悪役モブに転生したんだが、そもそも名前すら無い件
@nasten
第1話 取り巻きB、台本にない台詞を吐く
気がついたら、俺は学園の廊下に立っていた。磨かれた白大理石。壁にかかる謎に豪華な肖像画。甘ったるい花の香り。
――そして、目の前では高慢そうなお嬢様が、地味な少女を見下ろしている。
「あなた、庶民のくせに我がクラスで目立つなんて、わきまえなさいな」
なるほど、わかりやすい。テンプレの“ヒロインいびり”である。
そしてそのヒロイン、確かゲームでの名前は――ユナ・アルディス。前世で何度も見たイベント通りだ。
さらに両脇。俺の右に、顎をつんと上げた同級生。左に、腕を組んでうんうん頷く同級生。
「おい、取り巻きB。お嬢様のセリフに合わせて威嚇しろ」
右のやつが言った。
……取り巻きB?
一瞬、鼓膜がバグったのかと思った。でも左のやつは続ける。
「取り巻きAは俺だ。お前はB。そっちが取り巻きCな」
三人、うなずき合う。自然にアルファベットで自己紹介しないでほしい。
というか、Aって名乗るな。役職か。名刺に刷るのか。
その中心で高慢に笑うのは――クラリス・フォン・ローゼンベルク。この世界の“悪役令嬢”だ。
脳裏のどこかが、ぐいっと引っ張られた。
(このシチュ、見覚えある。……そうだ、乙女ゲーム『薔薇冠学園エトワール』。序盤のイベント“廊下の邂逅”。悪役令嬢クラリスと取り巻きA・B・Cが、ヒロインのユナをいびるやつだ)
そしてこのあと、“たまたま通りがかった攻略対象の王子”が颯爽と現れ、正義の説教をかます。
名前は確か――レオンハルト・フォン・グランツ。王子様の代名詞。
取り巻きたちはビンタこそされないが、言葉の剣でズタズタにされ、以降画面に二度と登場しない。
そう。俺は今、退場待ちの列に並んでいる。
(いやいやいや、ちょっと待て。俺、取り巻きB? 名前すらないやつ? 出番、秒で終わるやつ? エンドカードにも載らないやつ?)
「B、威嚇だ威嚇。『庶民風情が』とか、『場違いですわ』とか、なんかそれっぽいのを叫べ」
右のAがひそひそ声で急かしてくる。クラリスは顎を上げ、完璧な角度で見下ろし続けている。ユナは、ぎゅっとノートを抱きしめて震えた。
――退場したくない。
その想いが喉を塞ぐ。叫ぶどころか、のど飴が欲しい。
(ここで原作通りに動いたら、俺は正しく消える。なら逆だ。台本にないことを言えば、イベントはバグる)
よし、やるぞ取り巻きB。お前の名は今日から“戦略的腹痛”。
俺は一歩前に出て、腹を押さえ、毅然と口を開いた。
「……ク、クラリス様。僕、急にお腹が痛くなってきたので退場します」
廊下の空気が一瞬で固まる。
AとCは「え?」という顔で俺を見る。クラリスが指を止め、ゆっくりと振り向いた。
「退場って、なに?」
(しまった、メタ発言がすぎた!)
言い直す。言い直せ、俺。
「いえ、つまり、その、公衆の面前で威嚇などという低俗な行為に参加するのは、僕の教育理念に反します。よって自主的に距離を取り――」
「B……お前、そんなキャラだったか?」Aが目を細める。
「急に良心の呵責がどうこう言いだすの、サブクエの端役みたいで、逆に怖いんだけど」Cが距離を取るな。
クラリスはすっと目を細め、俺を値踏みする。
やばい、怒られる。怒られたら俺の出番は感情のボコで終わる。
そのときだ。
廊下の角の向こうから、軽やかな靴音が響く。金ボタンの上着を翻し、栗色の髪が光る。
「そこで何をしている?」
――来た。攻略対象、レオンハルトだ。まるでスポットライトのように、周囲の生徒の視線が一斉に彼へ吸い寄せられる。
原作通りなら、彼が正論を投げ、俺たちはひとしきり縮こまって、「以後気をつけます」で退場だ。
だが今日は違う。俺が違う。
出番を延命するには、レオンハルトに“いい誤解”をさせる必要がある。
俺は腹に手を当て、苦悶の表情を作った。演技経験ゼロ、気合で行く。
「レ、レオンハルト、様……っ。彼女(ユナ)の前で、庶民差別が起きぬよう、私が先んじて身を引き、事態を鎮めようとしておりました……!」
言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
だがレオンハルトは、きらりと目を細め――
「……なるほど。自らを悪役に据えて場を収める。勇気ある判断だな」
(なんでそうなるの!?)
横でAとCがぽかんと口を開ける。お嬢様は「は?」と軽く首を傾げた。
レオンハルトはさらに俺の肩に手を置き、凛とした声で続ける。
「名を聞こう、君」
不意打ち。
よりによって名前。
取り巻きBにそんな高度な設定、用意されていない。
「……び、B……です」
「B……ビー。短い。覚えやすいな」
覚えやすさの問題じゃない。そもそも人名としての体裁がない。
だがレオンハルトは満足げにうなずき、ユナへ向き直った。
「君も怖い思いをしただろう。彼は身を挺して止めようとした。……皆、ここでこの件は終わりにしよう」
拍手が起きた。なぜだ。
ユナが、おずおずと俺を見て言う。
「あ、あの……ビーさん。ありがとうございます」
ありがとうと言われた。取り巻きB生涯で初の感謝イベントだ。俺の胸にじんわり温かいものが広がる――が、いかん、情に流されるな。
目的は延命。信用してほしいのはレオンハルトとユナだが、悪役令嬢ルートの爆弾もここにいる。クラリスをどうやって穏当に退かせるか。
クラリスは、レオンハルト→ユナ→俺、と視線を三角に走らせ、ふっと笑んだ。
「面白いわね、取り巻きB。あなた、そんな台詞、台本にあったかしら?」
(おい。世界観の壁からメタが漏れてるぞ)
「ありませんでしたら、今書き足しておきます。Bの忠義、って」
さらっと危険なことを言うなこの人。
レオンハルトが小さく咳払いをして事態を収める。人だかりが少しずつ散っていき、ユナは深く頭を下げて去った。
AとCは「なんか今日のB、怖い」と言い残して退場。
残ったのは俺と、クラリス、そしてレオンハルト。
「ビー。昼休み、私のところへ来なさい」
クラリスがヒールを鳴らし、去っていく。
レオンハルトはにこやかに手を振り、「また」とだけ言って向こうへ。
静寂。
残された俺は、壁に背を預け、その場でへたり込んだ。
(……生き残った。俺、今日の出番、生還した!)
だが歓喜は一瞬。胸の内側で、重たい現実が顔を出す。
(昼休み――悪役令嬢の私室呼び出し。原作にはないイベントだ。分岐が、始まった)
◇
昼休み。
クラリスの私室は、日当たりの良い角部屋だ。白を基調とした家具に金の縁取り。薔薇の香り。センスの暴力。
扉の前で二回ノックし、三回目は小さく。誰に教わったマナーだか覚えていないが、体が勝手にやった。扉が静かに開く。
「入りなさい、B」
部屋の奥、丸テーブルに紅茶。お嬢様が座り、椅子を指し示す。
恐る恐る腰を下ろすと、メイドが音ひとつ立てずに二杯目を注いだ。
沈黙。時計の針の音がやけに大きい。
「今日のあなた、とても面白かったわ」
「面白がらないでください。寿命が縮みます」
「寿命はいつも有限よ。だからこそ、出番の使い方が大事。……ねえ、B。あなた、自分の役を変えたいの?」
クラリスの瞳が、意外なほど真剣だった。茶目っ気の奥に、刃のような知性がある。
俺は喉を鳴らし、正直に言う。
「正直に申します。背景に溶けて生き延びたいです」
「背景に溶けるのは、絵画の仕事よ。人間なら、場面を奪いなさい」
「いいや俺は場面を譲りたい派です」
「譲るふりをして、奪うのよ」
怖い。
だが同時に、妙な説得力があるのがまた怖い。
「今日のあなたの一言で、王子はあなたを『忠義深いモブ』として認識した。ヒロインはあなたに『安心』を抱いた。観客があなたにラベルを貼ったの。これは強いわ。登場権を得たのだから」
「登場権……?」
「簡単に言うと、次も画面に映ってもいいって許可。それがある人間は、消されにくい」
ぴたり、と心臓が跳ねた。
この世界には、確かに「物語の修正力」がある。場違いなモブは、すぐ舞台袖に押し戻される。
でも、観客――いや、周囲の認知が“いて当たり前”になれば、押し戻されにくい。
「……あなた、悪役令嬢なのに、なんでそんなに親切なんですか」
「親切? 違うわ。私は面白い方が好きなだけ。それに――」
お嬢様はカップを置き、にこりともせずに言った。
「私たち“悪役”には、優秀な取り巻きが必要なの。Aは見栄えがいいけれど反射神経が鈍い。Cは空気が読めるけれど、踏み込みが浅い。B、あなたは今日、自分で踏み込んだ。その胆力、買うわ」
「買わないでください。買い取りは拒否します。レンタルで」
「じゃあ今日から外注ね。歩合制で」
契約形態がフリーすぎる。
でも正直、悪くない取引だ。クラリスの庇護下にいれば、変なイベントで即退場はしづらい。
何より、彼女は“物語の力学”を薄々理解している。正しく悪役をやれる人だ。そういう人の近くは、むしろ安全だ――若干メタ過ぎるところもあるが。
「条件があります」
「言ってみなさい」
「暴力と違法行為と、わかりやすい悪口はしません。あと、できれば週二で早退します」
「最後のは何?」
「命の洗濯です」
「いいわ。じゃあ代わりに、台本にないセリフを時々吐きなさい。場面が踊るから」
この人、演出家なの? 悪役令嬢って、肩書き“悪役”の監督”令嬢じゃないの?
とにかく俺はうなずいた。
こうして俺は、取り巻きBから――悪役令嬢の外注モブになった。
契約第一号の仕事は、放課後の図書室での偶然の出会いイベントに“偶然らしい偶然”を供給することだという。
「どうやって?」
「簡単よ。本棚の陰から、時々ため息をつくの」
「仕事、軽っ」
「軽いからこそ効くの。観客は軽い違和感に弱いのよ」
彼女は涼しい顔で言った。
俺はスケジュール帳(メモ欄『今日の出番』と書いてある)を開き、放課後に“ため息を三回”と書き込む。
これが将来、図書室にため息属性が付与され、恋愛イベントの発火率が三割上がるとは、この時の俺は知らない。
◇
放課後の図書室。
陽光が本の背を舐める。静寂。紙の匂い。
俺は本棚の陰――カメラがギリギリ拾いそうな位置にしゃがみ、タイミングを見計らう。
(ここで、ため息を……ひとつ)
すー、はあ。
自分でも笑ってしまうほど、情けない音が出た。
でも、その瞬間。通路の向こう、ユナが小さく肩を揺らした。気づいた。
さらに半拍遅れて、レオンハルトが顔を上げる。気づいた。
(よし、二回目)
すー、はあ。
レオンハルトの視線が、ユナからわずかにそれ、迷子のように宙をさまよう。
そして三回目。すー、はあ――
「そこにいるのは、ビーだろう?」
おっと見つかった。拾われた。
俺は本棚からにゅっと顔を出し、ばつが悪そうに笑った。
「こ、紅茶の本を探していて」
「ため息は紅茶の抽出に必要だったか?」レオンハルトが笑う。ユナも、つられて笑う。
空気が、柔らかくなった。
ほんの少し、原作より早く、二人の距離が縮まる。
俺はその小さな変化を、胸の中でガッツポーズしながら見届けた。
これでいい。俺は空気になる。空気は、場に必要だ。誰も空気を退場させない。
「ビー、君は不思議だな」レオンハルトが言う。「いるのに邪魔にならない」
(最高の褒め言葉いただきました!)
図書室の窓の外で、夕陽が傾く。
その色の中で、ふっと背筋を冷たさが走った。
視線を感じて振り向くと、そこには――
扉の陰からこちらを見つめるクラリス。
笑っていないのに、楽しそうな目。親指をすっと立て、グッドのサイン。
了解です、監督。
取り巻きB、次の出番も、ちゃんと取ってきます。
(生き延びるって、案外忙しいな)
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