淡々と咲夜に言う。これじゃあどっちが年上なのかわからない。ああ。姉としてなんだか情けなくて恥ずかしくなってきた……。なんだかもう、言葉にできない。


 私は重く深いため息をついて、玉城に言われた部屋に咲夜を案内した。

 後で合流した両親は、感動の再会よりも、何だかどっと疲れた顔で、私に謝って、咲夜が前田家の人達に何かしでかしてないか執拗に聞いてから私を心配していて、私のいない間の咲夜の行動が想像できて頭が痛くなった。


 きっと泣き叫んでいたり、情緒面も不安定極まりなかったんだろう。でも、仕事だけは終わらせただけマシなのかもしれない。


 ごめんなさい、私も咲夜も双子共々めっちゃやらかしています……。もう手遅れです。

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