第6話 偏見を抱きしめて

「駐屯地に戻り次第、指示を出します」

 俺がそう言うと、大隊長は深く頷いたあとで口を開いた。

「あとは時間稼ぎ、だな」

 その言葉で、目的が修正されて定まった。目的が子供の脱出で、目標は子供の脱出までの時間稼ぎになった。おお。これなら死んでもいいんじゃないか、俺は。まるで軍人の鑑のような話ではないか。こういう任務が嫌いな軍人も中々いないだろう。まあ、部下の獣人は別だろうが。そっちについては別途考えつつ仕事しよう。気持ちのいい仕事になりそうじゃないか。

 俺が難しい顔をしつつ、内心そんなことを考えていると、狭い場所の中で身動ぎするやつがいた。

「全部が誤報だったらなぁ」

 今まで一言も喋ってなかった幕僚の一人だ。頭を抱えている。正直すぎる意見だが、嫌いではない。軍人の中にもこういう任務にノレないやつはいる。そいつがじゃあ死ぬかという団体の中に混じっていたら、気分的に死にそうになるんではなかろうか。

「まずは確かめることです」

 俺はそう言葉をかけた。俺は俺の部下の報告を納得しているが、組織というのは何重にも確認せずにはおられないものだ。良い悪いにかかわらず。そういう重複を外していったら軍隊の規模は半分、官僚なら一〇分の一くらいでいけると思う。

 馬車がついた。俺は飛び出して指示を出しに行った。

「各小隊長と軍曹は中隊本部に集合。大至急だ」

 俺が声をかけると、すぐに五〇尋は先の麦姫兵長が動いた。この辺の距離感の違いが、獣人との軋轢の原因の一つだったりする。人間としてはもう少し近くの距離でわかりました。とかやってほしいわけだ。しかし獣人はそう思わない。声が届いたらその時点で動き出す。一旦寄ってくるなんて無駄なことはしない。人間の常識や身体能力を前提にして軍の制度ができているのは、問題だよなあ。最近じゃ、軍の二割は獣人なのだ。

 慌ててたどり着いた中隊本部の入っている建物では、すでにワイベスヘル少尉と虎次郎軍曹がいた。ロビン少尉とかの子軍曹は遅れているようだ。こちらは休めと言っていたので、少し遅れるのは仕方ない。

 二人の到着を待たず、俺は説明を始める。

「国境警備大隊として追加の偵察をかけつつ、我が中隊からはスナオシの街に伝令を出すことにした」

 ワイベスヘル少尉も虎次郎軍曹も黙って聞いている。ワイベスヘル少尉も少しは事態の深刻さがわかってきたのかもしれない。まあ、大隊長の顔とか見たんだろうな。

「伝令として現地に二時間でたどり着いたあと、補給用の川船を可能な限り全部入手してここに持ってくるのが任務だ。んで、その川船に乗るのはこの街の子供たちということになる」

「二時間で一七〇〇〇尋を走るのですか」

 ワイベスヘル少尉が、唖然とした顔をしている。俺としては鼻息もない。

「獣人ならわけもない。軍曹、四〇名を選抜できるか」

「よほど脚が遅くなければ誰でも大丈夫でしょう。ああ。でもそれくらいの距離ならば、鹿人が一番向いてそうですが」

「鹿人を集中配置していたのは第四小隊だからな」

 徹夜で仕事させた後だ。とはいえ、鹿人は臆病なので戦闘任務では使いにくいのもまた事実。どうしようかと考えていたら、当のかの子軍曹とロビン少尉がやってきた。

 かの子軍曹を見る。鹿人の女性である彼女は、随分と可愛らしい瞳をしている。これで八人の子持ちとは、いや。思いの外元気そうだな。

「かの子軍曹」

「説明は聞いていました。問題ありません」

「大丈夫か、往復三四〇〇〇尋、人間なら参ってしまうような距離だが」

「私達は人間ではありません」

 ごもっとも話だ。俺は頷いた。

「では、連続で悪いが第四小隊をあてよう。とはいえ、人間も一人は欲しいな。説明係として」

 獣人がなにか言っても、まともに聞き入れてくれない可能性はあるからだ。

 ロビン少尉を見る。どもり癖のある少尉は心底嫌なのか震えている。小隊長を二人も使うわけ無いだろと思いつつ、ここで使う人材を考えた。

「中隊本部から一人、人間をだす。武器や装具は置いて、身一つで走らせよう。片道だけ持てばいい」

 それでも、完全装備の鹿人から遅れる可能性は十分にある。なるべく健脚を当てないといけない。

「第四小隊には大鹿人もいます。彼に運ばせましょう」

 かの子軍曹がそんなことを言った。大鹿人とはかの子軍曹のような鹿人とは近縁の別種で、北方に生息する大きい鹿人だ。どれくらい大きいかと言えば、馬より大きい。角も立派で気性も荒い。鹿人のグループ内では一番戦闘任務に向いているのだが、図体が大きいせいで射撃戦では使いにくい。いい的になってしまう。

 頷きつつ口を開く。

「いざとなったら、そうだな。とはいえ、自分の脚である程度までは走らせたい。麦姫兵長。人間から一人選んでおいてくれ。脚が早くて頭はそこそこ、できれば若いやつだ」

「シュミート一等兵がいます。人間の一六歳です」

「いいな。それでいこう」

 兵長の即座な返しにちょっとした満足感を覚えつつ、俺は楽しくなってきた。

「残る第一から第三小隊は戦闘準備だ。一時間でやれ。どうしたワイベスヘル少尉」

「本当に敵が来るんでしょうか。だいたい、何の得があるっていうんです」

「少尉。大事なことを教えよう。敵の事情を推定しても大体外れる。なぜなら論理や損得だけで動くわけではないからだ」

 まだ納得できていなさそうな少尉に、俺は言葉を続ける。

「例えば選挙だ。ミーデン共和国の総選挙はそろそろのはずだ。それでまあ、選挙に勝つために向こうの政府が戦いを仕掛ける可能性がある」

「そんなことで戦争があってたまるか! いや、失礼。まあ、確かに。向こうの新聞では野党が戦争を主張していました……」

「ま、正確なところは分からんがね。とりあえず最悪の事態を想定して動け、とは教えたな。教えたとおりにやれ」

「誤報であることに期待しつつ、わかりました」

 かの子軍曹の眉毛が動いているのを見たが、俺は無視した。こと、ここに及んでワイベスヘル少尉がサボることもあるまい。口くらいは言わせておけばいい。

「ところでかの子軍曹」

「はい」

「人間の子どもたちは逃がす予定なんだが、我が隊にも獣人の子供がいるだろう。員数外の」

 獣人の中には部隊勤務している間にポコポコ子供を生む者もいる。人間だったら大問題だが、こと獣人になると一々咎めていると部隊運営に支障がでるほどよくある話ではある。実際子供を生んだばかりの鹿人が平気な顔で訓練しているのを見たこともある。なんなら生まれて数時間の子供も一緒に走ってた。

「はい。中尉、おります。それが?」

「一緒に連れて行ってやってくれ。避難だ」

 俺がそう言うと、かの子軍曹は少しだけ嬉しそうに笑った後、敬礼した。虎次郎軍曹や麦姫兵長も微笑んでいる。

「ありがとうございます、中尉。獣人を代表してお礼申し上げます」

「例には及ばない。単に平等に扱いたいだけだ。いや、船には乗れないのだから平等ではないな。すまない」

「はい。中尉。いいえ。人間にいいところがあるとすれば中尉がいることでしょう。そして、子供たちですが、できれば中隊と一緒に活動をさせたく思います」

「危ないぞ」

「中尉のおられるところが、一番マシです」

 またも一番マシ、か。

「分かった。かの子軍曹が言うならそうなんだろう。一応例外がいるかもしれんから、確認だけはしといてくれ」

 例外はいなかった。獣人どもは俺に命を預けた。

 これから最前線になろうって言うのにな。くそ、急に仕事が面白くなくなってきたぞ。さっきまで自分がどう華々しく戦死するか、わくわくしていたってのに。

 さしあたって時間稼ぎの準備を行う。普通にやれば六〇〇人で尖兵四〇〇〇人を相手に有効なほどの時間稼ぎなんてできはしないだろう。敵は戦わないで迂回する選択肢すらある。それで多少の時間は食うかもしれないが、俺達が欲しいという時間には遠く届かない。

 戦わないでも勝てる。敵はつまり、最高に優位な状況にある。

 この状況でどう時間を稼ぐか。いっそ子どもたちを抱いて獣人たちで逃げるか。七〇〇人は無理でも三〇〇人は助けられるかもしれない。

 まあ無理か。命おしさに逃げているなんて言われるのがオチだ。獣人部隊は偏見という不合理に手足を縛られて戦わなければならない。

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