暁の空
椎那渉
第一季 前編
第1話 邂逅
住所不定。職業不明。その正体は謎に包まれている。
なぜそのような男が目の前に居るのか、必死に記憶を手繰り寄せるが思い出せないまま時間は過ぎていく。
名前だけ名乗った相手は怪訝そうな表情を浮かべ、じっと睨みつけるようにこちらを見ていた。要求されているものに心当たりがあると言えば、あるにはある。だが今すぐに出せるものではなかった。
「…あの。赤月さん…もう良いですか、これから昼飯…」
「駄目だ。先に返答を」
「えっ、そんな」
それは困るんですけど。
かろうじてその一言を飲み込んで、
陽斗は寂れたビジネスホテルの一室、それもシングルルームのベッドに座っていた。赤月八雲と名乗った男は、椅子に座って向かい合うように彼を冷たく見つめている。
「お…わ、私にそう言われましても」
「おまえにとっても悪い話ではないだろう」
「いや、そんなこと言われたって」
相手の要求は二つ。
陽斗がコンクール用に撮影した、風景写真のデータを差し出すこと。それに対しては対価を出すと言われたが、審査期間に入りデータが戻るのは結果が出てからになる。故に、すぐの対応は不可能に近い。
もう一つの方は、おいそれと差し出すことなどできない物だ。むしろ『物』ではなく形がない分、余計にタチが悪い。
(…なんで俺がこんな目に)
青天目陽斗が抱いている夢を諦めること。
それが、赤月の提示した二つ目の要求である。
× × ×
子供の頃から、写真家になりたいという夢があった。
祖父は小さな写真館を営んでおり、代々続いてきた古い煉瓦造りの建物と共に、変わらない街並みを長い時間眺めてきた。陽斗自身も物心ついたときから写真館へ遊びに来ては、祖父の仕事風景や撮影機材を食い入るように見ていることが多かった。仕事で多忙な両親に代わり、祖父母と過ごす時間が陽斗の家族と過ごす時間で、祖父母もまた陽斗を大層可愛がった。写真館で使っているクラシックカメラからインスタントカメラ、ポラロイドカメラ、手作りキットの二眼レフに最新式のデジタルカメラまでその手に触れ、何気ない日常生活や近所の風景写真を撮影してきた。陽斗が小学4年生の頃に妹が生まれてからは、被写体の殆どが妹と、近所で可愛がっている野良猫になった。
中学生になるとより専門的な技術を学ぶため、進路は専門学校を選ぶことにした。芸術大学に入ろうと必死に勉強したが、入試試験の日に祖母が倒れそれどころではなくなった。そして翌年の春から、祖父と一緒に介護付きの高齢者施設へ入居することになる。
陽斗の父は写真館を取り壊すか人に売る予定でいたが、陽斗が引き継ぐと名乗りを上げて、写真館存続のために奔走した。それ故に、アルバイトや資格取得のため実質二浪して大学生になった陽斗は、22歳にして大学1年生である。それと同時に写真館の経営者となった彼は週末だけ写真館を開放し、地元の子供たちや街に住む人々へ、写真撮影の楽しさや面白さを伝えるワークショップを開いている。
先週のワークショップでは初めて来る大人も何人か居て、陽斗の撮影した写真を食い入るように見ていた。
『陽斗、どうだった?』
『へへ、任せろよ。渾身の一枚が撮れたんだ!』
『いいなぁ。俺もおまえみたいなセンスがあれば良かったのに』
専門学校で知り合い、同じ大学を目指す親友もできた。いつか、二人で写真コンクールの表彰台に上がろう。そんなふうに叱咤激励しては同じ時間を共有して、大学生になっても変わらず遊びに撮影にと付き合ってきた仲の友人。これからも、その筈だった。
その彼が突然、陽斗に襲い掛かってきたのが昨日。目的は良く分からず、何事か喚いて何かを探している様子だった。
そして誰かに助けられたと同時に気を失い、ホテルの一室に閉じ込められている状況で目を覚ましたのが今朝。
そこには見知らぬ男が居て、じっと陽斗を見ていた。
中肉中背で長い黒髪を一つに纏め、黒を基調とした衣服を身に着けている。目つきは鋭く、精悍な相貌は日本人らしくない。どちらかと言うと、陽斗が以前ドラマで見たことがある中国人俳優の雰囲気に似ていた。イケメンと云われればそうなのだろうが、如何せん得体の知れなさが先行してすぐには信用できそうになかった。そして流暢な日本語が彼の唇から発せられると、陽斗の身体は余計に強張ってしまう。
「……おい、聞いているのか」
「聞いてます、聞いてますって…何で俺がこんな目に…」
「恨むなら自分の天命に文句を言え。嘆いてばかりでは先に進むことはない」
「だからって!何で俺が写真家になる夢を棄てなきゃならないんだよ!」
怒りや悲しみや何もわかっていない自分の不甲斐なさに嫌気が差して、陽斗は赤月に詰め寄った。
しかし赤月は動じることなくフンと鼻を鳴らし、陽斗の額を人差し指で抑える。
「ならば全てを知る覚悟があるか」
「はぁ?何を…」
「覚悟があるなら目を瞑れ。無ければ何も言わずに写真のデータをすぐに差し出しこの場から去れ」
突き出された指を掴む勢いで握り、陽斗は半ばヤケクソになりながら叫んだ。
「かっ…覚悟ならある!こうなったら矢でも鉛玉でも降って来いよ!」
陽斗が自棄になりそう叫ぶと、赤月がにやりと笑って陽斗の両腕を掴む。
「歯を食いしばれ!
日本語ではないカウントダウンの後、まばゆい閃光が辺りに広がり、二人を包み込む。
その数字は普段聞き馴染みがないのに、何故か陽斗には懐かしく感じた。
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