侵食の果て


次の日の朝、食卓に座る両親は無言で動かなかった。

父の頬には夢で見た道路のひび割れのような痕。

母の指先は赤黒く染まり、微かに震えている。


机の上には、夢で見た看板の文字の破片が置かれていた。

視界に入れた途端、頭の奥に低い声が響く。


「返してもらう」


一体これはなんなんだよ。


僕はもう元に戻れないのか



そしてまた夜がやってくる。眠りたくないのに眠気はやってくる。


夢に戻ると街は血に濡れていた。

顔のない人影が、皮膚を裂きながらこちらへ歩み寄ってくる。

骨の軋む音。泡を吐く音。生臭い匂いが鼻を刺す。


そして、その中心にもう一人の自分がいた。

黒い目が、笑っているように見えた。


「これは夢じゃない。君が借りている現実を、返してもらう。」


足元の砂が、蛇のように僕の足を締めつけた。






──僕はもう逃げられなかった。

もう一人の自分が近づき、腕を掴む。

指は冷たく、硬い。人間の皮膚ではなかった。


喉が締めつけられ、息ができない。

口から泡が溢れ、視界が赤黒く滲む。


最後に見たのは、自分の顔で笑う“もう一人の自分”。

もう一人の自分は笑いながら、現実の世界へと歩き出す。




……気づいたときにはもう遅かった。

僕は鏡の奥に閉じ込められ、何もできず、声も出せない。

代わりに現実で動くのはー夢から来た"僕"だ。


最後の囁きが、今も耳に残っている。


「ようやく、本当の世界に帰れたよ」


世界は静まり返った。

ただ、残されたのは砂と、鏡の中の僕だけだった。

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