第二部:愛の暴走と嫉妬の教育

第14話 悪役令息の隣には、システムエラーな恋人がいる

 朝。俺が目覚めたのは、豪奢な天蓋付きベッドの上だ。


「おはようございます、シン・ジエン」


 声に振り返ると、リ・ユエがいた。彼は、完璧にアイロンがけされた執事服に身を包み、優雅な動作で俺に朝の紅茶を差し出す。その瞳は、朝露のように透き通り、狂気の片鱗など微塵もない。


「おはよう、リ・ユエ。相変わらず早いな」


 俺は紅茶を受け取った。その香りは、俺が前世で好きだったブランドのものだ。魂を繋いでいるとはいえ、ここまで俺の好みを把握しているのは、もはや異能の領域だ。


 リ・ユエは俺の隣に座り、俺の頬をそっと撫でた。


「君の魂の揺らぎは、昨夜よりも安定しています。私が傍にいるおかげでしょう」


「当たり前だ。あんたの"機能"が優れているのは知っている」


 俺はわざと「機能」という言葉を使った。前作で世界の鎖から解放された後も、リ・ユエの俺への愛は、「世界を維持するための最適化」という論理がベースになっている。


 リ・ユエは気にせず、ただ俺の体温を測るように抱きしめた。


「今日も君の魂を揺るがすエラーコードは、私の監視下にはありません。素晴らしい一日になるでしょう」


 俺の胸に、彼の言葉とは裏腹の、冷たい危機感が走った。


「エラーコード」とは、俺の周りの人間、特に政略や人脈のために必要な人物のことだ。


 一週間前。俺が最大の期待をかけていた若手外交官候補の令息が、突如として社交界から姿を消した。表向きは「病気療養」だが、リ・ユエの顔を見ればわかる。


「リ・ユエ、今日の午後の予定を確認する。カイン子爵家の当主との会談は?」


「キャンセルしました」


 リ・ユエは当然のように答える。


「なぜだ?」


「カイン子爵は、君の侯爵家再建計画に無益なリスクをもたらすエラーコードです。彼が君の時間を浪費する前に、彼の領地で緊急の『地質調査』が入るように手配しました」


「地質調査…」


 俺はこめかみを揉んだ。異能を使って、他人の土地に公的な調査を強制的にねじ込んだのだ。外交どころか、独裁者の所業だ。


「リ・ユエ、俺に必要なのは人脈と自由な選択だ。あんたのやってるのは、最適化じゃなくて妨害だ。このままじゃ、侯爵家は孤立する。それは、新たな社会的破滅ルートだぞ」


 俺は声を荒げた。


 リ・ユエは表情一つ変えず、俺の瞳をまっすぐに見つめ返す。


「君の生存戦略は、あくまで『肉体の生存』が目的です。しかし、私の使命は『魂の安定』。君の魂に不安やストレスをもたらす全ての要因は、この世界の安定を脅かすエラーです。私はそれを削除しているだけです」


「つまり、俺の自由意志は無視か?」


「君の自由な選択が、君の魂の破滅に繋がるなら、それは機能不全です。私はそれを修正します」


 リ・ユエの瞳は、どこまでも澄み切っている。彼は嘘をついていない。純粋な愛と論理に基づいて行動している。これが、世界を救った最強の異能者の、新たな狂気だった。


「わかったよ、リ・ユエ」


 俺は椅子から立ち上がり、窓辺に寄った。窓の外の街並みは、昨日と同じように色彩豊かで賑わっている。しかし、俺の目には、その風景が、いつ崩れてもおかしくない書きかけの小説の断片のように見えた。


 ―このままでは、俺はリ・ユエの溺愛という名の檻に閉じ込められて、物語の主人公ではなくなる。


 その時、俺の視界の隅で、街角の掲示板の文字が、一瞬で意味不明な文字に変わり、そして元に戻るという現象を見た。


 リ・ユエとの繋がりを通じて、俺の魂に、世界のシステムの揺らぎが直接流れ込んでくる。


「システムが…新たな主人公を探している」


 俺は直感した。俺とリ・ユエの『愛のプロット』が不安定だと判断され、世界は「真の主人公」を再生成し始めたのだ。


「リ・ユエ、教育計画のスタートだ」


 俺は心の中で決意した。俺は、リ・ユエのシステムに『嫉妬』という名のバグを仕掛け、彼の愛を論理から感情へと書き換えてやる。でなければ、俺たちの愛は、世界にもシステムにも認められない。


「今夜、都で最も華やかな慈善パーティがある。私も出席する。リ・ユエ、あんたは秘書として同行しろ」


「承知しました。君に近づくエラーを、徹底的に排除しましょう」


 リ・ユエは無表情に頷いた。彼はまだ知らない。俺が仕掛ける次の「エラー」が、彼自身の魂の核心を揺さぶるものだということを。

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