サイレント・ウィッチ/依空まつり
<パーティ会場と遊び心>
セレンディア学園生徒会会計モニカ・ノートンは小さな達成感を胸に、生徒会室に向かっていた。
彼女が大事に腕に抱えているのは、学園祭の各部門長から預かった、予算報告書等の書類、封筒などである。
この学園に来たばかりの頃は、他人に話しかけるのが怖くて仕方なかったけれど、最近は生徒会の仕事絡みなら、自分から話しかけられるようになったのだ。
まだ雑談ができるほどではないし、話し方も少しぎこちないけれど、モニカには大きな一歩である。
その達成感を噛み締めながら、モニカは生徒会室の扉を開けた。
「ただいま、戻りましたっ」
生徒会室ではシリル、エリオット、ニールの三人がそれぞれ作業をしていた。フェリクスとブリジットは離席しているらしい。
モニカは自分が使う予算報告書を机に置き、部門長から預かった書類や封筒を手に、エリオットのもとに向かった。
「ハワード様、これ、設営部門の方から、です」
「あぁ、会場の設営案か。今年も随分と案が出たな」
エリオットは封筒の中身を取り出して、パラパラと中身を確かめる。
それを尻目に、モニカはシリルとニールにも、それぞれ書類や封筒を渡した。
「こっちはシリル様で、こっちはメイウッド様、ですっ」
「あぁ、ありがとう」
「助かります! うーん……これは早めに確認した方が良さそうなので、ちょっと行ってきますね」
シリルの方は急ぎの案件ではなかったようだが、ニールは封筒の中身を確認すると立ち上がった。
そんなニールにシリルが声をかける。
「メイウッド庶務、演劇クラブの方に行くのなら、練習に使える部屋で空きが出たと伝えてくれ」
「はい、分かりました。伝えておきますね」
ニールは一つ頷き、部屋を出ていく。
学園祭に関する仕事は多岐にわたるが、招待客の対応など外向きの仕事はフェリクス、エリオット、ブリジットが担当している。
一方、生徒や業者とのやりとりをするのが、シリル、ニール、そしてモニカだ。
更に生徒会長のフェリクスと、副会長のシリルは、全部門・クラブの進捗も管理しているのだから恐れ入る。
(シリル様、すごいなぁ。全部のお仕事、把握してるんだ)
生徒会役員になって日が浅く、人見知りの激しいモニカは、あまり対人能力が問われる仕事は振られていない。主に経費や備品の管理など、数字と向き合うものばかりだ。
モニカがシリルに尊敬の目を向けていると、会場の設営案を見ていたエリオットがモニカに声をかけた。
「なぁ、子リス」
「へぁ……は、はいっ」
エリオットは数枚の設営案をヒラヒラと振ってみせた。
「君ならこの会場をどう飾りつける?」
「会場の、飾りつけ……ですか?」
「あぁ、学園祭の後、大ホールで舞踏会が行われるだろう? そこの飾りつけさ」
学園祭後の舞踏会には、学園の生徒達だけでなく国内外の有力貴族達も招かれている。ともなれば、舞踏会の準備は生徒会にとって重要な大仕事である。
その会場の設営部門に指示を出しているのが、他でもないエリオットなのだ。
彼は、昨年も会場の装飾を担当し、その手腕とセンスを来賓達から高く評価されているらしい。
(飾りつけって、言われても……)
貴族の子女が通うこの学園では、生徒達が自らの手で飾りつけを施したり、椅子を並べたりなんてことはしない。全て依頼された業者の人間がする。
それでも、会場の飾りつけに使われる装飾や花、食事や食器の用意に、音楽家の手配、警備等々管理するべきことは多く、各部門長の上に立つ生徒会の責任は重い。
殊に会場の装飾は、招待主の格式や品性、センス等が問われる重要なものとなるので、慎重に決める必要があった。
おそらくエリオットも、本気でモニカにアイデアが出せるとは思っていないのだろう。
エリオットは時折、こうしてモニカの苦手な分野の話を振って揶揄ってくることがある。
見かねたのか、シリルが口を挟んだ。
「ハワード書記、そういったことは……」
「意見交換は必要だろ? それに……」
エリオットは軽く肩をすくめると、垂れ目を細めてモニカとシリルを交互に見る。
「生徒会役員なら、会場に関する案の一つや二つ、出せて当然だよなぁ?」
あうっ、とモニカは呻き、シリルはムッと唇を曲げた。
そんな二人に、エリオットは「ほらほら、何か意見をくれよ」と設営案をピラピラさせながら言う。
モニカはすっかり困ってしまった。
生徒会会計モニカ・ノートンは仮の姿。モニカの正体はこの国の魔術師の頂点七賢人が一人、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットである。
……が、人見知りのモニカはいつもフードを目深に被って俯いているし、パーティの類は全て欠席している。
七賢人として出席した式典会場のことを思い出そうとしたが、床のタイルの模様しか思い出せなかった。
「あまり華美なものは感心しない。我々は学生なのだから、パーティも質素であるべきだ」
シリルがキッパリと言うと、エリオットはニヤニヤ笑いを深くした。
「へぇ、学園祭のパーティなんて殿下が主役も同然なのに、副会長殿は貧乏くさいパーティをご所望か」
「むっ」
シリルが細い眉をひそめてエリオットを睨む。
エリオットは会場の図面を取り出すと、それをシリルとモニカの前に置いた。
「俺は打ち合わせに行ってくるから、その間に少しはまともな意見を出してみろよ。どうせなら、遊び心のあるやつがいい」
* * *
エリオットが部屋を出ていった後、モニカはシリルを見上げた。
シリルは気難しい顔で図面を睨んでいる。
「シリル様」
「なんだ」
硬い声で訊ねるシリルに、モニカは恐る恐る問う。
「あ、遊び心って、なんでしょうか?」
「…………」
シリルは物知りで、頼りになる先輩である。昨年のパーティも経験しているし、きっと遊び心のある飾りつけのことも知っているだろう。
期待の目を向けるモニカに、シリルが唇を引き結んで目を泳がせた。
遊び心と無縁の男は、後輩の期待に満ちた目に応えようと必死で言葉を絞り出す。
「それは、つまり……遊び心がある会場とは、招待客が楽しいと感じるもの……では、ないだろうか」
「遊び心は、楽しいと感じるもの……」
シリル様はすごい、とモニカは素直に感心した。おかげで遊び心のある装飾が何か、理解できた気がする。
つまり数学的美しさのある空間を作り上げれば良いのだ。それなら間違いなく見ていて楽しい。しかも数学的美しさは建築物にも反映されるものである。ならば、会場の装飾にも適用されるはずだ。
モニカはペンを手に取り、ウキウキと図面に線を書き込む。
「シリル様、この中央のダンスホール、ここで区切りましょう。そしたら縦横比が黄金比ですっ。楽しいです!」
勝手に書き込みをするモニカをシリルは止めなかった。
何故なら、彼は今、敬愛する殿下に相応しい会場のことで頭がいっぱいだったのだ。
「確かに殿下の威光を示すために、華やかさは必要だろう……だが、必要以上に絢爛にするのは悪趣味と思われかねん……」
「壁の装飾布は部分的にカテナリー曲線を用いて……ここは数式で……双曲線関数……えへ。あ、そうしたら、テーブルとソファの角度も……」
「華やかにするには、やはり花か? ……一番目立つ場所に大きな花瓶を置けば……」
モニカはクフクフ笑いながら数式を書き込み、シリルは唸りながら図面に花瓶や花の絵を描き込む。
ところでシリル・アシュリーは全く絵心がない男である。彼は何を描いてもウニョウニョになり、事あるごとにエリオットに揶揄されているのだ。
そんなウニョウニョ職人と、数字に夢中になった少女─二人の奇跡の合作が、今ここに生まれようとしていた。
* * *
「……あの二人に、会場の飾りつけ案を?」
生徒会室に戻る最中、エリオットの話を聞いたフェリクスは、穏やかな顔のままほんの少し眉を下げた。
「私は、仕事の分担は適材適所となるように采配したつもりだけど?」
こちらの采配に不満が? と言外に匂わせるフェリクスに、エリオットは余裕綽々の態度で肩を竦める。
「たまには違う分野の仕事に触れるのだって大事だろう?」
確かにその通りだが、エリオットはモニカとシリルを思いやり、飾りつけ案を考えろと言ったわけではないだろう。ただの意地悪だ。
だが、意趣返しにモニカやシリルの仕事をエリオットに任せても意味がない。エリオットは器用なので、どんな仕事でもそつなくこなしてしまうのだ。
一方モニカとシリルは平民出身で、社交界の事情に疎い。会場の飾りつけを任せるのは些か酷だろう。
もし、あの二人が飾りつけについて何か意見を出したら、あまり厳しいことは言わず、なるべく褒めてあげよう。
そう心に決めて、フェリクスは生徒会室の扉を開ける。
「おかえりなさいませ、殿下!」
フェリクスが生徒会室に入ると、シリルがすぐに姿勢を正した。
その横で、モニカもピシッと背筋を伸ばす。親の真似をする小動物みたいだ。
フェリクスの斜め後ろでは、エリオットが含み笑いをしていた。まったく、意地の悪い。
「エリオットに聞いたよ。パーティ会場の設営案を考えてくれたそうだね」
「はい! 私とノートン会計の合作です」
「あ、遊び心も、ありますっ!」
なにやらモニカが奇妙なことを言い出した。
遊び心? と訝しみつつ、フェリクスはシリルが差し出した図面を受け取る。
「………………」
絶句するフェリクスの後ろで、エリオットが吹き出すのを堪えようとして失敗したみたいな、ガフッという声を漏らす。
図面に記されたパーティ会場─大ホールは、何故か不自然に細かく区切られていた。黄金比、という書き込みがあるから、間違いなくモニカの仕業だ。
きっちりと区切られたホールの中央には、ウニョウニョした何かが描かれている。細長い噴水にも見えるが、シリルの性格上、室内に噴水を持ち込むなんて案は出さないだろう。
「これは、花瓶に活けた花かな?」
「はい! 大振りの花を中央に飾ったら華やかになるかと考えました!」
「うん、そうだね。花は大事だ」
でもここに飾ったらダンスの邪魔だね、という指摘は呑み込み、フェリクスは図面を見る。
おそらくモニカが考えたであろう数学的美しさで仕切られたダンスホール、そこに一定間隔で並ぶウニョウニョ。
――どうしよう、びっくりするぐらい褒めるところが見つからない。
モニカはともかく、いつものシリルならもう少し無難な案を出すところだが、今日はやけに迷走している。一体何が彼をそうさせたのか。
その時、フェリクスの後ろから図面を覗き込んでいたエリオットが、しみじみと呟いた。
「へぇ、確かに遊び心満載だ」
遊び心――なるほど、さきほどモニカも口走っていたが、それが迷走の原因か。セレンディア学園一遊び心のない男に、なんという無茶を。
フェリクスはあくまで穏やかな笑顔のまま、シリルに訊ねた。
「昨年よりソファの数を増やしたのかい?」
「はい、昨年、休む場所を増やしてほしいという要望があったので」
ハキハキと答えるシリルに、「そう」と相槌を打ち、次はモニカを見る。
「この図面は、随分と細かくテーブルや布のサイズが記載されているね。これは君の仕事かな?」
「はいっ、わたし、備品のサイズ、全部覚えてます」
にわかに信じがたいが、嘘ではないのだろう。数字に異様に執着するモニカなら、あり得る話だ。
フェリクスはニコリと微笑むと、最後にエリオットを見た。
「我が生徒会役員達は、皆優秀だね?」
「あぁ、そうだな。優秀だ」
「では二人の意見を丁寧に汲んで、完璧な会場作りに励んでおくれ、エリオット」
エリオットが「げ」と呻いたので、フェリクスは完璧な王子様の笑顔で「期待しているよ」と念を押す。
モニカとシリルは、自分のアイデアが採用されたとばかりに顔を輝かせていた。
後日、大ホールの設営をした下働きの人間曰く「備品のサイズが正確に記載されていたので、幅が合わないというトラブルもなく助かった」。
来賓達曰く「休憩用のソファが多く、足を休められて良かった」。
モニカとシリルの意見を反映させつつ、エリオットが装飾にこだわったパーティ会場は、各方面からそれなりに好評だったという。
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