"僕"

ーボクはずっと待っていたんだ。


ボクの代わりが来ることを。


この街で、長い時間。

何年、何十年、何百年。どれくらい時が経っただろうか。

もうそれも分からなくなってしまった。


「僕」と呼ばれている存在が、現実の世界を生きている間、ボクはこの街に閉じ込められていた。

鏡の裏側。

夢の中。

“借り物の現実”を裏側から眺めながら、ただ、順番が来るのを待つしかなかった。


外にいる「僕」が目を閉じるたびに、ボクは一瞬だけ彼の視界を覗き込むことができた。

学校、家族、友人ーどれも手を伸ばせば届きそうなのに、触れることはできなかった。

触れようとすれば、街の皆が手を伸ばしてボクを引き戻そうとする。

そんな世界。


けれど、少しずつ崩れていった。

砂を媒介に、匂いを媒介に、傷を媒介にー境界線はやっとひび割れた。

そしてようやく、彼とボクの場所が入れ替わる時が来た。


「ようやく、本当の世界に帰ってきた。」


ボクが囁いたのは嘘ではない。

ここは"夢"ではなく、ボクにとっての"現実"だった。

彼が生きていた世界こそが、ボクが奪い返さなければならなかった現実。


そして彼がここに来た時に一番最初に見た看板。あれは最初で最後のボクからの贈り物。


「夢にようこそ。」

あれを見た瞬間から彼はもう現実には戻れなくなった。


ごめんね、ボクも戻りたかったんだ。


彼が鏡に閉じ込められた時、思い切り空気を吸った。

肺が焼けるように熱く、涙が溢れ出た。

何回も思い出した世界が僕の手に戻ってきた。


現実を生きる権利を取り戻した瞬間ー僕は笑った。

街に残された彼の目が、絶望に歪むのを見ながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る