第8話 ​すれ違う秘密と、遠くなる足跡

七瀬遙の言葉が、僕の胸に刺さった。


​「ねえ……私の願いが、いつか、あなたに届かなくなったら、どうなるの?」


​僕の能力が、彼女の「願い」という形で打ち消されている。もしその願いが弱くなったら?僕のタイムストップが彼女にも効いてしまったら?


​それは、僕たちが持っている特別な繋がりの終焉を意味していた。


​「大丈夫だよ、そんなことはない。君の願いは、僕が能力を使う限り、ずっと僕に届くさ」


​僕はそう言ったが、七瀬の表情は晴れなかった。


​「わからないよ。だって、この能力は、あなたと私の心の状態に左右される気がするんだ」


​僕たちは、それから時間を止めることを少し控えるようになった。止まった世界での秘密の散歩は、楽しかったけれど、彼女の不安を深めているように感じたからだ。


​数日後。


​僕は授業中に能力を使った。いつものように、逃げたくなったからだ。クラスメイトとの些細な意見の衝突が、僕の心を重くした。


​「タイムストップ」


​世界は静止した。僕は立ち上がり、教室を出ていく。いつもの「僕だけの日常」だ。


​廊下を歩く。誰もいない、静寂。


​いつもなら、七瀬を探してしまう。でも、今日は違う。彼女の不安な顔を見たくなかった。彼女の願いを試したくなかった。


​僕はそのまま学校を出て、街を歩いた。時間など気にせず、ただ一人で。


​しかし、ふと、僕は立ち止まった。


​違和感。


​いつもは僕の能力を打ち消して動いているはずの七瀬遙が、どこにもいない。いつもは、僕の視界のどこかに、彼女の気配を感じられたはずなのに。


​「……七瀬?」


​僕は、急いで学校へ戻った。


​教室に戻ると、七瀬は自分の席で静かにフリーズしていた。

​読んでいる文庫本は、宙に浮いたまま。視線は、僕が能力を使う前の、あの場所で固まっている。

​僕のタイムストップが、彼女にも効いてしまっている。


​「嘘だろ……」


​僕は駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。冷たい。まるで、凍りついた彫像のようだ。

​彼女の願いは、僕の能力に届かなくなっていた。七瀬の心が、何かによって深く傷つき、「動きたい」という願いを失ってしまったのか。


​僕の能力が、彼女を孤独な世界に閉じ込めてしまった。


​僕はパニックになった。この能力で、世界を動かせない。彼女を動かせない。


​「再開!」


​僕は心の中で叫んだ。


​世界が動き出す。音と色が戻り、七瀬は、まるで何もなかったかのように、手の中の本を読み進めた。

​僕は、彼女に話しかけることができなかった。もし、彼女の願いがもう僕に届かないのだとしたら、僕たちはもう、秘密を共有する特別な共犯者ではない。


​その日の放課後。


​七瀬は、僕に何も言わず、いつもより少し速い足取りで、一人で帰路についた。

​僕は、彼女の後ろ姿を見つめることしかできなかった。

​僕たちの間の秘密の道が、遠く、細くなっていくような気がした。

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