魔石グルメ/結城涼
<幾度目かの祝福の夜と、贈り物と。>
イシュタリカ王都、キングスランドにて。
街路樹を彩る葉は色を変え、行きかう人々の装いにも秋らしさが漂いはじめていた。
特別な祝いの日が迫っていることに加え、今日が一般的な休日だったこともあり、王都はどこも人で活気立っている。
そんな日の早朝に、
「なんか、すごく貨物が多くない?」
王都が誇るどこより大きな駅、ホワイトローズで少年が口にした。
名をアイン・フォン・イシュタリカ。母譲りの中性的で優しげな顔立ちに、凛とした雄々しさを内包させた王太子である。
白を基調とした衣装に身を包んで駅を訪れた彼は、到着したばかりの水列車を眺めていた。
連結された貨物車は、駅のホームからでは見渡せないほどつづいている。その様子に目を奪われる彼の横で、「私もはじめて見るかも」と口にした少女がいた。
「節目のお祝い事だからかしら。私もびっくりしちゃった」
そうつづけた彼女の名を、クローネ・オーガスト。
くすみ一つない銀へ蒼玉を溶かし入れたような髪は淡く輝き、どんな宝石も劣る澄んだ双眸は見ているだけで引き込まれてしまいそう。
妖精を想起させる可憐さと、姫のような気位の高さを漂わせた少女だった。
彼女が祖国を離れてイシュタリカに渡って久しく、いまではアインの補佐官に就いている。この日も彼の公務に同行していた。
「あー……だから、お爺様たちもいつもより忙しそうにしてたのかな」
「ええ。それにウォーレン様とロイド様もね」
アインは城の重鎮たちがいままでになく忙しなくしていた光景を思い返し、ふぅ、と短く息を吐いた。
彼らはどちらからともなく顔を見合わせると、くすりと笑って口を開いた。
「俺たちも準備しよっか」
「そうね。私たちも頑張らないと」
駅のホームへ降りる陽光が、二人の横顔を照らしていた。
――――イシュタリカが建国されてから、長い年月が経つ。
今年はその節目の年ということもあって、近く、王都中に加え城でも祝いの席が設けられることになっていた。
そのために必要な品々が数多く王都に届きつつあったのだが――――王太子と補佐官が荷解きのために足を運んだわけではない。この日は節目となる建国記念日に先立ち、ホワイトローズで関連した催しが行われることになっていたのだ。
……やがてその催しも無事に終わり、気が付けば昼の十二時。
賑わう駅を視界の端に収めながら休憩していた二人の耳に、よく知る女性の声が届いた。
「アイン様、クローネさん」
クリスティーナ・ヴェルンシュタイン――――アインの専属騎士を務めるエルフの女性である。
金糸にも似た髪は歩くたびに上質な艶が揺らぎ、凛とした美貌に品格を兼ね備えていた。
人懐っこい声で二人の名を呼びながら歩を進める姿は華やかで、知らず知らずに異性の視線を奪ってしまう。
しかし、
「っ……あぅ」
以前と変わらず、ぽんこつと呼ばれる所以も垣間見えた。
彼女がアインとクローネに声をかけるや否や、何もないところでつまずきかけた姿を、二人も目の当たりにしていた。
「クリスの仕事も終わった?」
「はいっ! なのでこっちに来たところで――――」
「……それでつまずきそうになっちゃった?」
「――――ううん。なってません」
目の前の出来事だったのに否定してみせた金糸のエルフに、アインは数秒にわたって視線を送りつづけた。
その仕草に対して彼女はそっと視線をそらし、「こほん」と咳払い。すべてなかったことにするべく話題を変えた。
「こちらでの式典はいかがでしたか?」
「ちゃんと終わったよ。それで、午後のために休んでたとこ」
「よかったです。それにしても……駅は一段と人がすごいですね」
「各都市からの観光客の方々も多いみたいです。宿もほとんど満室なんですって」
クローネが思い出しながら言い、再び周囲の様子に目を向けた。
何かを探すようにきょろきょろと見回しはじめた彼女を見て、アインはどうしたのかな、と小首を傾げてみせた。
「何か探してるみたいだけど、どうかした?」
「う、ううん! 私なら大丈夫だから!」
クローネにしては珍しくはっきりしない返事だったが、アインはそれ以上尋ねることをしなかった。
やがて彼女は、「……帰る前に確認しなくちゃ」と誰にも聞こえないように呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇
遥かに高く、巨大な建築――――王城。
その高層階のバルコニーにて、オリビア・フォン・イシュタリカは優雅なひと時を過ごしていた。
起伏に富んだ体躯は彼女の優艶な一面を、天使のように清楚な容姿は、彼女が聖女と呼ばれる所以を語っているかのよう。
艶やかな茶髪を風に揺らすだけでも絵になる、傾城の言葉が似合う女性だった。
「もう……お姉さま。どうして先ほどから机に倒れ込んでいるのですか」
「そんなの、決まってるのニャ」
そんなオリビアの隣にいたのはカティマだ。
ケットシーの血を引く第一王女の彼女は大きく息を吐き、声にする。
「公務を頑張りすぎたのニャ」
「ですけど、夕方からも公務ですからね」
「わかってるのニャ……アインたちも頑張ってるだろうしニャ」
力が抜けた姉の様子にオリビアは笑みを浮かべ、テーブルに置いていたティーカップを手に取った。
……そろそろ休憩を終えて仕事に戻らなければ。
口にせずとも二人が考えを共有しはじめたところで、バルコニーへと給仕のマーサが姿を見せた。
「お二人とも、アイン様たちがお帰りになりました」
「とゆーことはクローネもだニャ。例のブツも無事に届いてたのか気になるニャ~」
「……例のブツ?」
「気にしないで、マーサ。前に話してた物のことだから」
「でしたら大丈夫です。お祝いの前なのに、陛下へ報告に行かなければならないのかと思ってしまいました」
もし、何か隠していたら――――。
度々騒動を引き起こすカティマに視線でそう釘を刺すことを忘れずに、マーサが涼しげな声で言った。
「私がいかに信頼されてるのか、よくわかる台詞ニャ」
第一王女は自嘲気味に言い、城下町へ視線を下ろした。
◇ ◇ ◇ ◇
建国記念日まで、目まぐるしく時間が過ぎた。
遂に訪れたその夜、夜会が開かれていたのは城の大広間だ。豪奢な飾りつけが施され、いままでになく多くの来賓を迎えていた。
煌びやかさと華やかさが、どこを見ても広がっている。
その一方で――――。
息をつく暇がないほど忙しなくしていたアインとクローネが、会場の片隅にいた。
「……少し落ち着いたかな」
「ふふっ、お疲れ様。いまなら少しだけ休めるかしら」
だが、そう思えたのも束の間のことだ。
「殿下、この後よろしいでしょうか」
「――――大丈夫だよ。クローネも平気?」
「ええ。心配しないで」
クローネはアインの補佐官として常に傍に控え、ときに来賓との語らいに同席したり、挨拶のために人前に立ったり……。
こうして彼と共に過ごしながら、心の中では別のことに気を取られていた。
……そろそろ、渡したいんだけど……。
……でも、いまは迷惑……よね。
声に出すことなく心の中で呟いたクローネは、懐に忍ばせた小さな箱の存在を思い、隣を歩くアインの顔を見上げた。
クローネの生家で二人が出会ったとき、年上のクローネはいまと違ってアインを見上げるようなことはなかった。いまでは彼を見上げる度に胸を高鳴らせているが、慣れる様子はいまのところない。
「……なんか、ずるい」
口癖のようにそんな言葉を漏らしてしまうのも、仕方のないことだった。
数十分、一時間と時間が過ぎても二人は忙しそうにしていた。
彼らに限らずクリスにオリビア、それにカティマたちも同じような状況で、すれ違うたびに互いを労った。
「……やっぱり、パーティが終わってからじゃないと無理かしら」
クローネは懐に忍ばせた品のことを再び思い、嘆息してみせた。
また隣でアインも似たように息を吐いてみせたのを、彼女は見逃さなかった。
「アイン? 何か気になることでもあった?」
「あ、えっと……何でもないよ」
「そう? 残念そうなため息だったけど……大丈夫? 疲れたのなら無理しないでね」
「ああいや、それとは別の――――じゃなくて」
本心を隠すように言い繕ったアインが話をつづけた。
「クローネこそ、無理しないように」
夜も更けてきたが、会場の賑わいはほとんど変わっていない。
寝る前にアインに少し時間をもらおう。クローネがそう思いはじめたところで、疲れた様子のカティマが二人の前に顔を見せた。
「二人も大変そうニャ」
「カティマ様もお疲れ様です。こんなに賑わうパーティなんて久しぶりですもんね」
「ニャハハ。本当にニャ。――――けど、賑わいすぎてるからかニャ。二人とも、なんか言いたそうな表情を浮かべてるように見えるニャ」
「カ、カティマ様!」
「カ、カティマさん!」
声を重ねた二人が可愛らしく見え、カティマが髭を揺らす。
片や声が重なった二人はそこに疑問を覚えた。彼女が、彼が、どうしてカティマの言葉に動揺していたのかが気になって。
カティマはそれからすぐに立ち去ってしまい、残された二人が互いを見た。
――――すると。
「え?」
ふと、アインがクローネの手を取った。
彼女は唐突なことに驚き、また胸が早鐘を打ちはじめたのを感じつつ、急に歩きはじめたアインの後につづいた。
「ア、アイン!?」
「ごめん、ちょっとだけ」
普段より少し強引で、だけど優しい声で。
まだパーティ会場にいなければならないのに、アインはそれでも会場の出入り口へ向かう。
途中ですれ違ったマーサへ「少しだけ席を外すね」と告げると、一瞬だけ面食らった彼女は「かしこまりました」という穏やかな声を返した。
会場を離れていくのにつれて、静けさが二人を包みはじめた。
やがてアインが訪れたのは、先ほどの会場とは別の広間だ。
「……ここって」
明かり一つないが、大きな窓から入る星明かりで室内は十分見回せた。
たった二人だけの空間で、クローネはここで起きた昔の記憶を思い返した。
確か、彼女がイシュタリカに渡って間もない頃のパーティだったろうか。わけあってイシュタリカ貴族から心無い言葉を投げかけられた彼女が、まだお披露目が済んでいなかったアインに助けられた夜のことだ。
思いがけずここに足を運んだことに、アインとクローネは懐かしさを覚えた。
月明りに照らされた二人の様子がまるで、神秘的な聖画のよう。
「急に連れ出して、どうしたの?」
「……これ、パーティが終わる前に渡したいって思ってたからさ」
そう口にすると、アインはジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。
中にあるのはクローネへの贈り物。この夜に渡したいと思っていたけれど、いままで時間がなく叶わなかった。
だから――――こうして二人になろうとした。
贈り物を受け取ると、クローネはぎゅっと胸の前で抱きしめた。
そして、目の前のアインを見て微笑。窓の外に広がる満天の星でも劣ってしまう、煌めく可憐な笑みだった。
「――――うれしすぎて、全然言葉が出てこなくなっちゃった」
しかし、クローネも。
「あのね、私もアインに渡したい物があるの」
「え? クローネも?」
「そ。私もアインと同じで、この夜に渡したいって思ってたんだからね」
じれったく思うこともあったが、ようやく彼に贈ることができた。
当然、互いに贈り物を見てみたいという気持ちは高まっていくけれど、その気持ちに負けじとこの時間を愛おしく思って見つめ合う。
ややあって、クローネがくすりと笑った。
「……でも、やっとわかったわ。カティマ様があんなことを言ってたことも、アインが私と一緒に驚いてたことも」
「言われてみたら、だからあのときは同じ反応だったんだ」
「そういうこと。私たち、お互いにカティマ様に相談してたのね」
「あはは……ってことになるのかな」
カティマはきっと、もどかしそうにする二人の様子を見て楽しそうに笑っていたのだろう。
やがて――――。
夜空いっぱいの星に照らされたクローネが、アインを見上げた。誰より愛おしい彼へ声を弾ませて、滅多にしないお願いをするために。
「ねねっ。もう少しだけ、二人きりでもいいと思わない?」
ここから遠く離れた地で逢い、今日まで紡がれつづけた物語。
きっとそれは、まだ終わっていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます