第三章 『崩壊する世界』
1 【雑音的なもの】
【プールとクジラ】
誰も居ないプールを一人歩いていた。多分第一世界まで来た。天井にはヒラヒラと光が反射する。プールの底を覗いてみるけれど、見えない。ただ、真っ黒。しばらくして底から大きなクジラが出てきた。とっても大きなクジラ。私、クジラに何も考えないで問う。
「どうしてこんなに悲しいんだろう?」
クジラ、それを聞いて私の方に視線を向けた。まるでずっとその声を待っていたかのように。そうしてクジラは、即座に答えた。ずっとそのセリフを用意していたかのように。
「僕も悲しい。いつもこの底にいて、いつもいつも悲しい!」
グルグルとプールの中でクジラは暴れて言った。私はそれを聞いて笑ってしまった。だって、何か反論されるか、適当なアドバイスでもされると思っていたから。まさか共感なんてね。少し拍子抜けだ。そうしてクジラは続けて答えた。
「ここに一人でいると、とっても寂しい。もう孤独に押し潰されそうだよ。普通、いつもこんなところに、誰かが来ることは滅多にないよ? 清掃員くらいで。しかもお喋りしてくれない清掃員。ああ、話ができる何かに会えてとっても嬉しい! ねぇ、どうしてここに来たの? ああ! それにどうして虹色なの? ああ、もしかして君は虹なのかな? アナウンスの物語で、そういうのを聞いたことがあるんだよ!」
相当興奮してクジラはそう言った。ビチビチと水が飛び散る。私は少々頭がいっぱいになったが、特にそこまで考えることもなく、答えた。
「……私はダーザイン。虹ではないし、だからなんなんだと聞かれたら、そうだな、私は誰でもあるし、そうして誰でもないんだ。補足情報は、好きなことは旅をすることで、あと、喋ることだ」
クジラは私の話を聞いてまた相当興奮したようで、なぜか下へうねうね戻ってしまった。もう二度と帰ってこないのかと思って見ていたら、またしばらくして急激に上へ上がってきた。
「うんうん! 僕も喋るのが好きだ! だけど、さっきも言ったように、ここには誰も来ない。だから、もし話すとしても、アナウンスで聞いたこと以外の、話題がないんだよ! 外のことも、全く分からないしね!」
プールがグルグルと渦巻きになっている。私はそれを見ながら言った。
「なるほど、じゃあずっとこの水のことと、君の煮詰まった孤独のことしか話せないというか……」
クジラは、ぱあっ! っと明るくなって、それに答える。
「そうなんだよ! 僕は、外の世界を、何も知らないんだ! だから、なんて返せばいいのか、よく分からなくなる時がある! 久しぶりに来客が来てくれてもね、引き止められることはなくて、すぐどこかへ行ってしまうんだよ! トーク力がなくて!」
クジラの悲しみが分かるような気がした。でもなんだかそのテンションにだんだんウザくなって、そうして私は聞いた。
「……そうか、ここに最後に概念体が来たのはいつだ? いや、クリーチャーでも物品でもいいけど」
クジラはそれを聞いて、少ししょげたようにトーンが小さくなって答えた。
「……うーん、ごめんね、生憎分からない。時間の数え方がよく分からないから。独自の数え方があるよ? でも時計があった方が分かりやすいよね。多分だけど」
クジラはひたすらに話した。私はしばらく考えて、こんなことを言っていた。
「時間が分からないというのは……それは君が時間から自由だということ……。まるでそれは宇宙に熔けているみたいだ。正直言って、クジラ、君が羨ましいよ」
クジラはびっくりして目を丸くした。
「僕が羨ましい? え、僕は、自分のことを羨ましいと思ったことは、多分、ないかな。いつもみんなのことが、うん、このプールの外にいるみんなの事が、めっちゃ羨ましい」
しばらくクジラの言い分を聞いて、特に処理出来そうになかったから、私は続けて聞いた。
「このプールの底には何が拡がっているんだ?」
クジラは話を無視されたと思って少ししょげたようだけど、続けて答えた。
「……うーん、特に何もない。飽きるほどの空間だ。飽きるほどの虚空間。君も一緒に来る? 見せてあげようか?」
君も一緒に来る? ということは、聞かなかったことにして、私はただ自分が思った疑問をぶつけた。
「虚空間が拡がっているということは……どこへでも行けるってことか? その底の先に」
クジラは何かを感じ取ったらしく、少し目を見開いてこう言った。
「 ……ああ、そうだな、僕は第三世界という言葉を聞いたことがある。僕はそこへ行きたい。君もそこへ行きたいのならね。だってここはつまらなすぎるから。本当だよ?」
第三世界という言葉を聞いて、私は頭上に光が指したような気がした。
「……ああ、君もそれを知っているのか。私も行きたいよ。そうしてそこで、融合したいよ」
クジラはウンウンと頷いて私の話を聞いていた。そして言った。
「うん、君の言っていることは、本当によく分かるよ。でも、多分君はどこにでも行けるよね〜! 良いなぁ! ああ、じゃあ、こんな僕なんかに、分かるなんて言われて、嫌だったかな!?」
クジラはびっくりしてそう言った。私はしばらく考える。
「……嫌ではない。私は、久しぶりに概念体と話した」
クジラは少し首を傾げて言った。
「……え、? どういうこと?」
今はその問いが一番嫌だった。でも答えた。
「……私は、口があるものを、無意識に避けているのかもしれない」
やっとのことで絞り出してそういった。なんだか、ペースが崩れてきてるような気がする。そのままクジラはバカな口を開けて言った。
「……え? どうして?」
私は怒っているのか悲しいのか分からないまま、とりあえず答えた。
「……分からない。考えることを放棄すれば、辛くならないから、ずっと昔に消した」
適当にそんなことを言っていると自分でもわかっていた。でもこう言った方が分かりやすいこともある。クジラはそれを真に受けてこう答えた。
「へぇ! 僕にも、そういうことが出来たらいいな。何かを消せるみたいな。第三世界へ行けないまま、ずっとここにいるくらいなら、僕も早く死にたいよ」
クジラは、勝手に私のことを死にたい概念体の仲間と見なしているようだが、別にそうとは限らないだろう? ただ、少しクジラのことを疑問に思って、私は聞いた。
「死にたいのなら……なぜお前は死なない?」
クジラはうーんと、水の底で少し唸って、面倒くさそうに、でも悲しそうに言った。
「……分からないかな。だって、死んだことがないから。それ以上でもそれ以下でもないかも」
私の返しを待っている。ルンルンと私を見つめている……。真っ当な回答。その通りすぎると思った。けれど、クジラには私のことを伝えなくてはならない。
「その気持ちは理解出来なくもない……。ただ、私は何度も死んだ。そう、何度もね。ひとつクジラに言うことがあるなら、死ぬ時は全く怖くないよ。逆に私がとても怖いのは、生きている時の苦しみなんだ。だから私は孤独なんだ。苦しいから孤独なんじゃなくて、孤独だから苦しい。でも同じようなことだ」
クジラは何か思いついたようにパッと明るくなって、しばらく考えこんで、頭の中で何を巡らせているのか分からないけど、次はこんなことを口にした。少し躊躇いながら。
「……君は生きているの?」
ただそれだけ聞かれた。ただそれだけ。一瞬何を言われたのか分からなかった。頭の中がかき乱されたような気がした。けれど私はすっかり冷静に答えた。それ以外なかった……。
「……私が生きていないと思うのか?」
クジラは私の気も知らずに、呑気に考えを巡らせていた。そうしてふわっとこう言った。
「いや、こんなところに、誰かが来るなんてことがなかったから、何か超常現象が起こったのかと思ったんだよ! つまり、生きてるものなんて、僕のこのプールに来るのかなって!?」
ただのクジラの悩みを吐露されただけだろうと思った。でもそれと同時にとても侮辱されたような気がした。
「……私は、生きているよ。誰よりも生きていると思いたいよ」
必死にそう答えた。自分でも何を言っているんだか分からなくなってきた。クジラがなんて言うのか気になった。
「なるほどね……。それに、僕は生きてない。だから死にたいんだ」
だとさ。特に驚きもせずに愚痴を吐かれた。クジラも自分のことでいっぱいいっぱいなんだろう。……というか、アナウンスと清掃員だけでここまでクジラに知識があることが逆に信じられない。私はそのクジラの言葉を額面通りに受け止めて、そうしてそのまま返した。半分呆れていたから。
「生きてもいないのに死ぬことは出来ない」
だってクジラは先程の話から、もう己が死んでいるような話し方だった。だから私は咄嗟にそう言った。思ったままに。そうしてこう言われた。いや、というかこう言われるのがある意味普通かもしれない……。
「君は酷いことを言うね」
クジラは悲しそうだった。でも何故か受け入れているようにも見えた。昔の本のノウハウを思い出す。多分今やらかした。ただ、慰めにもならないだろうけれど私はこいつにこう言った。
「でも第三世界へ行けば、きっと君の度し難い悲しみが何か分かるだろう。君がこのプールに閉じ込められていることも何もかもね」
それをクジラは聞いていた。やはりこいつは第三世界にかなりの希望を抱いているらしい。私のその言葉を聞いてやけに元気になったから。そうして少し微笑みながらクジラはこう言った。
「それを見つけたら、第三世界を見つけたら、よかったら、僕にテレパシーで送ってくれないかな? ここで楽しみ待ってるから」
それを聞いた。私も同じ第三世界を追う者として、何故かクジラに親近感を今見出していたのかもしれない。そうして私はゆっくりこう答えた。
「うん、いいよ。そのときの私は、今の時の私よりももっともっとなんでも出来るから、テレパシーだけじゃなくて、君をそこへ連れて行ってやることも出来るかもしれない」
微笑んでそう答えた。クジラはそれを聞いて笑ってこう話した。
「ありがとう。なんか、君と話してみたら、僕は、もう少しだけここにいても、居心地が悪いと思わなくなったかもしれない」
勝手にクジラが元気になったようだ。私は言った。半分呆れていた。
「それは良かった」
それを聞いたクジラはこう聞いてきた。名残惜しそうに。私に縋るように。
「まだここにいてくれるかい?」
その瞳は私が欲しかった黒いドグマではなかった。クジラの中の深淵へ引きずり込まれると思った。君は友達じゃない。はっきり今そう思った。そうして言った。
「私を縛り付けるものは殺すと決めている」
でもクジラはそんな言葉お構いなしに、まるで聞こえなかったようにこう続けてきた。
「君は天使だよ。君は風に乗る天使。何よりも羨ましいよ」
一体何がどうして羨ましくなったのか理解が出来なかった。やっぱりこいつは狂っている? それとも私ですら見つけられていない何かを見つけたのか? 私は答えた。
「そうか。私はそんなに羨ましい存在なんだな。けれど、私も君の深淵は分かる。これで満足か?」
色々とめんどくさくなって、私は少し歩きながらそういった。クジラは悲しむと思ったけれど、ひどく据わった表情をしてこう言った。
「そうだね。満足だよ。何よりも満足」
初めてこいつのことをキモイと思った。私はすぐさまもうここから出たかった。だから言った。
「もう行かないと。やっぱり一人でいたい」
これは私が絞り出した必死の言葉だった。でももうクジラの心は遠いところにいたのかもしれない。そうして言った。
「さよなら。ダーザイン。」
もう私を引き留めようとしなかった。何かを見つけたみたいに。それが何か、分からないけれど……。私も別れの言葉を述べた。
「さようなら。クジラ」
もう何も返ってこないと思った。しばらくの静寂。すると後ろから、クジラが最後にこう言ったのだ。
「君が口のある概念体を愛せる日が来るのをずっと祈ってる」
私はぴたりと足を止めた。何も言い返せなかった。いいや、どうせ答える必要もないと思った。なのにどうして、どうしてこのクジラは。やっぱり、早く全部消したい。こいつ諸共何もかも。
もう二度とこのクジラのいるプールには来ないと今決意した。こいつに与えられた度し難いトラウマ。多分二度と消せない。そう、無理やり消したら私ごと吹き飛ぶと思った。
本当に嫌な奴だ。最低で最悪な嫌な奴だ。本当に心から疲れ果てた。早くここから出ないと。
全くもってなんの気晴らしにもならなかった。
【次の部屋】
困ったことになった。インクルーシブタウンに帰れなくなった。ここはまだ第二世界じゃないのか? どうしてテレポートが使えないんだろう。画素数が荒い小さな休憩所に到着。一息つく。能力が使えないのは相当困った部屋に入ってしまった。
何やら足音が聞こえる? いやだ、いやだ、いやだ。また誰かがいる! もう私の方に来るな! そんな私の心情もお構いなしに、ひとりの物品が立っていた。
「こんにちは。私はMr.TVです。何かお困りのようですね」
見てみると、頭がTVで出来ている。ツルツルしていて、声は電子音……。うーん、暇になったら自分で見るのだろうか? 私は仕方なく口を開いた。重い重い筋肉痛の口を開いた。
「……困ってる。ここから出られない。ここはどこ? 第二世界じゃないの?」
それを聞いて、Mr.TVが答える。
「……第二世界、申し訳ありませんが、そのような言葉は聞いたことがございません。でも、こちらから出られるように、何かお手伝いしましょうか?」
ニコニコと笑って白手袋を差し出してくる。正直気味が悪かったが、私は早く問題を解決したくて聞いた。というか、第二世界を知らないなんて……。本当に放り出されたのかこいつは? それとも辿り着けていないかのどちらか?
「で、何をしてくれるの?」
Mr.TVは不可解なジェスチャーをしながら、ニコニコ私に案を出した。
「そうですねぇ、一緒に扉を探したり、穴を探したり、バグを見つけたり……標識を曲がったり」
目眩がした。とんでもないところに来てしまったらしい。能力が使えないということが、とにかく一番の今の問題点。私はとにかくひたすらに呆れて答えた。
「まるで迷路じゃないか……」
私がしばらく話したデータを集めたのか、彼はいきなりこんなことを言ってきた。
「あなたは……特殊な電波をお持ちだ。驚かれるでしょうが、正直、あなたが羨ましい」
数時間前に言われたような恐怖が蘇る。第一世界の住民は狂っている。もちろん、インクルーシブタウンの住民も狂っているが、それぞれの世界は、またそれぞれの別の狂気を保管しあっている……。訳が分からなくなって私は聞いた。単純に。
「……えー、なぜ?」
Mr.TVはまた不可解なジェスチャーを混じえて私に説明した。まるで腕は蛇のダンスのよう……。
「私より……何かこう、全てのものがあなたへ収束する磁界を感じるんです。私の世界には、ないような磁界を」
なんだか本当にあの哺乳類と似たようなことを言う。そうして私もまた同じようなテンプレートでこう返した。
「そうか、それは良かった」
全くもってなんの気持ちも籠っていないが、今彼にかけてやれる最上級の言葉だと思った。そうして彼はニッコリ笑って、でもやっぱり考え込んで、私に言った。
「でも、ここから出ることが出来ないのは大変ですよね。ぜひ探索にご一緒させて下さい」
溶けるような親切さ。でも正直こいつが何を考えているのかも誰なのかも何なのかも今の私には本当に最低限の情報しかない。私が今こいつに抱いているのは、圧倒的不信感。そうしてまた私が抱えているのは、圧倒的疲労。そう、精神的疲労。屈辱的疲労。だから私は端的に言った。
「いや、いい」
単純に喜ばれるとでも思っていたのかは知らないがMr.TVは少し驚いて、何も分かっていないようにこう聞いてきた。無垢な瞳で。というかTVで。
「どうしてですか?」
そう聞かれた途端さらに頭が重くなった。呂律が回らない。絞り出してこういう。
「もう一歩も動けないから」
静寂。
頭がおかしくなりそうだ。私の能力が通用しないなんて。今心の中でdeleteを10回はしたけれどやはり発動しない。完全にこの世界がおかしいことが分かった。どうして話しかけてくる? どうして私の脳に入ってくる? 何事もないように全く普通に、口がある。耐えられない。全身が割れてしまいそう。ここから出たい。今すぐ出たい。出ないと本当に終わる。ここの概念は尋常じゃない。だって私に話しかけてくる! 何か大切な積み上げてきたプログラムが書き換えられそうだ。
Mr.TVは心配そうに私を見つめている。そうして聞いてきた。
「大丈夫ですか?」
私はそれをただの音としか認識することが出来なかった。ただこう言っていた。
「うん」
そう言い放った途端、私は倒れた。そうして、意識が朦朧とする中、真っ黒い闇が溶けていって、ぼやける視界の中、Mr.TVが私の足を引きずりながら迷路と階段を歩いていく。
……うん、もうそのままどこかへ連れて行って欲しい。もしゴミ箱にでも投げ入れて貰えたら、多分すぐさま第二世界へ接続出来ると思う。そうしたら、早く、早く飛んで……。
彼はいくつもの色とりどりの扉を開ける。階段を登ったり、そうして下ったり、何回も気が遠くなるような作業を繰り返した後に……しばらくして屋上のようなところにたどり着いた。空が見えて、やっと完全に目が覚める。
「着きました。第二世界とはきっとあの切れ目の所にあるでしょう」
Mr.TVが空を指す。私はゆっくりと起き上がりながら言った。
「ありがとう。Mr.TV」
正直疲労感と無力感でいっぱいだったけれど、もう今はそんなことどうでも良いと思った。そうして彼は立ち上がった私を隣で見つめてこう言った。
「……いえいえ、久しぶりに誰かと話せて嬉しかったですよ」
純粋に笑っていた。別れ際みたいに。実際そうなのだが。というか、クジラにもそんなことを言われた。なんだっけな、私と話したら、しばらくまだここに居てもいいだとか言われた気がする。deleteしていないから、まだ残っている。記憶が。だから私はこう続けた。
「お前もまたそんなことを言う」
私が少し下を向いて言ったら、彼はなんのことやら分からない様子で、首を傾げた。
「どういうことですか?」
私はそれを聞いて、クジラには適当に返したことを、このMr.TVには聞いてみようと思った。
「だから……どうして久しぶりに誰かと話せて嬉しいのかって聞いてるの」
単純に疑問だった。まるで彼がテンプレートのようにそういったように思ったからかもしれない。そうして彼はこう答えた。
「それは……。寂しかったからですかね? ここ、迷路みたいなので」
私はそれを聞いて、まだ彼という概念体か……物品か分からないけれど、それを確かめる必要があることを思い出した。今更聞いても意味ないような気がするけれど。
「お前は、どこかへ飛んで行けないのか?」
彼はそれを聞いて少し空を見て、また答えた。
「出来ませんよ。せいぜい、私が私にスイッチを入れて、何度も同じ録画を見て、気を紛らわすくらいですね」
単純に権限の少ない概念体なんだろうということが分かった。確かにそれは、悲しくて、つまらなくて、そうして……
「それは暇だろう」
そう、暇だと思った。彼はそれを聞いて答えた。
「暇……ですけど、もう慣れました。でもあなたが来て、また楽しめた。ここに居てくれませんか? まだ少し」
まただ、またクジラと同じことを言われた。しかも今度は完全に一致している。でも私は正直な心境を話さなくてはならない。あのクジラと同じように。
「いや、ここは……。私はあまり好きじゃない。気がおかしくなりそう」
遠くの空を見て言った。そうして彼はまた間抜け面で私に聞いた。
「どうして?」
しばらく私は考えて……何とか答えを出した。
「話す度に、私が私ではなくなってしまうからだ」
これはかなりきつい答えだ。でも彼には私のことを少しくらいは正直に話した方がいいと思った。そもそももう何も意地を張るものなんてないんだから……。そうしたら彼は今度はまた突拍子もないことを聞いてた。
「本当のあなたは、どこにいるのですか?」
正直イライラした。だから私は即座に答えた。特に何も考えもせずに。
「私の中だよ。私だけの、純度が高い私の中」
自分でも何を言っているんだか分からなかった。そうして彼はすかさず質問してきた。
「それは……。どんな世界なんですか?」
私は思考を放棄してただ回答し続けた。
「すごく楽して、すごく虚しい世界。けれど、それでいい。それがいいんだよ」
もうこれ以上話すと崩壊してしまいそう。けれど彼は続ける。
「あなたは大きな世界にいるのに、どうしてそんなことをするのですか?」
そんなこと? そんなことってどんなことだ? いや、こんな質問どうだっていい。そんなこと? 私がひとりでいること? 純度の高い私の中にいることを、今、そんなことと言ったか? 私は続けて答えた。冷静さを装って。
「世界が大きすぎるからだよ。世界に埋没する前に、私は私でなくてはならない。埋没と、包括と、溶解は別なんだよ」
よくもこんな言葉が出てきたものだ。完全に思考が独り歩きしているけれど私の考えていることと口が話していることはまあ同じだから私は許すことにする。Mr.TVはこう返してきた。
「難しいことをいいますね。私の世界は、ずっとここに閉じ込められているので特にそんなこと考えたこともありませんでした」
なるほどな。まあ、埋没と、包括と、溶解のことについては、君も第二世界へ来たら分かると思うよ。私が君を連れていくかは別としてね。そうして私はひつの疑問が浮かんだ。正直今の私の顔は正気すぎた。
「最後に聞いてもいいか?」
辺りは静寂に包まれいて真っ白い雲が遠くで飛んでいる。柔らかい風が私たちを撫でる。Mr.TVは耳に響く電子音で言った。
「はい、なんですか?」
私は一呼吸置いてこう聞いた。
「……君は死ぬか?」
Mr.TVはモニターの目をびっくり見開いて私を見ていた。そうして急に嬉しくなったような半分狂気に満ちたような顔でこう続けたのだ。
「……ああ、私もずっとそれを望んでいた。それでは、それをあなたが聞くのなら……」
Mr.TVがひたすら私を見つめて笑っている。
「あなたも、ずっと死んでいて、ずっと生きているんですね」
私はその言葉を最後に、即座に手を伸ばして空の切れ目に飛んで行った。小さくなったMr.TVがこちらを見ている。そうして手を振っている。私はひたすら彼を凝視するだけで、手は振り返さなかった。というか、振り返せなかった。
私から逃避したのだから。もし一度でも振り返してしまったら、私もずっとこの外野の迷路に閉じ込められてしまうと、度し難い恐怖を感じた為に……。私はもうすぐに空の切れ目に入り込んでいた。けれど気になって後ろを振り返ってしまった。彼が惨めに思ったから? 心配になったから? 私のことをまだ見ていると気になったから?
そうしてそのMr.TVは、画面に文字を映している。彼のモニターに映っていたのは……
「あなたの中に宇宙がある。それはとても大きいのに、あなたはそれに閉じ込められている」
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