第二季 後編

第24話 春秋

「……天子深テン・ズーシェンは幼少の頃から、私が剣術の稽古をつけていた。師弟などという堅苦しい間柄ではなく、友達のような感覚でな。それと同時に、暁宇星シャオ・ユーシンも共に修行に励んでいた」

 赤月は何処か懐かしむように、車窓から遠くを眺めて当時の出来事を思い返す。

 天陽龍テン・ヤンロンの時代から時が進んだ春秋時代と呼ばれるその世界でも、当然ながら暁八雲シャオ・バーユウは生きていた。人前で術を使う頻度は少なくなったものの、剣一本で世界を渡り歩き、身一つで武芸を磨く男たちの世界である。彼にとっても己の技を磨く為、研鑽を積む毎日は苦にもならなかったと言う。

「…随分楽しかったみたいだね?」

「まぁ…そうだな。毎日が刺激に満ち溢れる日々だった。その頃には仲間も増え、ただの旅団ではなく不思議な関係性を築いていた。……陽斗、手を貸せ」

 興味津々な陽斗を横目で眺め、赤月は陽斗に片手を差し出す様に促す。

「え?もしかして……」

「今のお前には、見せた方が早いだろう。私の記憶を」

「いいの?あれ、何度経験しても慣れないんだよな……」

「安心しろ……次は誰にも干渉させない。時間は限られているから、要所要所を俯瞰して見るイメージだ。最初の飛躍は身体ごと、二度目は魂魄を飛ばしたが、今回は意識だけ連れて行く」

「同じようでもそんなに違いがあったのか…魂魄と意識、って何が違うんだ?」

「魂魄はその名の通り、魂のことだ。肉体は現世に置いたまま、魂を記憶の中に飛ばしてその出来事を観察する。幽体離脱に近く、術者の能力にも寄るが一番簡易的な方法になる。デメリットは少ないが、陽斗に起きたように外部の影響を受けやすい」

「そうだったんだ……今更だけど暁八雲シャオ・バーユウって凄い仙人なんだね」

「いや…あのような事態になってしまったのだから、私にはまだまだ足りないものがあるという事だ。魂魄を飛ばすよりも意識だけを連れて行く方が、記憶の中に深く入り込むことはなく危険度は低い。しかし、外部の影響を物ともしない深い集中力を要する。術を掛ける側にも、受ける側にも負荷が掛かるから短時間しか繋げられないというのがデメリットだが」

「なるほど…俺の力も試されるって訳だな。わかった、やってみよう。あの時代、超気になってたんだ。途中で天陽龍テン・ヤンロンの身体に乗り移らなかったら、あの時代をもっと見ていたかった。白福バイフーと知り合えたのも、古代の世界で経験した数日間も貴重で凄く楽しかったけどさ。誰かに言っても信じられないようなことも体感したし…いつの間にか変な技覚えていたし」

「ふふ…まったく、おまえはあいつと似たような事を言う奴だな」

 赤月は苦笑いを浮かべながら、膝上に差し出された陽斗の左手に右手を重ねしっかり握った。その腕に白福バイフーに渡して以来、無くしたと思っていた自分の髪紐を見つけてにやりと笑う。全くもって、隙のない男だ。

「私の手を絶対に離すなよ。……行くぞ」

「ああ、いつでも来い……!」

 陽斗がぎゅっと目を瞑ると、間もなくして意識が途切れたのか身体がぐらりと傾き、赤月の肩へと頭が倒れた。赤月は時計の時刻を確認し、陽斗の膝上に自分が着ていたコートを器用に被せ、座席の手すりに空いた頬杖をついて目を伏せる。

「────参」

 小さく呟くと、彼もまた追憶の彼方へと意識を手離した。


▢▢▢▢


 この感覚はどれだけ経験しても慣れないだろう、と陽斗は渦を巻いて揺れる視界を見上げる。

 耳を澄ませば、何処からか雲雀の啼き声が聞こえてくるようだった。


 空気は何処までも澄み渡り、地上から通り抜ける風が天高く舞い上がる。方々での小競り合いはあるものの太平の世となり、江湖は花が咲き乱れ市井の人々は天寿を全うしていた。貧富の差はあれど、戦がないというだけで人の心は豊かになる。悠久のようにも感じる時間の流れに乗り、陽斗は空高く漂っているような感覚に襲われる。

 隣に並ぶ暁八雲シャオ・バーユウも同じように宙を彷徨い、二人の視線は一点を目掛けていた。


 青天目陽斗の遠い先祖である、天子深テン・ズーシェンもまた人生を謳歌している青年であった。藍色の袍を身に纏い、身の丈に合わぬ長剣を愛用として佩き、黒々とした長い髪を頭頂部で纏め毛先を風に遊ばせている。顔立ちは天陽龍テン・ヤンロンに似て精悍な顔立ちをしており、道行く街娘が振り返る程であった。

 どうやら天一族は容姿にはそれなりに恵まれているようで、陽斗は無意識に奥歯を噛み締め小さく『ちくしょう』と呟いた。所謂「醤油顔」と呼ばれる平凡的な日本人の顔立ちをしている陽斗とは、やはり顔つきが大分違う。天子深テン・ズーシェンは擦れ違う娘たちに視線を送り、人好きのする笑顔を向けた。最初は恐らく中国語のような響きであったが、その音声ははっきりとした日本語に変わり、聞こえてくる。暁八雲シャオ・バーユウの能力は大変便利だと感心してしまった。

「お嬢さん、そんなにじっと見ないでおくれ。顔に穴が空いちまうよ」

「やだねぇ~!色男が台無しじゃないの!」

「お兄さん、後でお店に寄ってちょうだい?通りの角の店よ!いい魚が入ったから!」

「へへっ、ありがとな!是非とも寄らせて貰うよ」

 両手で手を振り、笑顔を振り撒く彼のすぐ傍。影法師のようにゆらりと細いものが蠢いた。

「おい。前を見ろ、『色男』」

「へぁ?」

 天子深テン・ズーシェンが情けない声を上げた拍子に、前方から剣の切っ先が飛んでくる。弛緩した表情が一転し、間一髪しゃがんで剣を避けたが、顎先にひたりと刀身を当てられてしまう。そのような状況でも、天子深テン・ズーシェンは口端を歪めた後快活に笑った。

「はははっ!やはりあんたは強いな」

「今ので確実におまえはやられている…常に緊張感を持てと教えた筈だが、まだ鍛錬が足りないようだな」

 天子深テン・ズーシェンが見上げる先には、黒髪を短く切り赤を基調とした旅装束に身を包む男が立っている。逞しい顔つきで呆れたように鼻を鳴らし、手にしている剣を鞘に収めた。天子深テン・ズーシェンに空いた片手を差し出す。

 天子深テン・ズーシェンはその手を掴み、男を引き寄せるとその額目掛け頭を振った。無謀にも見える頭突きだが、男はそれをいとも容易く避けてしまう。

「くそっ…また失敗か。流石、俺の師匠なだけある……暁八雲シャオ・バーユウ

 聞こえてきた名前に、陽斗は目を丸くして眼下の男を見下ろした。次いで隣にいる赤月を見遣る。

(もしかして…まさか?)

(そのまさかだ)

 赤月は冷ややかな目で2人を見下ろし、直ぐに目を逸らした。

 かつての若かりし自分から。

 

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