R7年Sep.24th Diary①
夢美瑠瑠
第1話
小説…小説に限らず、文を自由に綴るという場合には、まあ様々な方法論があって、百花繚乱千差万別、曼荼羅万華鏡、こういう様相を呈するという感じがあります。 ないかもしれんが? あるかもしれない。
オレはあると思うほうです。
決まったスタイルで、同じような千篇一律、同工異曲を、かたくなに持続していると、そういう著作家も多い? アタマが固いのかも? ワルイのかも?
などと不謹慎を書いたりするが? 自分に自信があるのではなくて、オレは変わり種ということかと思う… 「ポコチャ」というライブ配信のサイトでは、「狼少年」と名乗ってますが、「うんうん、わかる」と、納得するひとが多い。
ニュアンス的にがえんじられやすいのか。
オレは、スタイルやら内容がいろいろ多彩過ぎる気もする。 浅く広くという、まあまだ試行錯誤中、練習模索中ですが、そういえば、筒井康隆さんは、昔に、先輩作家が対談で「あいつ(筒井さんのこと)は小間物屋の店先みたいに軽薄にいろいろ書きすぎる」と、陰口をたたいていたと日記で怒っていたが、そういう弊に近いという自覚もあります。
「長編を書く人は体力がある」という説もある。
オレは虚弱なので、あまり息が続かないのは確かです。 すぐに適当にハナシを纏めたくなる。
これも筒井氏の受け売りですが、「男性的サド」「男性的マゾ」「女性的サド」「女性的マゾ」の四タイプがあるともいうらしい。
男Sが石川達三で、女Mは官能作家、そんな風になるとか…なるほど、社会派がSで、家庭的内向的なほどに女っぽく、Mっぽくなるのかな?
太宰治さんは官能小説は書いていない印象ですが、女性の語りは例外的に多い。
情熱傾けて官能小説を書いたら面白かったと思います。
検閲が厳しいころには官能小説は難しかったというのもあるかも…
谷崎潤一郎は、性的描写がヒワイと思われて、国会に呼び出されたこともあったらしいです。 今なら有り得ない。
外国の作家まで視野を広げると、有名であればあるほどに、書くスタイルは、やはりかなりユニークで、文字通りにNOVELなのはさらに多い。
そういう印象あります。
例えば、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます