僕と朴

木塩鴨人

第1話 花壇の話

 僕のうちは、家全体が路面から少しかさ上げされた土地に建っていて、そのため玄関を出るとまず五段の階段があり、それを左右から挟んで花道を作るように、両脇に花壇が作られている。また、家の前面には車二台分の駐車スペースがあって、レンガ積みでこしらえた幅三十センチほどの花壇が、その空間と家との間に境界線を引くみたいに、途中二度折れ曲がりながら続いている。

 この家を建てる時に、母が強く望んで作ったものだそうだ。家の間取りが決まった後、外観をどうしようかと迷った若い両親は、わくわくしながら、週末の度にあちこちの新興住宅地にドライブに出かけ、見知らぬ家族が住む家々を見学して回った。結構根気よく方々を巡った果てに、母はまず、ある家の入口に飾られたくすんだ草色の鉄製門扉と、そこに作りつけられたローマ字の表札に心惹かれ、次に別の場所で見つけた、家の周りをレースの飾りのように長く縁取る細長い花壇を、見るなり、ああ、あんなのが良いと惚れ込んだという。計算すると当時の母の年齢は三十歳を少し過ぎたところ。今でも何かと可愛らしいものを好む母は、今よりもっとミーハー趣味全開の人だったのだろう。それは、当時の、まだ赤ん坊だった僕を抱く写真に見る母と、その写真に写る光景やら僕が与えられている玩具やらを見ても明らかだ。例えば、・・・写真の背景の壁に、ラッセンの月とイルカのポスターなんかが張られていたり。

 まぁ、僕はずっと、そして多分父も、そんなちょっと少女っぽいところのある母の傾向は、女の子の愛すべき幼さみたいに感じて好きなのだけれど。

 そして、家を取り囲む花壇を求めた後、母は一つ条件を付けたという。

「で、そこに花を咲かせるのは、あなたね。私はそれを見て楽しむのが役目。」

 父はそれに、

「ええ~。」

と、小さな抗議の声を上げながら優しい承認を与え、以来、約束通りに、春と秋にはホームセンターで花苗を仕入れて来て、弱り始めた先客の植物と植え替え、我が家の前面を走るその細長い花壇に、改めて生き生きと咲く新しい花たちを並べて行った。それはもう、涙ぐましいほどけなげな努力だった。植え替えの前には、いちいち、

「ごめんな、きれいに咲いてくれてたのにな、ごめんな、ありがとうな。」

と呟きながら、丁寧に先の植物を抜き取り、改めて肥料と消石灰を混ぜて土を耕し、一週間ほど馴染ませてから、新たな花を植えた。

「こうしないと、土に負けて、うまく根付かないで枯れてしまうのが出ちゃうんだ。」

 保育園に通う頃から小さなスコップを手にそれを手伝っていた僕は、独り言を言うみたいに呟きながら作業をするその父の言葉に、まるで師匠に仕込まれるようにして、数々の秘訣を学び取り、ほとんど手間をかけなくても長く咲き続けるのは何という花か、とか、いろんな色のものがあってバリエーションが華やかなのはどの花か、とか、加えて、何よりも、花には優しくしてあげなくちゃ元気に育たないんだぞということとか、そんなことをあれこれ覚えていった。

 そして、この、母に忠誠を誓った我が藤井家専属の父子庭師の努力で、確かにその場所には一年中、美しい花が咲き続けた。植え替えた初めは、間隔を空けてぽつんぽつんといくらか寂し気に直立していた一輪ずつの花が、ニか月もするうちには、茎を増やし枝分かれして、やがて湧き立つ小さな森のようにそこを埋め尽くす。その頃になると、父は決まって僕を家の前の道に連れ出し、道の真ん中からその全貌を眺め、満足げに頷いて、

「うん、いいよな。」

と、横に並ぶ僕に語りかける。そして、それは確かに美しいので、僕は素直に、

「うん。きれい。」

と無邪気に答える。それを見た父はとても嬉しそうな笑顔を浮かべ、しゃがんで右手に僕の肩を抱き、二人頬をくっつけ合わせて、暫くそれを眺めている。数か月おきに、僕と父は儀式のようにそんなことを繰り返していた。僕は、花壇が成長した新しい花で溢れるようになると、そろそろかなと、そのしきたりが踏襲される日をわくわくしながら待っていた。僕もまた、なかなか可愛らしい子供だったんだ。

 けれども、一方、それを見て母が、わぁきれい、とか、ありがとう、とか言った姿を僕は見たことが無い。

 一度か二度、父がしびれを切らして、

「ねぇ、たまには僕の努力を称賛してくれてもいいと思うんだけれど。」

と、おねだりをしたのを見た覚えがある。でも、その度に母は、

「だって、それは約束だもん。」

と、冷たく跳ね返したのだった。

「ねぇ、約束って、なに?」

 僕は不思議な顔をして父に尋ねた。

 そして、僕は父から、我が家に於いて彼の果たすべき、引いては彼と僕の父子に課せられた、この重要な任務が発生した由来を知ったのである。母は、それを僕に説明する父の様子をじっと見ていて、そうか、ずっとしているこの作業はお母さんとの約束なのかと、納得顔で父の顔を見返している僕に、

「だからね、あれはね、特別な花壇なの。」

と、君臨する女王のようにつんと鼻を突きあげて、幸せそうに笑っていた。そんな様子も、僕はよく覚えている。そして僕は子供心に、この信頼は裏切るわけにはいかないんだなと、父の心をよく理解できたように感じていたのだった。

 以来、僕は、どんな場所でも、花壇を見るとつい足を止めてそこに咲く花を見続ける癖を身に着けた。保育園の花壇、小学校の花壇、通学途中にある家々の花壇。不思議と、道端の花には心惹かれないのだった。囲われた枠の中で、誰かの意図をもってそこに植え付けられた花が元気に咲いているのが嬉しかった。校外学習などで、バスに乗って他県の自然公園に出かけた時も、広い芝生の広場で走り回っている同級生たちを尻目に、僕はしゃがみこんで、いつまでも、綺麗に植え込まれた花の群れを見続けていたりした。三十分、一時間、そうしてただ同じ区画を少しずつ移動しながら過ごした。全然飽きなかった。枯れた花が見当たらないのは、こまめに花がらを摘んでいるのだろうな。でも、あの奥の方なんか、どうやってあそこまで行くのだろう。ああ、この花は横のやつと少し違うよな。えっと、この花は何て言うんだっけ。

 青空の下でそんなことを思い浮かべながらじっと眺めていると、時間なんてあっという間に過ぎて、そんな時間が僕にはとても心地良かった。

 そんな時の僕の姿は、周りからは変な奴と思われていたかもしれないけれど、それ以外の時の僕は至って普通の子で、友達とも仲良く遊んだし、よく話したし、足は速い方で運動もまぁ得意な方だったから、周囲から距離を置かれることもいじめられることも無かった。

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