6話

久し振りに自室のベッドで横になった美怜は、ぼんやりと美琴の部屋の方を見つめていた。


10年ぶりに言葉を発した美琴。美怜の頭は妹の事で一杯になった。


10年前、学校の校庭で美琴が発見されたあの日。


警察から連絡があり、すぐに美琴が運ばれた病院に家族全員で向かった。当時15歳、中学3年生の美怜は今まで感じたことの無い緊張感と安心感を味わっていた。


美琴の病室についた時、両親は一目散に彼女を抱き締め、涙を流した。美怜は美琴と目が合ったが、美琴はすぐに目を背けてしまった。


何があったのかは分からない。しかし、10日間もの間、間違いなく彼女は何処かへ居た。一体どんな目に遭っていたのか、見当もつかなかった。


明るく、笑顔の絶えない妹は、もうそこには居なかった。俯き、目に光のない、まるで別人のような妹の姿がそこにはあった。


美怜も再会の喜びを分かち合いたかった。しかし、一目で分かる程の変化を遂げていた美琴の姿に、大切な妹の姿に、想像以上の衝撃を受けてしまったのであった。


衰弱していた美琴に対して、すぐに精密検査が行われた。事件の可能性もあったため、口にしたくもないような検査も行われた。しかし、目立った外傷は無く、暴行を受けたような形跡も存在しなかった。


体重は減少していたが、大幅に減少していた訳ではなかった。胃の検査も行われたが、一体何を食べて今まで過ごしていたのか、まるで分からなかった。


警察は美琴の体調を考慮していたが、一刻も早く彼女から何かしらの情報を手に入れかった。目ぼしい情報が皆無だったため、それは当然の事だった。世間から警察への風当たりも、日に日に強くなってきていた。


しかし、何の情報も得られなかった。美琴は、言葉を失ってしまったのである。保護された後、何を語り掛けても、美琴は声を発する事が無かった。頷きや、顔を振ることは出来たが、言葉だけが出て来ない。明るく、活発だった美琴からは考えられない変化であった。


しかし動かない訳にはいかない警察は、彼女から何としてでも手掛かりを掴みたかった。「はい」か「いいえ」か「分からない」を紙に書き、それを指で指してもらう形で警察は家族同伴の元、美琴の病室で事情聴取を行った。反応は遅かったが、美琴は警察の質問に答えた。


【他の子が何処にいるか知っている?】【分からない。】


【他の子と一緒だった?】【はい。】


【みんな以外の誰かが一緒にいた?】【分からない。】


【何処にいたか分かる?】【分からない。】


【どうやって学校に戻ってきたか分かる?】【分からない。】


【何かを食べれてはいた?】【分からない。】


【怖い事は何かあった?】【分からない。】


【誰かに話しちゃいけないって言われた?】【分からない。】


【みんなで何処かへ行こうって決めた?】【分からない。】


【歩いて何処かへ行ったの?】【分からない。】


【この10日間で、何か見たり聞いたりした事はない?】【分からない。】


質問に対する美琴の答えは、そのほとんどが【分からない】であった。唯一分かったのは、美琴が他の児童と一緒に居たという事、それだけであった。


美琴が入院する病院に、行方不明になった児童らの保護者達が押し掛けた事もあった。


『何か情報は分かったんですか?』


『ウチの子が何処にいるか分かりました?』


『何か教えて下さい!』



美琴から何の情報も得られなかったが、過度のストレスから記憶障害を起こしている可能性があった。しかし、そればかりはどうする事も出来なかった。自宅で療養した方がいいだろうという事になり、数日して、美琴は自宅へと帰る事になった。


『美琴ちゃん!』


自宅前で待ち構えていた岩崎葉子が、憔悴仕切った様子で安田家を捕まえた。


『美琴ちゃんお願い!亮太が何処にいるか教えて!お願いよ!』


『岩崎さん、困ります⋯!』


『だって、何も分からないなんてことあり得ないでしょう!?ねえ、美琴ちゃん!何か知ってるんでしょ!?』


『本当に知らないんです、この子。今は療養しないといけないので⋯。』


『そんな事言ってる場合ですか!?亮太だけじゃない!他のお子さんだって見つかってないのに!』


『岩崎さん、すみません。どいて下さい。』


『美琴ちゃんお願い!何か話して!教えてちょうだい!』


いつも優しかった岩崎葉子のあまりの変わり様を見て、美怜はとても悲しく、恐ろしい気持ちになった。



その後、何度も警察による美琴への聞き取り調査が行われたが、何の進展も起きなかった。捜索も虚しく、児童達が発見される事も無かった。


気が付けば、事件発生から10年が経過しようとしている。


美怜は美琴の部屋の方を見つめながら、他の児童達の事を考えた。一体何処へ消えてしまったのか。そもそも、まだ生きているのか。最悪の可能性を考えずにはいられなかった。


しかし今は、美琴が10年ぶりに言葉を発した事を喜ぼう。


美怜は静かに目を瞑った。


『美怜聞いて!美琴が何かを話したみたいなの!』


数日前の母からの電話を思い出す。そして、先程の真っ暗な部屋の真ん中に立つ美琴の姿が思い浮かぶ。


美琴は本当にあの頃と変わってしまったのだろうか。


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