三月十八日(金)

 昨日、店長から電話があった。

 地震があった翌日から営業を自粛していたのだが、今日から営業を再開するとのことだった。ライブハウスという場所は、出演するバンドと来店するお客さんがあってこそ営業が出来る。交通機関の麻痺などにより再開するのに時間がかかったのも仕方なかった。

 地震のあった日からちょうど一週間が経っていた。この一週間、ほとんどアパートの部屋から出ることなく一人きりで過ごした。原発事故による放射能漏れのニュースを見た母親が、出来るだけ外出はしない方が良いと電話で毎日のように言ってきた。心配性は相変わらずだ。


 東日本大震災は壮絶な出来事だった。

 地震があった時、僕はバイクに乗り下北沢の住宅地を走っていた。グラグラとハンドルを取られた瞬間は、バイクが故障したのかと思った。そのまま数メートル走って本来の異変に気付き、バイクを停車した。アパートや住居から人が飛び出てきた。電信柱がしなり、電線が大きく揺れていた。僕は大きな揺れが収まるのを待って、恐る恐る徐行しながら、いつもバイクを停めさせてもらっている友達のアパートの駐輪場に辿り着いた。歩いて店舗に向かいながら、携帯電話のワンセグでテレビ放送を見た。すでに番組は地震速報に切り替わっており、大きな地震があったことを知った。

 いつも通る踏切は、閉まったまま開きそうもなかった。電車が見たことのない場所で人を乗せたまま停車していた。仕方なく下北沢駅まで歩き、改札を横目に北口から南口に抜けて店舗に向かった。ビルの三階にある店舗の扉を開けると、棚から落ちて散乱したフライヤーを店長が拾い集めていた。「雄太は大丈夫だったか?」と声をかけられた。

 店舗に一台しかないテレビを付けっぱなしにした状態でオープン準備をした。

 しばらくして報道された津波の様子に全員が絶句した。まるで映画の中の出来事だった。ミニカーのごとく津波に流される車を見た。家が砂煙を上げて破壊され押し流されていった。

 地震当日は5バンドで行うイベントの予定だったが、電車が止まっていてメンバーが揃ったバンドは2バンドだけだった。中には新宿から下北沢まで歩いてきたバンドメンバーもいた。

 ライブハウスが入っているビルの四階からは井の頭線の線路が見える。人を乗せたままの電車が、地震から二時間以上経っても停車したままだった。心配しているだろうと思い、母親の携帯電話に何度かかけたが、なかなか繋がらなかった。結局、繋がったのは午後六時過ぎの母親からの電話だった。

 何度も余震があった。その度に皆で外に避難した。

 結局、地震があった日のライブ公演は中止になった。

 深夜0時前だったのにも関わらず、バイト帰りの甲州街道はゾンビのように歩いて帰宅する人で溢れていた。電車が止まっていた為、歩いて帰宅する人が多かったらしい。後から聞いた話ではスニーカーや自転車が飛ぶように売れたそうだ。車の渋滞も半端なものではなかった。

 ついこないだの記憶だ。


 僕はいつもより一時間早く、成増にある自宅アパートの部屋を出た。普段はバイク通勤なのだが、運悪く燃料タンクには少しのガソリンしか残っていなかった。テレビで報道されている情報はどうやら本当らしい。地震の影響でガソリンが手に入らなくなっているのだ。アパートの近くにあるガソリンスタンドに行ってみたが、どこも営業していなかった。事態は地震当初の僕の予想よりどんどん悪くなっていった。近所のスーパーやコンビニからカップラーメンやトイレットペーパーが消えた。地震の影響を肌で感じる。日本は紛れもなく非常事態に陥っているのだ。

 副都心線が池袋までしか運行していないらしい。いつもなら下北沢までは、副都心線で渋谷まで出て井の頭線に乗り換えれば良いだけだ。しかし今日は有楽町線に乗り、池袋で副都心線に乗り換える。アパートから駅まで歩くことを考えれば、バイクの方が通勤時間的にも短くて済む。交通費も安くあがるので滅多に電車を利用することは無かった。しかしガソリンが入れられない今、僕は電車に乗ってバイト先に向かうしかない。

 僕は下北沢にあるライブハウスで働きながらバンドをしている。ホール内にあるドリンクカウンターで、お酒やソフトドリンクを提供するのが主な仕事だ。働き出して二年になる。社員ではなくアルバイトという身分の僕にとって、営業再開の知らせは待ち望んでいたことだった。アルバイトという身分は働かないと給料が貰えない。家族を失った人や家が流された人のことを考えると大きな声では言えないが、少なからず東京に住む僕達も被災していると思った。

久々に見る職場の皆の顔は明るかった。店長はいつもにも増してテンションが高かった。

 今日は、『常識はずれズ』というバンドのワンマンライブだった。

ライブをするに当たって、バンドや店舗に抗議のメールが数多く寄せられたらしい。こんなに大変な時期に娯楽であるライブハウスを営業するとは何事か、という指摘だ。ライブハウスは多くの電力を使う。福島原発の事故に伴う電力不足もその理由の一つだった。

 バンドの意気込みが、多くの抗議を撥ね退けた形での決行だった。バンド名が不謹慎さを倍増させているような気がしたが、バンドメンバー自身は今日のライブに対して真剣そのものだった。彼らは全員真面目な好青年だ。寡黙に音楽を追求し、真剣に音楽で世の中を変えようと日々努力しているバンドだ。以前参加した打ち上げで、メンバーと朝まで話した僕はその事をよく知っている。バンド名だけでふざけたバンドだと思われることが多いと、冗談交じりで嘆いていた。世間や大人というものは大体そんなものだ、と僕も思った。

 お客さんがホールを埋め、久々のその光景に僕のテンションも上がった。ライブは大盛況だった。

 ボーカルが冒頭のMCで、

「反対意見など色んな声が上がる中、今日のライブを決行することにしました。僕達には音楽しかありません。それは大地震の後のこんな状況でも変わらないのです。僕達が鳴らす音楽でこの場所から少しでも日本が元気になればと思って精一杯演奏したいと思います」

と言っていた。

 自分自身、音楽をする者として同感だった。

 音楽で日本を元気にしたいと思った。

 どんな時でもバンドマンには音楽しか無い。僕達からそれを取ったら何も残らない。


 少しでも節電する為、空調と照明を最小限に抑えての営業だった。

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