【第2章】 羽蛇の預言⑶

羽蛇会の話題で世間が沸き立つ中、もう一つの不気味な兆候が静かに広がっていた。


 上野の事件の搬入口で押収された黒曜石の破片。警視庁の鑑定では「数百年前のものと成分が一致する」という結果が出た。近代的な加工ではなく、古代の祭具に近い組成を示していたのだ。


 神津刑事は報告書を握り潰さんばかりに丸めた。

 「何だこれは……骨董屋で買ってきたって話じゃ済まんぞ」


 悠真は専門家の立場から説明を加えた。

 「黒曜石はアステカの供犠で最も重要な素材です。ナイフや鏡として使われ、血を神に捧げる儀式に欠かせなかった。つまり、犯人は単なる模倣犯ではなく、本当に“血の神”を再現しようとしている」


 その時、黒木が差し出したタブレットには新たな記事が表示されていた。

 【地下サイトに“祭壇”の写真流出か】


 そこには、コンクリートの空間に黒曜石の刃を円形に並べ、中央に血痕の染みた布が敷かれている写真。

 キャプションにはこう書かれていた。

 ――「シペトテックの祭壇。皮を剥がれた者の魂を捧げよ」


 悠真の胃の奥が冷たく重くなる。

 都市伝説が演出を越え、現実に血を吸う舞台装置として存在し始めていた。


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 SNSに衝撃的な映像がアップされた。

 フードを被った人物たちが地下の暗闇で火を囲み、黒曜石の刃を掲げて唱和している。


 《我らはシペトテックの子。皮を剥がれし神に血を捧ぐ。

  羽蛇の偽りの救済に惑わされるな。

  血こそが真実、死こそが贖罪である。》


 映像は途中で途切れるが、最後にカメラの前へ突き出されたのは――血に濡れた人間の皮片のように見えた。


 黒木は背筋を凍らせた。

 「……これで決定的ね。羽蛇会と対を成す、血のカルトが現れた」


 悠真は唇を噛みしめながら呟いた。

 「シペトテック。皮を剥ぐ神……。つまりこれは、“神々の代理戦争”を現実に移し替えるための仕掛けなんだ」


 神津は机を拳で叩いた。

 「冗談じゃない! 宗教戦争の真似事で若者を殺す気か? ……いいか、これは神でも伝説でもない。ただの殺人鬼だ。必ず止める」


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 事件は加速した。

 市内の廃工場で、若い女性の遺体が発見された。

 皮膚の一部が剥ぎ取られ、黒曜石の刃で切り刻まれた痕跡が残されていた。

 遺体の胸元には血で記された文字――「シペトテック」。


 現場に駆けつけた神津と捜査員たち。

 黒木も記者の権限を盾に潜り込み、悠真は彼女の伝手で遺体を遠巻きに確認した。


 黒木は低く呟いた。

 「……これはもう“演出”なんかじゃない。本物の祭儀よ」


 悠真は凍りつくような恐怖と同時に、奇妙な確信を覚えていた。

 ――これは神話を理解し尽くした者の手口だ。

 偶然でなく、正確に“供犠の形式”を再現している。


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 警視庁の会議室。

 羽蛇会の預言と、シペトテック信奉者の犠牲儀式。

 二つの勢力が拮抗する構図が浮かび上がっていた。


 神津が低く言った。

 「つまりこういうことか。羽蛇会は“救済”を唱え、シペトテックは“犠牲”を求める。互いに信者を奪い合い、現実に死体を積み上げている」


 黒木が頷く。

 「都市伝説を舞台にした代理戦争。……でも、こんなことを仕組める人間がいるのかしら?」


 悠真は静かに口を開いた。

 「アステカ神話をすべて理解し、映像・象徴・儀式を自在に操れる存在。……もしかしたら、“一人の犯人”じゃなく、組織かもしれません」


 会議室の空気が重く沈む。


 その時、神津の携帯に一本の電話が入った。

 受話器越しに漏れる声は、電子的に歪められ、不気味に響いた。


 《我らは祭壇を整えた。七日後、羽蛇の光の下で血の贄を捧げる。

  選ばれるのは――橘悠真。》


 神津の表情が凍りつく。

 悠真は、自分の名が告げられた瞬間、頭の奥に冷たい刃が突き刺さるのを感じた。

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