第3話 「再会と不協和音」

――インターハイ予選まで、あと一ヶ月。


放課後の体育館は、汗と松ヤニの匂いで熱を帯びていた。

ボールが床を叩く「ドン、ドン」という音。スニーカーが床を擦る「キュッ」。誰かの短い息。


「――はいストップ! いったん集合~」


センターサークルに輪ができる。前に立つのは、現役JK監督の桐島 綾。ポニテが揺れて、タブレットを指でトントン。


「スタメン発表するわ。今日の基準、“いま勝てる五人”。学年も肩書きも、まじで関係なしね」


一拍置いて、綾が読み上げる。


「PG 桐生 慎(#5)。GF 神威みさき(#8)。SG 東雲 隼人(#4)。PF 神堂 鉄心(#9)。C 加賀見 仁(#11)」


空気が、目に見えないところで微妙にきしんだ。


「……一年、みさきだけ?」

「は? 結局“選抜”が正義ってやつ?」


誰かの小声。笑ってるのに、目が笑ってない。

綾は肩をすくめた。


「ベンチの役割も超重要。全員で勝つよ?――はい再開~。桐生、セットAから」


「了解です」


「……チッ」


吐き捨てるほど大きくない。でも耳に残る。

体育館の温度が、1℃だけ下がったみたいだった。



◆ 練習のズレ


進めば進むほど、ズレが増えた。

パスは半歩遅れ、スクリーンの角度は浅い。声は出てるのに、届いてこない。


「天城、縦。今は横のフェイントいらねぇ」

「わかってるって」


「白取、押し合わない。“いなす”。角度優先で」

「……うん」


「熊谷、戻り遅い。一本目しっかり」

「戻ってるわ!」


苛立ちは爆発しない。けど溜まる。

“爆発”じゃなく“停滞”。いちばん厄介なやつだ。


ラストのスプリント。ブザー。

床に手をついた俺に、キャプテン神堂がタオルを放った。


「ほら、拭け」


「ありがとうございます、キャプテン」


「神威。お前を選んだのは綾だ。――背負うのはお前だ」


神堂の目はやわらかいのに、甘くはなかった。


「自分、やり切ります」


「やれ」


短いのに、心臓が一つ強く鳴った。

解散の声。更衣室に流れる足音。体育館に、静けさが戻る。



◆ 居残り


シュッ。

ネットが小さく鳴る。フォームを一つ、二つ、百と積む。

ハンドリング。床が汗でぬれるまで。

体幹。ぷるぷる震える腹に呼吸を合わせる。


時間の輪郭がぼやけてきた頃、出入口の影が揺れた。


「……やっぱ、ここか」


低くて、懐かしい声。視線を上げる。


「九条 蓮司」


北海道選抜で“空”を支配した同級生。195cm、分厚い肩。

九条はまっすぐ歩いてきて、俺の目の前で止まる。汗の床? 気にしない顔。


「お前と勝負がしたい」


短い。呼吸ひとつ分、間が空く。


「……いや、敵として“紅嶺”と戦いたい」


言い直した声に、火がついていた。

昔の“相棒”を見る目じゃない。今の“壁”を見る目だ。


「うちの監督に話してくれ。逃げねぇよ」


「そのつもりだ」


踵を返しかけて、ふっと笑う。


「フォーム、綺麗になったな。速い」


「九条も、さらにデカくなったな」


「当たり前だ。空は重い」


扉が閉まる音。

俺はもう一度、ボールを手にした。


「――来る、か」


**シュッ。**ネットが答えた。



◆ 皇京第一・監督室


数日後。皇京第一高校。

九条は監督とキャプテンの前に立っていた。


「勝手に他校へ顔出して……どういうつもりだ」


「――紅嶺と戦いたいです。“神威みさき”と、じゃなくて、“紅嶺”と」


静寂。キャプテン片桐がニヤリと笑う。


「言うね。監督、今の課題、そこで全部出せる」


監督は目を細め、スケジュール表に視線を落とす。


「相手は全国で注目されている。調整にもなる。……ただし“手抜きなし”だ」


「もちろんです。勝ちます」


「簡単に言うな。――組む。練習試合、正式に」


九条は深く頭を下げた。

拳には、リングじゃなく空そのものを掴もうとする力が入っていた。



◆ 揺れる紅嶺


知らせが落ちた瞬間、体育館がざわつく。


「皇京第一……マジ?」

「九条って、あの“空の怪物”だろ」


桐島監督はあっけらかんと笑う。


「ビビってる暇あったら一歩動いて? 全国獲りたいんで~」


でも、胸の中は簡単じゃない。

特に熊谷と白取は、九条の“圧”を骨で知ってる。


「……あの頃と同じじゃ、勝てねぇ」



◆ それぞれの決意(前夜)


練習が終わっても、俺は残る。

スリー、ハンドリング、体幹。いつも通り。いや、いつも以上。


出入口の気配。

今日は――はっきり、止まった。


「おい、神威」


振り返ると、熊谷・天城・白取。ジャージのまま、息が少し上がっている。


「先輩の居残り、毎日見てるとさ……ムカつくから、混ぜろ」天城が笑う。

「混ざってください、だろ」熊谷が小突く。

白取は、いつもの調子で小さく頷いた。「一緒に、やる」


俺は笑って、深く頭を下げた。


「お願いします。外したら、拾ってください」


「外すなよ」

「外していい」

「どっちだよ」


「うるせぇ、早く打て」


シュッ。

熊谷が一歩で落下点を先取。

白取が触らず通さず“ズラす”。

天城が縦に裂き、空中で待って、落として返す。


呼吸が、やっとひとつになった。



◆ スカウティング共有


翌日、放課後。

綾がスマホを掲げた。


「皇京第一のスカウティング。

PG 片桐――頭いい。嫌味。プレッシャー速い。

SG 早瀬――無駄がないミドル。止めづらい。

SF 葉山――馬力でレーンの穴を刺すタイプ。

C 川島――でかい・上手い・強い・怖い。

で――PF 九条。空の支配者」


ざわっと空気が動く。綾はニヤリ。


「ビビり禁止。ビビってる暇あったら一歩動く。

ウチの強みは**“同じ図を見る速さ”**。神威、Falcon Sightの片鱗、使って」


「意識してみます」


「天城、空で“待てたら勝ち”。東雲、クラッチは温存、最後にドン。

白取、“押さずに通さない”。

熊谷、位置で勝つ。真っ向勝負はしない。

桐生、全部まとめる」


「承知しました」


「以上――勝つ準備しかしない。いくよ」


「「「おーっ!」」」


掛け声が体育館に跳ね返り、さっきより少し澄んだ音になった。



◆ 先輩との会話


メニューの合間、桐生が近づく。


「神威、視野は広い。ただ“どこを空けたいか”の宣言が少し遅い。口で出してくれ」


「了解です。トップで二回、ウィングで一回、声入れます」


「助かる」


東雲が肩をポンと叩いた。


「お前に二人行ったら、俺が“そこ”で待ってる」


「じゃあ自分が引きつけます。――最後、決めてください」


「言われなくても」


神堂がボードを指でトントン。


「神威。お前は撃つだけじゃなく、空けるも仕事だ」


「はい。背負います」


「背負え。重いほど、折れにくくなる」


短いのに、背骨に火が入る言葉ばかりだった。



◆ 2年組


練習後の片付け。

**早乙女(2年)**が近づいてきて、ボールを差し出す。


「神威くん、これ。……その、スタメン、おめでと」


「ありがとうございます。早乙女先輩のプレッシャー、正直キツいっす。試合で助けてください」


「任せて。ガードは味方を楽にするのが仕事だから」


少し離れたところで、**高浜(2年)**が腕を組む。


「神威くん、話が長くなっちゃうから端折るけど、君の射程は……」


「端折ってないっす、高浜先輩」


「……射程は“相手が嫌がる一歩外”で、お願い」


「了解っす」


**岸本(2年)**が雑巾をしぼりながら笑う。


「困ったら言って。裏方も走るから」


「心強いっす。ありがとうございます」


敬語のやりとりに、ちょっと砕けた笑い。距離が一歩、縮む。



◆ 再び、夜


解散後。

俺はまた残る。今日は最初から三人も一緒だ。

リズムが合う。声が通る。笑いが挟まる。続けて、また続ける。


水を飲みながら、熊谷がぽつり。


「……俺、“選ばれなかった”ってずっと言い訳にしてた」


「うん」


「でも昨日見た。お前の練習。違った。“選ばれなかった”んじゃなくて、“まだ選ばれるだけのことを俺がしてない”って」


「熊谷、リバウンド上手いよ。位置、もう先にいる」


「取れるようになった。綾に言われた“挟む”ってやつ。……次は“取れる前提”で走る」


天城が笑う。「やっと火ついたじゃん」


白取はタオルで汗を拭きながら、静かに言う。


「“柔”は、負けない。――勝ち方、変えるだけ」


「頼もしすぎる、先輩方」


「誰が先輩だよ」天城が小突き、熊谷が笑って、白取も口角を上げた。



◆ 監督DM(部内チャット)


桐島:今日の練習よかった。神威、空け方の宣言◎。桐生、拾い◎。

桐島:白取、角度神。熊谷、面の先取りナイス。

桐島:天城、空中の“待ち”、映えてた。

桐島:――このまま。“ビビらない。速く、合意する。”


スマホを閉じる。

天井の白い光を見上げ、息を一つ吐いた。


「行くか」



◆ 九条へ


神威:準備、できた。


すぐ既読。すぐ返事。


九条:上で会おう。空の上だ。


画面を閉じる。ボールの縫い目を指でなぞる。

踏み込み、リリース。シュッ。


“仲間”だった時間を超えて、“ライバル”として踏み込む。

インターハイ予選の前哨戦――紅嶺 vs 皇京第一。


再戦の幕は、もう上がっている。

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