第一季 後編

第8話 陽光

「珍しいな……もう起きたのか?」

 急に声を掛けられ、陽斗は目を瞬かせて耳を澄ませる。いつの間にか二度寝していたようだが、先祖である天陽龍テン・ヤンロンは随分と朝が弱いらしく、頭がやけに重く感じる。

 身を起こして大きく伸びをすると、着替えた後なのかはだけた夜着ではなく、深紅の長衣を纏い鞘に収めた剣を佩いている暁八雲シャオ・バーユウが歩み寄って来るのが見えた。首元には何かを紐で提げているように見えたが、何かまではよく見えない。

「……陽斗はると、と言ったな」

「ん…シャオさん、おはよう」

 聞こえてきた声のする方向を見つめ、陽斗は眩しそうに暁八雲シャオ・バーユウを見上げる。すると彼は形の良い自分の顎を親指と人差し指で摘まみ、昨晩とは少し違い警戒が解けたような声音で訪ねた。

「おまえは何故、おれを知っている?…楽器の演奏ができる事も」

「うーん…俺が天陽龍テン・ヤンロンの子孫だって言ったら信じてくれる?」

「未来から来たと言うのか。証拠がない以上信じようがない」

「そうだよなぁ…ちょっと長くなるけど、全部本当のことだよ。俺は未来の貴方と出逢って、ここに来たんだ。俺も最初は信じられなかった。自分の祖先が仙人と仲良しで、一緒に封神台…『宙の泉』の監視をしてきたこと。先祖代々、暁八雲シャオ・バーユウと一緒に生きてきたことを知ったのも、ごく最近だった」

 封神台、と言う単語に反応を見せたが、暁八雲シャオ・バーユウは黙って続く言葉を待った。しかし口籠る陽斗を見て、傍らの岩の上に予め準備し置いてあった竹筒を渡すと、陽斗はそれを受け取って中身を確認せずに一息に飲み干した。入っていたのはただの水のようでいて、よく冷え仄かに甘く感じる。からからに乾いていた咥内と喉に潤いが戻り、体中に水分が染み渡るようで、ようやく生きた心地がする。

「…はぁ…美味しいな、この水。ありがとう」

「この辺りは山の雪解け水が至る所に湧いていて豊富だからな。天原テンユェンはかなり出血していたから、水分と栄養を摂って身体を休めろ」

「…それ、この人の…天陽龍テン・ヤンロンあざな?」

「そうだ。何故おまえが奴の身体に居るのかは分からん。だが無下に追い出す訳にもいくまい。おまえが自分の生きていた場所に戻るまで、今はおれの傍にいればいい」

「……ほんとにいいの?」

「このまま捨て置くことはできないからな。陽斗が居なくなったあと、天原テンユェンとはどの道同じ行先に行かねばならない。なら一緒に居た方が都合いいだろう」

 予想外な言葉に陽斗はぽかんと口を開けて呆けたが、気を取り直し濡れた竹筒の底に映る自分の顔を窺う。二十代後半くらいの精悍な顔つきをした男で、寝ていたからなのか顎から口の周りに無精髭が生えている。黒々とした長い髪を降ろし、肌艶はそれなりに良く、唇はややかさついているが怪我人とは思えなかった。天陽龍テン・ヤンロンというのがこの肉体の主であることは分かっていたが、彼にとって特別な人しか呼ばない名を暁八雲シャオ・バーユウが呼んでいる以上、彼とはやはり深い友情で結ばれた関係なのだ。友人が目を醒ました途端何処の誰だか分からない人物が喋り、動いている状況にさぞかし困惑させてしまっただろう。途轍もなく申し訳ないと思いながらも、陽斗は目の前に映るその顔を食い入るように見つめた。

「…全然俺に似てない…」

「ふん。…実際のおまえがどんな顔をしているかなどに興味はないが、さぞかし呑気な生活を送ってきたのだろうな。寝顔が隙だらけだったぞ」

「え⁉なっ、何で…?なんかした…?」

「ふ、さぁな。それよりも腹が減っただろう、朝餉を作ったから食え」

 陽斗が横たわっていた場所から少しだけ離れた場所に、焚き火の小さな炎が見える。暁八雲シャオ・バーユウが絶やさず火の番をしていたのか、昨晩から朝に掛けて不思議と寒くなかったことを思い出した。改めて彼の優しさに感謝しつつ、足先に力を入れ下半身を動かして立ち上がり、焚き火の傍に向かおうとする。しかし思ったように歩き出すことができず、両足が竦みバランスを崩し、倒れてしまいそうになった。しかし間一髪で暁八雲シャオ・バーユウ天陽龍テン・ヤンロンの肉体を支えてくれたおかげで、陽斗は痛い思いをせずに済んだ。陽斗はそのまま背中と太腿を支えられ、椅子替わりにしている岩の上に座らせられる。

「ご、ごめん…」

「…無理して歩くな、傷に障る。持って来るから待っていろ」

「はー……ほんとに優しいな、シャオさん…。それにしても、彼はなんでこんな傷を…」

「特別なことではない。知己を案ずるのは当然のことだ。それにその傷の理由を聞いたら、食欲を無くすぞ」

「…あまり深く聞かない方が良さそうだな」

「懸命な判断だ」

 焚き火の傍で小さな鍋のようなものから器に何かが移され、湯気を立てているのが見える。仄かに匂う食欲をそそる香りは醤油に似た調味料の匂いで、空腹を感じた陽斗は素直に「美味そうだなぁ」と小さく呟いた。

「…天陽龍テン・ヤンロンは幸せ者だ。こんなにも想ってくれる知己が傍にいるんだからなぁ…ずっと、この先も」

 匙を添えた椀を両手で持ち、陽斗のすぐ傍に来た暁八雲シャオバーユウは首を傾げ、何か言ったかと陽斗に尋ねた。しかし陽斗は首を横に振り、笑って誤魔化してしまう。自分が感謝を伝えなければならないのは、目の前にいる暁八雲シャオ・バーユウの他にもいるのだから。

「美味しそうな匂い…もしかして、お粥?」

「ああ…そうだが、何故分かった?」

「この辺りの朝ごはんはお粥か包子パオズが主流で、もち米には解毒作用があるって知ってるんだ。好きな本…書物で読んだから」

「そうか…陽斗は思った以上に博学だな。口に合うかは分からんが、腹の足しにはなるだろう」

 差し出された椀を両手で受けとり、右手で匙を持ち粥をかき混ぜる。もち米の他、干し肉を小さく千切ったものや青葱に似た香草、刻んだ生姜が入っており、匂いだけでなく見るからに美味そうだった。息を吹きかけて粗熱を取り、ひと口啜ると干し肉から沁み出ているうまみが粥に溶け込んでおり、やはり美味い。あっという間にたいらげ、おかわりを頼みたくなったくらいだ。

 風邪を引いた時に母親がつくる真っ白な粥とは違い、味付けのされている褐色の粥を初めて食べ、陽斗は食文化の違いを改めて思い知らされた。

「シャオさん、料理上手なんだね?」

「旅をしていく中で自然と身に付いただけだ。作られたものを食べてばかりでは脂が多く、天原テンユェンが動けなくなるからな。食事作りは大体おれが担当している」

「そっか。確かにあんたの料理、毎日でも食べていたくなる味だ」

「……」

 暁八雲シャオ・バーユウはその場で俯いてしまい、無言のまま焚き火の始末を始めた。どうやら照れると急に無口になるらしく、陽斗は思わず笑ってしまいそうになる。現代の日本で出会った暁八雲シャオ・バーユウも、照れたり恥ずかしがっている時に口を噤んでしまっていたのを思い出す。現代ではあまり料理をしなくなったようだが、戻った時にはまたこの粥を作って貰いたいと思った。昨日会ったばかりの男と、自分の先祖たちが長い間友人でいたのは確かな事実だった。

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