第5話

エリアーナさんに案内され、私と騎士さんたちは浄化された祠の裏手へと向かった。

そこには今まで気づかなかったが、地面へと続く古い石の階段が存在していた。階段は苔むしていて、ひんやりとした空気が下から流れてくる。


「この下に、代々この村の巫女が『神託の鏡』を保管してきた、小さな祭壇がございます」

エリアーナさんは、静かにそう告げた。

「ですが、わたくしも長年、呪いの影響でその存在を忘れておりました」

彼女は、少し申し訳なさそうに眉を下げた。


「大丈夫ですよ。これから綺麗にすればいいんですから」

私がそう言うと、エリアーナさんはほっとしたように微笑んだ。


階段を一段ずつ慎重に降りていくと、そこは洞窟のようになっていた。

壁はじっとりと湿っていて、ぽたぽたと水の滴る音が静寂の中に響いている。

奥に進むと、少しだけ開けた空間に出た。


そこが、祭壇らしかった。

石を切り出して作った簡素な台座の上に、一枚の鏡が置かれている。

でも、鏡と言われなければ、ただの黒い石の板にしか見えなかった。


表面は分厚い埃と、黒い煤のようなもので完全に覆われている。

もちろん、何も映し出してはいない。

そして、その鏡からは今まで感じた中でも特に強力な、どろりとした邪悪な気配が放たれていた。


「これが、神託の鏡……。ひどい穢れようだ」

クラウスさんが、思わずといった様子で呟いた。

イザベラさんも、美しい顔をしかめて鏡を鋭く見つめている。


「ええ。これほどの穢れを放つアーティファクトは、わたくしも初めて見ましたわ」

彼女は、吐き捨てるように言った。

「下手に触れれば、精神を汚染されかねません」


「ミサ殿、大丈夫か? 無理はしないでくれ」

ゲオルグさんが、心配そうに私に声をかけてくれた。

三人の心配をよそに、私の心は別の意味で高鳴っていた。


すごい。これは、今までで一番の掃除のしがいがありそうだ。

「大丈夫です。任せてください」

私は腕まくりをすると、決意を固めて祭壇に近づいた。


鏡に触れる寸前、びりびりと空気が震えるような抵抗を感じる。

祠を浄化した時よりも、ずっと強い。

でも、ここで怯んではいられない。私は意を決して、鏡に両手を触れた。


ずん、と全身に重い圧力がかかる。

頭の中に、直接不快な念が流れ込んでくるような不快な感覚があった。

これは、かなり手強そうだ。


「浄化!」

私は、ありったけの力を込めてスキルを発動させた。

両手から溢れ出した光が、鏡の表面を覆う黒い汚れに触れる。


ジュウウウッ、と肉が焼けるような、嫌な音が響き渡った。

黒い煙が上がり、洞窟の中に鼻をつく異臭が立ち込める。

「うわっ、なんだこの匂いは!」


「ミサ殿から離れろ! 瘴気に当てられるぞ!」

騎士さんたちが、慌てて後ろに下がるのが見えた。

私の光は、確かに鏡の汚れを少しずつ剥がしている。


でも、汚れの奥から次から次へと新しい穢れが湧き出してきて、きりがない。

まるで、底なし沼のようだった。

スキルゲージが、恐ろしい勢いでみるみるうちに減っていく。


このままじゃ、押し負けてしまうかもしれない。

「くっ……!」

歯を食いしばり、必死に力を込め続ける。


綺麗にしたい。

この汚いものを、元の綺麗な姿に戻してあげたい。

その一心だった。


私の額から、汗が流れ落ちる。

ゲームの中のはずなのに、まるで本当に体力を消耗しているみたいだ。

もうダメかもしれない、と心が折れかけた、その時だった。


私の胸元で、アイテムボックスに入れておいた指輪が、ふわりと温かい光を放った。

【聖巫女の指輪】が、私の浄化の力に呼応している。

指輪から流れ込んできた清浄な力が、私のスキルゲージを瞬く間に回復させた。


そして、目の前にシステムログが表示された。

『称号:穢れを払う者、廃村の解放者の効果により、浄化スキルの効果が50%上昇!』

『装備:聖巫女の指輪の効果により、神聖属性の力が大幅に上昇!』


全身に、力がみなぎってくるのを感じる。

これなら、いける!

「はあああああっ!」


私は雄叫びのような声を上げ、最大出力で浄化の光を放った。

カキンッ!という澄んだ音。

また、クリティカル・ピュリファイだ。


私の手から放たれた光は、今までとは比べ物にならない輝きを放つ。

巨大な光の柱となって鏡を貫いた。

洞窟全体が、まるで昼間のように明るく照らし出される。


鏡から、今までとは比べ物にならない、甲高い絶叫のような音が響き渡った。

黒い穢れが、光の中に一瞬で飲み込まれ、完全に消滅していく。

やがて、眩い光が収まった時。


祭壇の上には、神々しいまでの輝きを放つ、一枚の美しい鏡が鎮座していた。

鏡の縁には、白銀の精緻な彫刻が施されている。

鏡面は磨き上げられた水晶のように、どこまでも透き通っていた。


鏡は、自ら淡い光を放ち、洞窟全体を優しく照らしている。


【神託の鏡】

ランク:エンシェント

効果:世界の真理の一部を映し出すことができる。


鑑定すると、そんな情報が表示された。

エンシェント、というのは、レジェンダリーよりもさらに上のランクだろうか。


「すごい……。これが、神託の鏡の、真の姿……」

イザベラさんが、恍惚とした表情で呟いた。

クラウスさんもゲオルグさんも、言葉を失って、ただ呆然と鏡を見つめている。


「ミサ様……! 本当に、なんとお礼を申し上げたら……」

エリアーナさんは、涙ぐみながら私の手を取った。

「いえ、私も夢中だったので……。それより、この鏡で、王都の病気の原因が分かるんですよね?」


「はい。わたくしに、お任せください」

エリアーナさんは力強く頷くと、祭壇の前に進み出た。

そして、厳かな仕草で鏡に手をかざし、古の言葉で何かを唱え始める。


すると、鏡の表面が、水面のように揺らめき始めた。

やがて、そこに一つの映像が映し出される。

それは、薄暗く、じめじめとした石造りの通路だった。


下水道だろうか。

壁からは、汚れた水が染み出している。

カメラが、その通路を奥へ奥へと進んでいくようだった。


そして、一番奥にある、行き止まりの場所を映し出した。

壁には、不気味な紋様が描かれた、古びた石の扉があった。

扉の中央には、黒く濁った宝玉のようなものが埋め込まれている。


その宝玉から、もわり、と黒い瘴気が溢れ出しているのが見えた。

「これは……王都の地下水道、その最深部ですわ」

イザベラさんが、息を飲むように言った。


「あのような場所に、封印された扉があったとは……。全く気づきませんでした」

「あの扉の奥に、呪いの元凶があると?」

クラウスさんの問いに、エリアーナさんは静かに頷いた。


「間違いございません。あの宝玉こそが、王都に呪いを振りまいている元凶でしょう」

彼女は断言した。

「あれを破壊するか、浄化しない限り、病の流行は止まりません」


映像が、扉の宝玉を大きく映し出す。

それは、まるで邪悪な意志を持っているかのように、不気味に脈動していた。

「よし、場所が分かれば話は早い。早速、王都に戻って、あの扉を破壊するぞ」


ゲオルグさんが、拳を握りしめて言った。

しかし、イザベラさんが、静かに首を横に振る。

「お待ちになって、ゲオルグ。あの宝玉から放たれている瘴気は、尋常なものではありませんわ」


「下手に手を出せば、こちらが呪いに侵されてしまいます」

「では、どうするというのだ!」

「ミサ様のお力をお借りするしか、方法はありません」


イザベラさんは、真っ直ぐに私を見つめてきた。

その瞳には、切実な願いが込められている。

「ミサ様。どうか、我々と共に王都へ来て、あの宝玉を浄めてはいただけないでしょうか?」


「もちろん、道中の護衛は我々が責任を持って行います。王城にて、最高の待遇でお迎えすることも、お約束いたします」

再び、王都への誘い。

鏡を浄化したことで、私の役目は終わったと思っていたのに。


「それは……」

私が返答に困っていると、クラウスさんが私の前に進み出た。

そして、恭しく片膝をついた。


「どうか、お願い申し上げます、聖女ミサ殿」

彼の真剣な声が響く。

「あなたの力だけが、我々の、そして王都の民の希望なのです。この通り、どうかお力添えを」


金髪のイケメン騎士に、そんなことをされてしまった。

周りからの視線が、痛いほど突き刺さる。

エリアーナさんは心配そうに私を見ているし、ゲオルグさんは申し訳なさそうな顔をしている。


イザベラさんは、期待に満ちた目で私をじっと見つめている。

断れる雰囲気では、まったくない。

私は、一体どうすればいいんだろう。


王都になんて行きたくない。

人混みは苦手だし、注目されるのも嫌だ。

でも、病気で苦しんでいる人たちがいる。


その人たちを見捨てるなんてこと、私にはできない。

私が一人で葛藤していると、足元で、シロが「きゅん」と鳴いた。

そして、私のローブの裾をくん、と優しく引っ張った。


見ると、シロは心配そうな顔で、私を見上げていた。

その温かい眼差しに、私の心は少しだけ、軽くなったような気がした。

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