第4話 合宿キャンプファイヤー、燃え上がる誤解の炎

 学園合宿は朝から騒がしかった。馬車の列が校門を出るとき、会長が威勢よく号令をかけ、歌うやつまで現れて、揺れる車内は遠足テンションだ。……が、俺の席だけやたら静かである。馬車の揺れが胃に来る。横でAがやたら元気に干し肉をかじり、Cは「酔い止め代わり」と称してミントをばりばり噛んでいる。


「B、窓の外の森、見ろよ。あれ絶対魔物出るやつ」

「そういうこと言うな……胃がひっくり返る」

「ほらミントやる」

「ありがとう……うわ強っ! 目が覚めた」


 合宿地に到着すると、目の前に湖と背の高い針葉樹の群れが広がった。空気がうまい。いや、うまいというより、肺がびっくりしてる。会長がすかさず俺の肩を叩く。


「模範的生徒のB。荷下ろし、薪、テント設営、飯ごう、すべての裏方を頼む」

「“すべての”って言ったな今」

「日誌も忘れるな」

「日誌も!」


 AとCが左右から肘でつついてくる。「任せたぞ、模範」「俺らは応援のプロ」とか言って、応援と称したサボりを決め込もうとするから、俺は容赦なくロープを渡した。


「じゃあその応援で、このペグを三十本打ってくれ」

「三十!?」

「応援全然関係ない!」


 テントは風に煽られて暴れるし、ロープは絡むし、ハンマーはどこかへ消えるし、体感だけで一日が終わった。昼、火起こしの時間になると、俺たちの班だけ煙幕部隊みたいになった。火打ち石から飛ぶ火花は美しいが、枯れ葉は頑固に拒絶する。


「ごほっ……見ろ、煙が友情を深める」

「B、それただの目つぶしだわ」

「涙が青春の味する」とCはなぜか詩的になった。


 やっとのことで火が点いたころには、飯ごうの中身は炭化していた。「これは……新しい料理名が必要だな」とAが真顔で言うので、「“暗黒リゾット”で」と俺が返したら、書記がどこからともなく現れてカリカリと手帳に書き込んだ。「暗黒リゾット、記録」と読み上げるな、記録するな。


 会計はそろばんを取り出し、「焦げによる予算損失、麦三合換算で……」と計上を始める。数字にするな、とツッコむ前に副会長が両手を焚き火にかざして「炎は青春の象徴」と謎の宣言をした。象徴はいいからまず米を救ってくれ。


 そんな混沌の昼下がり、白いワンピースに麦わら帽子という季節感全開のクラリス様が、湖の風を連れて登場した。いつものように紅茶を手にしている。どこから出したんだ、そのポット。


「ご苦労さま、B。煙の香りが似合ってきたわ。あなたの顔、今日も偶然を呼びそうね」

「褒めてます? 今の」

「もちろん。はい、これ」


 差し出された封筒は薄いのに、開くと細かい指示がぎっしりだった。


・薪が崩れそうになったら、誰より先にさりげなく支える

・火花が散ったら、ユナをかばう(衣服の耐火は自己責任)

・転倒は一度まで。二度目は“わざと”に見える

・焼きマシュマロはユナに譲る(レオンとの距離を縮める道具)


「それ、偶然じゃなくて演出計画です」

「偶然のプロデュース、と言いなさい」

「新業界作らないでください」


 夕暮れが湖を琥珀色に染め、影が長く伸びた。焚き火の準備が整うころには、俺は木材の束と汗の塩味に完全に同化していた。Aは「薪ってこんなに重いものだったのか」と呟き、Cは「明日、腕が別人のものになってる」と意味不明な未来予測をしていた。


 日が落ち、巨大な焚き火の塔に火が入ると、一瞬、森の空気が息を飲んだように静かになった。次の瞬間、ぱち、ぱち、と乾いた音が重なり、炎が立ち上がる。生徒たちの輪が広がり、歌が始まった。楽団はいない、けれど拍手と足音と笑い声が音楽になっていく。


(よし。俺は今日、壁だ。燃える壁だ。壁はしゃべらない、転ばない、目立たない)


 自らに暗示をかけ、木材補充係の位置で炎の呼吸を読む。熱が頬を刺す。着火剤のにおいと針葉樹の樹脂の香りが混ざって、胸の奥が少し高鳴った。輪の中では、レオンがユナに手を差し出している。ユナは緊張した笑みでそれを受け、ぎこちないステップを踏む。レオンはさりげなく速度を落とし、負担を減らしてやっていた。あいつ、王子ムーブがもはや自然だな。観客席の端――いや、輪の外の陰の位置にクラリス様がいる。紅茶の湯気が夜気に溶け、彼女のまぶたがほんの少しだけ下がった。眠いわけじゃない、演出家が劇の呼吸を測っている目だ。


「B、薪」と会長が短く指示する。俺はうなずき、炎の足元に木を差し入れた。火は嬉しそうに舌を伸ばし、ぱっと明るさを増す。生徒たちの声が大きくなった。副会長は即席でリュートをかき鳴らし始め(どこに隠してた)、書記は「歌詞不明」と書き付けている。会計はそろばんの珠を撫でながら「薪の消費、想定より二割増」とぼそり。数字にすんな、今は。


 炎の勢いが上がった。火花が高く舞い、瞬く星のように空へ散る。ユナが一歩、炎に近づきすぎた。レオンが軽く肩を引く。大丈夫、まだ遠い。俺は足元のリボン――昼間Cが誤って靴に結びつけて放置していたやつ――をつま先でさりげなく退ける。クラリスの指示書、項目三クリア。俺の中の謎の達成音が鳴る。


(このまま何事もなく終わってくれ……!)


 願いは届かない。焚き火が急に唸り、乾いた薪が割れた。火の粉がまとまって弧を描き、輪のこちら側に風が変わる。ユナが反射的に身をすくめた。レオンの手が伸びる。視界の端でクラリスの紅茶の湯気がぴたりと止まる。俺の足は考えるより先に動いていた。


 肩で風を切る。熱気が顔に集まり、皮膚が焼け付くようだ。ユナの前に割って入り、上着で火花を受ける。じゅ、と嫌な音がした。上着の肩に小さな焦げ痕が咲く。


「熱っ」


「ビーさん!」とユナの声。レオンがすぐさまユナの背に手を回し、もう片方の手で俺の肩を叩いて火の粉を払った。「大丈夫か」


「ちょっと焦げただけです。香ばしいくらいで」


 俺の口は勝手に強がりを言う。観客の輪がざわつき、数拍の沈黙のあと、拍手が爆発した。「B、すげえ」「勇敢だ」「火花の守護者!」などと口々に。やめろ、守護者なんて称号はカードゲームだけで十分だ。


 副会長はいつの間にか火の前に立ち、涙を湛えて両手を広げた。「炎を受け、少女を守る影――これぞ青春の証!」やめろ詩の朗読会は。会計がそろばんを鳴らして「勇敢ポイント+五百」。スコア化もやめろ。書記は「“火花の守護者”」ときれいな字で書いた。タイトル風にするな。


 AとCが人込みをかき分けて駆け寄ってきた。「B、大丈夫か! お前が火花を浴びるなら、俺たちも浴びるぞ!」「団結!」違う団結をしろ、焼かれてどうする。俺は二人の額を指で弾き、「お前らはバケツ持って走れ」と命じた。彼らは「了解!」と走り出し、途中で足を取られて同時に転んだ。輪から笑いが漏れる。なぜか場が和む。お前ら、空気読みの天才だな。


 少し落ち着いたところで、レオンが俺の肩に手を置いた。「B、助かった。君がいなければ、ユナが火の粉を浴びていた」王子の声はよく通る。輪の外側にいる生徒までが聞き取れるくらい、まっすぐだ。危ない、そういう公開感謝は株価を吊り上げるからやめてくれ。


「いえ、偶然です。たまたま、そこにいたので」


「君はいつも、“そこにいる”べき時に“そこ”にいる」とレオン。やめろ、名言ぽくまとめるな。名言は議事録行きだぞ。案の定、書記がカリカリとペンを走らせている。俺は慌てて手を振った。


「ほんとに偶然なんで!」


 ユナが小さく微笑んだ。「偶然でも……ビーさんがいて、よかった」その声は焚き火のはぜる音に混ざって、耳の奥に残った。危ない。これ以上優しくしないでくれ。俺の“背景指数”がどんどん下がる。


 ふと視線を感じた。クラリス様だ。輪の陰、火の光と影の境目に立って、こちらを見ている。いつもの薄笑い、でも、ほんのすこしだけ瞳に熱が宿っていた。彼女は紅茶をひと口含み、わざとらしくため息をつく。舞台の呼吸、次の段取り、そういうものを全部まとめて「面白い」の一言に圧縮する女の顔だ。


 その後の時間は、火が落ち着き、歌が緩み、マシュマロが串に刺されて焦げ、砂糖の匂いが夜を甘くした。クラリスの指示書にあった「マシュマロはユナに譲る」も忘れず実行した。ユナは最初、遠慮して首を振ったが、俺が「焦げすぎたやつなので」と半分冗談で押し付けると、くすっと笑って受け取ってくれた。レオンがその様子を見て、わずかに目元を緩めた。いいぞ、二人で勝手に進展してくれ。俺は壁になる。燃えにくい石の壁に。


 消灯の号令。火は灰の毛布をかぶって眠り、夜は星を降らせ始めた。テントへ戻る途中、背後から控えめな足音が追い付いてきた。クラリス様だ。月光の下でも紅茶のカップはカップの形をしている。もはや呪いか魔法だ。


「おめでとう、B。今日のあなたは“偶然”から“必然”へ一歩進んだわ」


「嫌な進化やめてもらえます?」


「人は見たいものを見る。今日、みんなは“あなたはいるべき時にいる”と学んだ。――次から、あなたが“いない”と不安になる」


「やめてください、俺が背景から消える自由を」


「自由は、物語の前では最高の贅沢よ」


 さらりと言い放ち、クラリス様は小さな封筒を俺の胸ポケットに差し込んだ。硬い紙の手触りが心臓に直に触れる。


「もう次の“偶然”の出番? まだ灰が温かいんですけど」


「休むのも演出。……でも準備は早い方が良いわ。読んで」


 テントに戻ってから封を切る。中には短い指示と、いつもの文体。


次回、学園試験にて“偶然らしい偶然”を演出せよ。

席替え、消しゴム、風、紙の音――静けさの中ほどドラマは響く。

成績は運命の一側面。運命は演出できる。


「試験で偶然って、何する気だよ……」


 AとCが寝袋に潜りながら、むにゃむにゃと返事をした。「B、今なんて?」「運命がなんとか」寝言のまま会話するのはやめろ。俺は寝袋の口をぎゅっと締め、天井の布を見つめた。布越しに夜風が膨らんで、テントが息をしているみたいだ。今日一日の汗と煙の匂いが残って、目を閉じると火の赤がまぶたの裏に揺れた。


(俺は背景でいたい。ずっと。だけど、“背景でいる”にもきっと技術がいる。姿勢、呼吸、位置取り、そして――誰かの視線をそっと流す手つき)


 クラリス様の言う「必然」なんていらない。でも、今日みたいに誰かが火の粉を浴びそうなら、体が勝手に動くのも、きっともう止められない。ため息が一つ、寝袋の口から漏れて、夜に溶けた。


 湖の方から、かすかな波の音がした。森は静かで、星は遠い。明日の帰路はたぶん筋肉痛で地獄だ。会長の日誌チェックもある。副会長は詩を増やしてくる。会計は予算の夢を見る。書記は俺の寝言まで記録しかねない。レオンは多分、まっすぐで、ユナは多分、頑張り屋で、クラリス様は間違いなく、また紅茶を持って現れる。


(……頼む。せめて、テストのときくらいは、俺を“壁”にさせてくれ)


 祈るように目を閉じた。星は答えず、焚き火の灰だけが、夜の底でかすかに熱を保っていた。翌朝、それがまだぬくいことを、俺は知らない。次の「偶然」に、ちょうどいい火種になることも。

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