第2話

俺が厨房でポトフを振る舞ってから、数週間が経った。

あの日の出来事はあっという間に城中に広まり、俺の評判は少しだけ変わったらしい。

相変わらず恐怖の対象ではあるようだが、そこにわずかな興味と期待が混ざり始めたのを感じる。

俺はその後も、労働環境の改善や、新しい農業技術の導入などを次々と打ち出していった。

前世の知識を総動員して、魔王領をより良い場所にするために奮闘した。

四天王たちは、最初こそ俺の急な方針転換に戸惑っていたものの、次第にその成果を目の当たりにして、積極的に協力してくれるようになった。

特にリリアナは、まるで有能な秘書のように俺をサポートしてくれている。

「ルシウス様、先日ご指示いただいた薬草園の件ですが、順調に育っております。これで、回復薬の安定供給が見込めます」

執務室で報告書を読み上げる彼女の顔は、どこか誇らしげだ。

「そうか。それは良かった。兵士たちの怪我も、これで少しは減るだろう」

「はい。皆、ルシウス様の慈悲深さに感謝しております」

慈悲深い、か。

俺はただ、討伐される未来を回避したいだけなのだが。

まあ、結果的に民のためになっているのなら、それでいいか。

そんな穏やかな日々が続いていたある日のことだった。

城内が、にわかに騒がしくなった。

何事かとリリアナに尋ねようとした瞬間、執務室の扉が勢いよく開かれた。

「ルシウス様!大変です!」

血相を変えて飛び込んできたのは、四天王の一人であるゼノンだった。

彼は屈強な竜人族の戦士で、魔王軍の軍事を一手に担っている。

「どうした、ゼノン。そんなに慌てて」

「城内に侵入者です!それも、ただの人間ではありません!」

ゼノンの言葉に、俺の心臓がどくんと跳ねた。

侵入者。人間。

嫌な予感しかしない。

「……まさか、勇者か?」

俺が尋ねると、ゼノンは苦々しい表情で頷いた。

「おそらくは。城の警備をいとも容易く突破し、真っ直ぐにこの玉座の間を目指しているようです。相当な手練てだれかと」

ついに来たか。

この日が来ることは、覚悟していた。

だが、思ったよりもずっと早い。

俺の改革は、まだ道半ばだというのに。

「ルシウス様、ご避難を!ここは我々四天王が食い止めます!」

リリアナが俺の前に立ち、そう言った。

ゼノンも、いつでも戦えるように腰の剣に手をかけている。

だが、俺は静かに首を横に振った。

「その必要はない。私が会おう」

「しかし!」「危険です!」

二人同時に反対する。

彼らの忠誠心は嬉しいが、ここで戦うのは得策ではない。

俺の目的は、勇者パーティーとの円満な和解なのだから。

「これは命令だ。お前たちは手出しをするな。私が彼らと話をつける」

俺は有無を言わせぬ口調で告げた。

魔王としての威圧感を最大限に込めて。

二人は一瞬怯ひるんだが、やがて不承不承といった様子で引き下がった。

俺は覚悟を決め、玉座の間に向かった。

重厚な扉を開けると、そこには四人の男女が立っていた。

金色のよろいに身を包んだ大柄な青年。

ローブをまとった、知的な雰囲気の女性。

神官服を着た、優しそうな少女。

そして、その中心に立つ、一際ひときわ目を引く男。

陽光を溶かしたような金色の髪。

どこまでも澄んだ青い瞳。

寸分の隙もなく磨き上げられた白銀の鎧を纏い、背中には大きな剣を背負っている。

絵に描いたような、まさしく勇者パーティーだった。

特に、中心に立つ金髪の男は、ゲームの主人公そのものだ。

聖騎士アーク。本来なら、俺を討伐するパーティーのリーダー。

俺は内心で冷や汗をかきながらも、ポーカーフェイスを崩さずに玉座に腰を下ろした。

「よく来たな、人間ども。この魔王城に何の用だ?」

できるだけ威厳のある声で問いかける。

すると、パーティーの中でも一番血の気の多そうな、金色の鎧の青年が前に出た。

彼が勇者だろう。

「決まっているだろう、魔王!世界の平和のため、お前を討伐しに来た!」

勇者は剣を抜き、俺に向かって叫んだ。

うん、テンプレ通りの展開だ。

さあ、どうやってこの場を切り抜けようか。

俺が考えを巡らせていると、意外な人物がその勇者を制止した。

聖騎士アークだった。

「待て、ライアン。早まるな」

アークは落ち着いた声で、勇者ライアンをいさめた。

「なんだよアーク!目の前に魔王がいるんだぜ!」

「分かっている。だが、少し様子がおかしいと思わないか?」

アークはそう言うと、鋭い視線で玉座の間を見渡した。

「この城は、噂に聞いていたものと全く違う。魔族どもに活気がある。城の隅々まで清潔に保たれている。それに、魔王領からここへ来るまでの道のりも、聞いていたよりずっと豊かだった」

彼は淡々と、道中で見てきたであろうことを語る。

確かに、俺の改革によって魔王領は少しずつ変わり始めていた。

まさか、それを勇者パーティーに見抜かれるとは。

「それに、魔王よ。貴公からは、邪悪な気配というものを感じない。一体、どういうことだ?」

アークの青い瞳が、まっすぐに俺を射抜く。

まずい。この聖騎士、思った以上に洞察力が鋭い。

ここで下手に嘘をついても、すぐに見破られるだろう。

俺は意を決して、口を開いた。

「お前たちの知る魔王は、もういない。私は考えを改めた。これからは、人間と手を取り合い、平和な世界を築きたいと考えている」

俺の言葉に、勇者パーティーの面々はざわめいた。

「魔王が、人間と平和を……?」「そんな馬鹿な話があるか!」

勇者ライアンは全く信じていない様子だ。

まあ、当然の反応だろう。

だが、アークだけは違った。

彼は真剣な表情で、俺の言葉に耳を傾けていた。

そして、深く息を吸い込むと、とんでもないことを言い出したのだ。

「素晴らしい!貴公こそ、この乱れた時代を正す、真の覇者だ!」

「……は?」

俺は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

覇者?俺が?

何をどう解釈したら、そうなるんだ。

「俺はてっきり、貴公は力で全てを支配する、旧時代の暴君かとばかり思っていた。だが、違ったようだ。貴公は民を思い、領地を豊かにする、新しい時代の王だったのだな!」

アークは目を輝かせながら、一人で納得している。

どうやらこの聖騎士、正義感が強いのはいいが、少し思い込みが激しい性格のようだ。

そして、とんでもない勘違いが始まっている。

「いや、俺は別に王とかそういうんじゃ……」

「ご謙遜けんそんを。この私、聖騎士アークの目は誤魔化せませんぞ。貴公のその気高い理想、しかとこの胸に響きました!」

ますます話が大きくなっていく。

勇者ライアンや他のメンバーは、アークの突拍子もない言動に完全に置いてけぼりを食らっている。

「おい、アーク?お前、何言ってんだ?そいつは魔王だぞ?」

「ライアン、君はまだ分からないのか!彼は魔王などではない!我々が探していた、理想の指導者そのものだ!」

「いや、だから俺は魔王だって……」

俺のツッコミは、興奮したアークには届かないらしい。

彼はぐいっと前に進み出ると、俺の目の前で片膝をついた。

そして、騎士の礼を取る。

「魔王……いや、ルシウス殿!ぜひ、その素晴らしい統治術について、この私に詳しくお聞かせ願いたい!」

真摯しんしな瞳で、アークは俺にそう告げた。

勇者パーティーの他の三人は、唖然あぜんとしてその光景を見ている。

俺も、どう反応していいか分からなかった。

ただ一つ確かなのは、俺のラスボス討伐フラグが、思わぬ方向にへし折られ始めているということだけだった。

アークはキラキラした瞳で、俺の返事を待っている。

俺は混乱する頭で、必死に言葉を探した。

ここで下手に断れば、彼の機嫌を損ねて、結局は戦闘になってしまうかもしれない。

かといって、この勘違いを肯定するのも問題だ。

「……話を聞くだけなら、構わんが」

結局、俺は曖昧な返事しかできなかった。

すると、アークの表情がぱあっと明るくなる。

「おお!本当ですか!ありがとうございます、ルシウス殿!」

彼は勢いよく立ち上がると、俺にぐっと顔を近づけてきた。

整った顔が、やけに近い。

「して、まずは何からお伺いすればよろしいでしょうか!?農業政策についてですか?それとも、民の福利厚生についてですかな!?」

すごい食いつきようだ。

彼の背後で、勇者ライアンが「おい、アーク!俺たちの目的を忘れたのか!」と叫んでいるが、アークの耳には届いていないらしい。

これは、思った以上に厄介なことになったかもしれない。

俺はただ、平和にラスボスの運命を回避したいだけなのに。

なぜか最強の聖騎士に、為政者としてロックオンされてしまった。

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