第6話 白色の晩夏


 その後救急搬送され、検査を受けていた。

 氷室の付き添いとして救急車に乗った神原は、待合室のベンチに座っていた。

 項垂れながら手を固く握り、氷室の帰りを待つ。

 神原の顔には苦痛と疲労が滲んでいた。

 

「俺が、俺が誘わなきゃ……」


 氷室と楽しく遊ぶはずだった。

 もちろん、それだけじゃない。

 氷室に友達からその先に行けるきっかけが欲しかった。

 だから祭りに行く誘いもした。

 肝試しでそばにいてほしいなんて言われた時は、氷室が俺のことを好きになったんじゃないかと考えもした。

 氷室に出会ってからずっと、自分の欲に忠実だった。

 だから、これは罰なのかもしれない。

 肝試しを友人らに提案したのは俺だ。

 だから皆、俺が氷室を誘っても何も言ってこなかった。

 俺が身勝手な人間だから、氷室を連れて行かれるのかもしれない。

 俺が、男を好きになるから。


 廊下の向こう側で大きな声が響き、神原は顔を上げる。

 聞こえたのは中年くらの女性の声だった。


「翠は!翠は助かるんですよね?!あの子に何かあったら……私……」


 喚く声は次第に涙声に変わる。


(氷室の、お母さんか……)


 神原は立ちあがろうとするが、後ろめたさで立ち上がることができない。


(どの面下げて親に会いにいくんだよ……俺のせいで、氷室が、死んでしまうかもしれないのに……)


 ベンチで再び項垂れると、看護師の人が声をかけてくる。


「ご両親が来たから君は帰って大丈夫だよ」


「ここに、いたいです……俺のせいで、氷室が……」


「君はまだ高校生でしょ、日を跨いじゃうよ。大丈夫、お友達は絶対に助かるから」


 看護師の声で神原の目に光が宿る。


「氷室、助かるんですか」


「うん、検査中だから詳しいことは言えないけど、命に別条はないよ。大丈夫」


 神原はその言葉にボロボロと涙を流す。


「よかった、良かったぁ……氷室に何かあったら、俺……」


「友達のこと、大好きなんだ」


「はい……めっちゃ、好きなんです」


 神原は看護師に連れられて泣きながら帰路に着いた。


(明日、病院行ったら会えるかな)


 氷室に会えたら謝ろう。

 そして、今度は氷室にちゃんと向き合おう。


 神原は暗い帰路を走りながら帰った。


 

 次の日、神原は氷室のお見舞いに行くため、準備をしていた。

 見舞いの品は何を持っていけばいいか分からなかったから、ここ最近ハマっている漫画を試しに五巻だけ持っていくことにする。


「……氷室、怒ってるかな」


 頭に過ぎるのはそんなことばかりだ。

 嫌われていないか、怒っていないか、失望していないか。

 そんなこと自分勝手なことばかり考えている。


「俺、なんでこんなに最低なんだろう……」


 視界が涙の膜で覆われるが、上を向いてやり過ごす。

 だって、泣きたいのは氷室の方に決まってるから。



 

 神原にとって病院は未知の場所だった。

 基本的に風邪も引かなければ、怪我もしないのでどんな場所かあまり見当がつかない。

 恐る恐る受付の人に話を聞くと、あっさりと氷室の部屋に通された。


 真っ白な廊下、真っ白な壁。

 全てが白く見える病室の前で、神原は立ち止まる。

 ドラマで見たような全身に管がついた氷室がいたらどうしよう。

 もし、寝ている氷室の顔に白い布がかかっていたら……。

 そんな最悪を考えながら、神原は病室のドアを引く。


 そこには体を起こし、ぼーっと外を眺めている氷室の姿があった。


「あ、神原」


 客人に気付いたのか、氷室はどこか疲れたような笑顔で神原を出迎える。


「氷室……」


「来てくれたんだ、うれしいよ。ありがとう」


 神原が部屋の前で立ち尽くしていると、氷室は柔らかい声で入室を促す。

 

「入ってよ、俺,神原と喋りたい」


 神原はぎこちなく病室に入ると、氷室のベッドのそばにある椅子に座る。


「あの、さ……氷室、俺、お前に謝らなきゃいけないことがあってさ……」


「神原が謝ることなんて」


 ないよ、と言おうとした瞬間、病室のドアが開く。


「翠、着替えを……どちら様?」


「あ、母さん」


 母さん、という言葉に神原は肩を震わせる。

 椅子から立ち上がり、母と呼ばれる人に頭を下げる。

  

「氷室君を危険な目に合わせてしまって、申し訳ありませんでした」


 その言葉に、氷室の母の雰囲気が刺々しくなる。

 

「あなたが翠をあんな場所に誘ったの?」

 

「はい……すみません」

 

「この子は、この子はね…特殊な体質なの」

 

「母さん、やめて。神原は何も悪くない。俺が行こうと思って行ったんだ」


 いつもは聞けないような、氷室の刺々しい声が病室に響く。

 

「翠……今までのあなたならこんなことしなかったじゃない…いきなりどうしちゃったの…」

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、俺だって友達と一緒にいたいと思うことだってあるよ!!神原と話したいから母さんは出ていって…」

 

 氷室の母は何か言いたげな目をしていたが、諦めたように病室から出ていった。


「ごめん……うちの親、過保護で」


「いや、子供が入院したら、誰だってああなるよ」


 神原は力なく答える。

 

「神原って本当に優しいね」


 氷室は優しく微笑む。

 それが今の神原には痛かった。


「全然、優しくないよ……お前をあんな場所に誘わなきゃ良かったって、ずっと考えてて……本当にごめん、ごめん……生きてて、良かった……」


「神原……」


「ごめん、今日はこれだけ言いに来たんだ、お前のお母さんにもあとでちゃんと謝るから」


「待って、神原」


「ごめん、俺、お前の友達になる資格、なかったかも」


「待って、待ってよ神原!俺怒ってないよ、むしろ神原のおかげで」


「ごめん、これ以上いたら変なこと言い出しそう。これ置いていくわ、暇な時にでも読んで」


 神原はそれだけ言うと、足早に病室を出ていった。


「神原……」


 氷室は、白い日差しにさらされる病室で、神原の後ろ姿を見送った。

 

「もう、友達に戻れないのかな……」


 氷室は、誰もいなくなった病室で呟く。

 『友達』という言葉に違和感を持ったが、立ち去った神原の後ろ姿がよぎり、違和感は静かに消えていった。




 神原が病室を出ると、そこには氷室の母親がいた。

 神原は母の方を向き、頭を下げる。


「本当にすみませんでした」


「……あの子があんな風に怒るなんて、初めてのことだわ」


 神原は黙って母の言葉に耳を傾ける。


「……申し訳ないけど、当分うちの子には近寄らないで」


「分かりました……」


 神原はもう一度頭を下げ、病院を後にした。

 神原は帰路に着きながら、静かに涙を流す。


「祭り、行きたかったな」



 ――――――――



 それから神原は氷室の母の言いつけ通り、病院に行くことなく夏休みを最終日まで過ごした。

 本当は一緒に過ごしたかった。

 一緒に宿題して、海に行ったり、買い物したり。

 どっちかの家に行って、持ち寄った漫画をダラダラ読んだり。

 そんな夏休みを氷室と一緒に過ごしたかった。


「あ、花火」


 自宅の窓に小さく花火が見える。

 そういえば今日は祭りだったことを思い出した。

 事前に友人たちの誘いを断っていたから、すっかり忘れていた。


「氷室と、見たかった」


 神原は花火を隠すようにカーテンを閉じた。

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