【第1章】 黒曜石の鏡⑵

画面に映る自分の顔から、悠真は思わず視線を逸らした。

 動画はそこまでで途切れ、後は暗転していた。


 胸の奥に冷たい重みが広がる。

 これは偶然のいたずらではない。自分を狙ったものだ。

 そう直感した瞬間、研究室の電話が鳴った。


 夜の研究室に響く呼び出し音は、異様に大きく聞こえた。

 受話器を取ると、低い女の声がした。


 「……橘悠真さん、ですね?」


 「どちら様ですか」


 「黒木実紗。フリーの記者よ。あなたの研究を読んで、興味を持った」


 不躾で、だが確信に満ちた声だった。

 悠真は眉をひそめた。黒木実紗――名前は聞いたことがある。オカルト記事や都市伝説を追い続けているジャーナリストで、ネット界隈では半ば有名人だ。


 「どうして僕に?」


 「メールが届いたでしょう? 《黒曜石の鏡に覗き込め》。あれ、あなた宛てに送られたはずよ」


 悠真は一瞬、言葉を失った。

 「……あなたが送り主か」


 「違うわ。だけど、送り主はあなたを事件に巻き込もうとしている。そうじゃなければ、あの鏡にあなたの顔が映るはずがない」


 受話器越しに微かな息遣いが伝わってくる。

 悠真は口を開いた。

 「仮にそうだとして……なぜあなたが知っている」


 黒木は短く笑った。

 「私のところにも届いたのよ。同じ動画が。ただしそこに映っていたのは――皮を剥がれた死体」


────────────────────


 翌日。

 悠真は黒木と初めて顔を合わせた。

 都心の喫茶店。彼女は長い黒髪を無造作に後ろでまとめ、鋭い目で悠真を射抜くように見た。


 「都市伝説ってのはね、放っておいても勝手に拡散する。でも今回のは違う。明らかに誰かが仕掛けている」


 黒木はそう言いながら、タブレットを差し出した。

 画面には、匿名掲示板に投稿された書き込みが並んでいる。


 ――「次は羽蛇の神が動き出す」

 ――「トラロックの涙が街を濡らす」

 ――「黄泉の王が、犠牲を待っている」


 悠真の背筋が冷えた。

 「……五柱の神、すべて……」


 「そう。最初からフルセットで仕組まれてる。シペ・トテック、テスカトリポカ、ケツァルコアトル、トラロック、ミクトランテクトリ。アステカを象徴する神々を一つひとつ現実に投影して、都市伝説を現実化させていくつもりよ」


 黒木はカップを置き、声を低めた。

 「そして次に狙われるのは、神話を解読できる人間。つまり――あなたよ、橘悠真」


────────────────────


 悠真は息を呑んだ。

 都市伝説をただの研究対象として眺めていた立場から、一歩も二歩も踏み込んだ瞬間だった。

 だが同時に、内心では微かな興奮も芽生えていた。


 ――これは「現代神話の生成過程」を実地で観察できる、前代未聞の機会なのではないか。


 学者としての好奇心と、人間としての恐怖がせめぎ合う。

 そして悠真は、黒木の提案に頷いてしまった。


 「……わかりました。調べましょう。黒曜石の鏡の正体を」


 その瞬間から、悠真の運命は、神々の血塗られた祭儀へと巻き込まれていくことになる。

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