第一章 真っ赤なビキニ
空が燃えていた。
コバルトブルーの絵の具をぶちまけたような空だ。太陽がぎらぎらとアスファルトを焼いている。俺はレイバンの向こうから、その女を見ていた。
女は、熱い砂の上にいた。
真っ赤なビキニ。それだけが、彼女の世界のすべてだった。汗が肌の上で宝石のように光る。長い黒髪が、潮風にゆるやかになびく。女はピニャ・コラダのグラスを傾け、水平線のかなたを睨んでいた。ただのバカンスじゃない。その目つきが、そう告げていた。
俺の仕事は、彼女の監視。それだけのはずだった。
黒い背広の男たちが三人、ビーチに現れた。場違いな服装。汗ひとつかいていない。冷たい爬虫類のような目が、獲物を探している。
目標は、赤いビキニの女。間違いない。
一人が、女のパラソルに近づく。
「よう、お嬢さん。探し回ったぜ」
下品な声だった。
女はゆっくりとサングラスを外す。氷のように冷たい瞳が、男を射抜いた。
「人違いよ」
「とぼけるな。ブツを渡してもらおうか」
男の手が、女の腕を掴もうとする。
その瞬間。
女の身体がしなった。砂が舞う。
グラスが宙を飛び、男の顔面で砕け散った。甘いラムの香りと、悲鳴が混じる。
「ぐあっ!」
残りの二人が、懐に手を入れる。銃だ。まずい。
俺はテーブルを蹴り倒し、砂浜を疾走した。間に合え、と祈る。
だが、その必要はなかった。俺が数歩踏み出すより早く、女はすでに動いていたのだ。
屈み込みながら、砂の上に置いたビーチバッグを蹴り上げる。中から飛び出したのは、日焼け止め――じゃない。黒光りする、ワルサーPPK。
乾いた銃声が二発、楽園の空気を引き裂く。俺が駆けつけるよりも、圧倒的に速く。
一発が、男の肩を撃ち抜く。
もう一発が、別の男が握っていた銃を弾き飛ばす。
すべては一瞬の出来事だった。
女は猫のようにしなやかに立ち上がり、銃口を残った一人に向けた。
「消えなさい」
その声は、絶対零度の響きを持っていた。
男たちは、傷ついた仲間を引きずりながら逃げていく。
静寂が戻る。観光客たちの遠巻きの視線が突き刺さる。
女はワルサーをビキニのボトムにねじ込み、俺を一瞥した。その目に、感謝の色などひとかけらもなかった。
「あなた、誰?」
「通りすがりの親切な男さ」
俺は両手を上げて、敵意がないことを示す。
「助けが必要かと思ってね」
「余計なお世話」
女はそう吐き捨てると、新しいピニャ・コラダをバーに注文した。汗ひとつかいていない。まるで、何もなかったかのように。
俺は、自分の任務がただの「監視」では終わらないことを確信した。
この女、イズミ。
彼女が持つ「ブツ」とは何なのか。
そして、次に現れる敵は、もっと厄介なやつらだ。
灼熱の太陽が、これから始まる長い一日を予感させていた。肌を刺す日差しが、やけに心地よかった。
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