第19話 羨望

 様々な感情が渦巻いている感覚というものを初めて味わい、青天目陽斗は遠ざかる景色を遠くから眺めていた。次いでプールの底から水面へ向かうような浮遊感と身体の軽さに驚愕しつつ、息が苦しくなり思い切り顔を上げ、浮上して息を吐く。

「………ぷはぁっ!」

「陽斗!」

 陽斗は深く息を吸い、少し噎せた後涙目で辺りを見渡した。

「あ…キリヤ…それに地場先生がなんでここに?」

「青天目くん、おはよう。あれから色々あって、お邪魔してるわ」

「おまえ、寝坊にも程があるだろ!!」

「ごめんな……ただいま」

 焦点の合わない視界に目を瞬かせ、陽斗は深く息を吸う。本来生きてきた世界に戻って来れたのはいいものの、何処か現実味が薄く感じられた。自分の手のひらを握っては離し、指先の感覚を取り戻す。それと同時にすぐにでも会いたかった人物が見当たらず、陽斗は辺りをくまな見渡す。

「…あれ…?八雲やくもは?」

「彼なら少し出てくると言ったきり、戻ってないわよ」

「……そうか」

 見知った顔の数が足りないことを確認し悲しそうに項垂れたが、逆によく知っているが苦手な人物がいて、なおかつ見た事のない人物がふたり増えていることに気がついた。後者はヒトにないものが頭部と臀部に生えており、その奇抜な格好も相まって陽斗は自分の目を疑ってしまう。

「…えっ??馬ムスコとケンタウロス?」

「っ…違うわよ」

「馬ムスコとケンタウロスってなんだ」

「馬ムスコは今流行しているテレビゲームです…ケンタウロスは…後で教えてあげますね」

 素っ頓狂な陽斗の声に颯妃が必死で笑いを堪え、彰人とクロの会話を面白そうに見遣る。そしてどこから説明しようかと口篭る。

 本来なら赤月から説明した方がいいだろうが、生憎と彼はどこかへ出掛けている。彼の行き先を探るために千里鏡を使おうか迷った矢先、陽斗が目覚めたのでその行方は分からないままだ。

「……青天目くんが向こうで冒険していたくらい、こちらでも色々あったの」

「陽斗ならもしかしたら、さつき先生の前世を知ってるかも」

「へ?」

 二人は言葉を慎重に選びながら、時系列順に起きた出来事を陽斗に伝える。陽斗は叫びそうになるのを必死で堪え、驚いたり感心したりと感情のやり場が迷子になっていた。

「…はは…新事実がたくさんありすぎんだろ」

「青天目くんも色々あったのでしょう?それと同じよ」

 颯妃は眼鏡の鼻あてを押し上げ、なんでもないように伝える。しかし陽斗自身の知っている知識も加わり、余計に信じられず半信半疑で三人を見上げた。

「地場先生が…その……妲己の生まれ変わりで、宝貝を使えて、そちらの二人と封神台にいたって?」

「まぁ大体合ってるな」

「…で、こちらが黒無常のクロさんと白無常のシロさん……馬ムスコって言ってすみません。獄卒ってほんとにいるんだな」

「うん…仙人とか死神みたいなのがいるなら閻魔大王もいるんだろうなって気がしてきたよ」

「順応性がいいですね。暁八雲シャオ・バーユウの連れと言うだけあって色々知っているようですが……まずまずといったところです」

 シロが生真面目に頷き、値踏みするように陽斗を見遣る。まっすぐ射るような視線にたじろぎつつ、陽斗も巨体なクロと細身のシロを観察する。耳と尻尾、角以外の見た目は人間だが、どちらも雰囲気は人ならざる者そのものだ。

「…キリヤはいつの間にかクロさんと仲良くなってるし」

「なんて言うか……実家のクロに似てて」

「あぁ、あの柴犬だよな。なんとなくわかる」

「だろ?」

 彰人が小さく囁けば、シロの馬耳がぴくぴくと動き二人の会話を伺っていた。それに気づいた陽斗は「シロさんは超カッコいいよな」と小声で返した。すぐ近くで彼が咳払いするのを横目で見ながら、せわしなく動いているしっぽに思わず笑う。

(悪い人たちじゃなさそうだけど…八雲は何処行ったんだ?)

「……とりあえず、なんか食べたい」


‪✕‬   ‪✕‬   ‪✕‬


 陽斗が目覚めようとしていた矢先、赤月八雲は行き先を告げないまま写真館を後にした。彼は直ぐには戻らず、未だに行方知れずだ。

 彼が向かった方向には、それなりに有名な動物園や博物館、公園などがある。穏やかな陽光が降り注ぐその場所は、家族連れからカップルまで幅広い年齢の人々で賑わっていた。

 ひとりだけ、その雰囲気とは裏腹に暗い表情を浮かべていたが。

「またしくじったか……まぁよい、機会はまだある。それにしても、此処は一段と寂しくなってしまったのう」

 その人物は赤月ではなかった。しかし常人が近寄り難い雰囲気を持っているのは、赤月より彼の方かもしれない。寄り掛かった手すりに頬杖をつき、つまらなそうに溜息をつく。視界の先にはからっぽになった、小さな飼育小屋があった。この小屋に住んでいた最後の主が、つい先日息を引き取ったのだと書かれている表示をぼんやり眺めている。

 見るからに若い青年なのだが、話し方が随分と古風だからなのか周りの目は実に冷ややかだった。陽斗と同い年くらいに見える彼は、長く伸びた赤い髪を三つ編みにして背中に一本垂らし、白いシャツと黒のスラックスを身につけた格好をしていた。しかし彼から溢れてしまう負の感情は容易く周囲を巻き込み、賑やかだったその場所の雰囲気が徐々に変わりつつある。

「随分と……この場所は平和よのう。ぬるま湯に浸かり続ければ、牙も爪も蕩けてしまうか」 

 呆れているのか悲しいのか、その表情からは感じ取れない。僅かに笑みを浮かべるも、彼の感情を読める者はひとりとしてその場にいないだろう。いつの間にか周囲に人はおらず、木々を通り抜ける一陣の風が吹く。


「……兄さんも、そうは思いませんか?」


 誰に向けられたとも分からない言葉を言っている間だけ、青年の表情が柔らかくなる。

 青天目写真館から離れたその場所で、『最後のシフゾウ』と悲しげに書かれた看板がカタカタと揺れていた。

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