第十一話 エアコンの風と笑い声


昼下がりの教室には、エアコンの低い音と、外から聞こえる蝉の声が混じっていた。窓の外では陽炎がゆらゆら揺れ、木々の葉がそよぐたびに影が揺れる。机の上には色鉛筆や消しゴム、少し乱れたプリントが並び、生徒たちの小さな生活痕を静かに語っている。


「ねぇ、悠人! ここってどうやって解くの?」

葵が元気いっぱいに声を弾ませ、机をぐいっと寄せる。プリントを指差しながら髪を耳に掛け直すと、ポニーテールが揺れて光の筋を切り裂く。悠人の視線は自然とその影と動きに追われる。


悠人は小さくため息をつく。

「……またそこか。昨日も同じとこ間違えてたよな」

「う、うるさいなぁ! 昨日は寝ぼけてただけだもん!」

「授業中に?」

「……ちょっとだけ……」


美月がクスッと笑う。葵は顔をしかめる。

「なに笑ってんの、美月?」

「ううん、なんでも。……でも、葵と悠人って、ほんと仲いいよね」

「えっ? な、なにそれ!」

葵の声は少し上ずり、頬が熱くなる。胸の奥がチクッと痛むような微かな照れ。窓から差し込む光と揺れるカーテンの影が、葵の心をふわりと揺らす。


悠人は苦笑しながら、美月に目を向ける。

「美月も、たまには葵に教えてやってくれよ」

「え、わたしも?」

美月は眉をひそめつつ、頬を赤らめる。この時間がちょっと嬉しい自分に気づく。


「こういうの、説明するのは美月の方が上手いだろ」

悠人が淡々と言うと、美月は少し考えてから、

「……そうね。悠人って、確かに説明はちょっと苦手そうだものね」

「おい……」

悠人が苦笑して頭をかく。

「だから、頼むよ」


「えーっ、なにそれ! 二人で組んで教えるの?」

葵が頬を膨らませ、くるくると目を動かす。

「でもさぁ、悠人の教え方って、ちょっとわかりにくいかも」

「じゃあ、次から教えてやらないからな」

「えっ、それは困るよっ!」


葵の声に悠人が思わず吹き出す。美月も微笑みながら心の中で「もう、ふたりとも仲いいんだから」と呟いた。


結局、悠人と美月が並んで葵のプリントを覗き込む。光が窓から差し込み、紙の上で影が揺れる。三人の手がプリントの上を行き来すると、光の筋も微かに動き、鉛筆の先端が揺れるたびに反射が弾けた。窓の外の風でカーテンが揺れ、その動きが机やプリントの影に連動する。


「ここはね、途中で分母をそろえるの。……ほら、こうすると式がきれいになるでしょ?」

美月の穏やかな声と手つきに、葵は「なるほど!」と目を輝かせる。少し頼もしく感じる心地よさに、胸がきゅんとする。


ふと葵が鉛筆を落とす。

「わっ、落としちゃった!」

「あー、拾おうか?」と悠人。

「うん、ありがとう」

美月も手を伸ばし、三人で鉛筆を手渡ししながら、小さな笑いが弾ける。鉛筆のカリカリと消しゴムのこすれる音が教室に軽やかに響き、窓の外の葉のざわめきと重なる。


葵は一瞬、窓の外に目をやる。揺れる木の葉、光の筋、蝉の声。ふと視線を上げると、青空に薄く雲が流れ、夏の光がやわらかく教室に差し込んでいる。心の中で、悠人や美月とこうして笑いながら過ごす時間を思い浮かべる。なんでもない日常のはずなのに、空と風と光が、今だけはちょっと特別に感じられる――そう思うと、自然と顔がほころんだ。


その時、葵が消しゴムを手に取りながらにやりと笑う。

「ねぇ、悠人、美月、もしこの消しゴムが空を飛んだら、算数の神様に届くかな?」

「葵……」悠人は苦笑い。

「だってさ、教えてくれたお礼に、神様に飛ばしてあげるの!」

美月もつられて笑い、思わず「もう、ほんとに葵って天然ね」とつぶやいた。


窓の外の木々はさらに風で揺れ、光と影が教室に流れ込む。蝉の声や廊下の足音もかすかに聞こえる中、三人は小さな笑いの余韻に包まれた。葵の視線はふと空へと向き、青の中に自分の心を映すようにして、今日の何気ない時間の温かさを胸に刻む。日常の中の小さな幸せが、そっと三人の心に残った。


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