第6話 VIP回廊とお化け役の夜

夜は“静けさ”を売りますの――影絵、提灯、道化、そして音数。


 朝の冷気を吸い込み、《設計視》で洞の奥をのぞく。

 色のレイヤーがふわりと重なった。風は青、湿りは緑、危険は赤。そして今朝は、いつもと違う色が一本――白金色の細い筋。

 それは、夜にしか現れない“静けさの流れ”。耳を澄ます客の歩幅が揃うラインである。


「VIP回廊はこの白金の筋に沿わせますの」

 わたくしは見取り図にさらさらと線を引いた。「定員十二名、前後間隔二歩、音数は三。一、提灯の芯を軽く合わせる音。二、靴底が石を撫でる音。三、息が揃う音。――それ以外は“余計”」

「了解。音数石を三基、上天井に」

 ノエルが無表情に頷き、コウモリ班が天井へ舞い上がる。音数石は、一定以上の音の粒が重なったときだけ淡く灯る“見える耳”だ。


「ぷる(床ライト、配線完了)」

 ヌルが白く光る粒を床に点々と並べた。スライムの体に通した発光紐が、歩幅に合わせてぱち、ぱちと控えめに灯る。

「床の光が“歩幅メトロノーム”ですの。走れませんわ、走る気にもなりませんわ」


 ゴブリン清掃班は道化の面を受け取り、鏡板の前で表情の稽古中。

「“怖い”ではなく“笑って怖がる”。一呼吸置いてから『びゃっ』、そして会釈」

「ぎゃっ……びゃっ……びゃっ(会釈)」

「お上手。泣かせないことが条件ですの。泣き始めたら“道化退場”」

「ぎゃ(了解)」


 広間の端で、ノエルが夜料金の札を準備する。

『提灯ツアー(一般):5銀/VIP回廊:12銀(お茶付き・限定影絵)』

「単価は倍以上でも、“静けさ”と“限定”があれば納得が勝つ」

 ノエルが白墨で小さく添える。『返金規定:泣いたら半額、走ったら全額返金+再教育』

「約束事は、先に明るく書くのが礼儀ですの」


◇◇◇


 夕刻前、ガレスが来た。

 濃紺の外套の襟を指で整え、珍しく列の最後尾に並ぶ。

「監督ではなく、客だ」

「では囁きでどうぞ」

 彼は小さく頷いた。表情は固いが、目の焦点は期待にほの温い。


 VIP回廊の前に**“静けさの約束”**の木札を吊る。

『一、声は囁き 二、歩幅は半歩 三、笑顔はそのまま』

 木札の横に、香導線の小壺――ほのかな柑橘と蜂蜜。匂いの筋が、並ぶ心を落ち着かせる。


「皆さま、音数は三。合図は提灯の芯がふれる小さな音だけですの」

 わたくしが囁くと、十二の提灯がことりと小さく鳴った。

 音数石が一つ灯り、すぐ消える。よろしい。


 第一コーナー。鏡板の向こうに、コウモリの羽が影絵を描く。

 ――薄い鹿、細い狐、しずくの王冠。

 子どもが息をのむ音が微かに重なる。音数石は灯らない。息は音数に入らない。呼吸は自由でありたいから。


 第二コーナー。滴翠の間。水滴が低くぽと、ぽとと落ちる。

 ヌルの床ライトが、半歩ごとに淡く灯る。

「ぷる(歩調)」

 子どもがヌルの背にそっと掌をのせ、同じ速度で歩く。

 泣き声はない。ああ、よろしい。


 第三コーナー――影の衝立の手前で、《設計視》に黒が滲んだ。

 不自然なノイズ。音数に数えられない金属音が、裏手で一回鳴った気配。

 ノエルに目配せ。「背面」

「了解」

 ノエルが影のように回り、衝立の裏で細針の先を白手袋で押さえる。針の根に、あの紋。

「供給網の刻印。証拠保全」

 周回を乱さない。客の音数は守る。裏の音は、ノエルが呑み込む。


 衝立がゆっくりと回り、道化ゴブがぴょこんと頭を出した。

 面の口が笑い、目尻が下がる。

 一呼吸。

 「びゃっ(会釈)」

 抑えた可笑しさが波紋になり、客の肩が少しずつほどけた。

 音数石は灯らない。笑いは声に出さなくても伝わる。


 終盤、しずくの御茶席。

 小卓には温い甘茶、薄荷を一葉、蜂蜜を一滴。

 VIPの余韻は、舌で終える。

 ガレスが盃を持ち上げ、息にだけ笑う。「……よい」

 彼が**“良い”**を声にするのはきっと三話後くらいのことだろう。今は息で充分。


◇◇◇


 出口。

 石板の満足札に客が印を押してゆく。『また来たい=◎/誰か連れてくる=◎/怖かったけど笑った=◎』

 ノエルが数字をまとめてささっと計算する。

「次回予約率 62%、紹介意向 71%。苦情は……“道化の帽子を売ってほしい”」

「苦情ではございませんわ、それは商機ですの。物販にちいさな道化帽を」


 ガレスが苦情箱へ何かを一枚落とした。

「本日は“要望”だけだ」

「内容は?」

「“鐘の二回目は少し遅らせて。余韻が伸びる”」

 わたくしは頷く。「採用。音数の外側に置く鐘は、時間の味付けですの」


 石板に夜の決算を追記する。

『VIP回廊 12名×12銀=144銀/提灯ツアー 28名×5銀=140銀/物販(道化面・飴) 36,200/合計 320,200

 人件費(夜間加算) 31,600/原価(茶・蜂蜜・道具) 12,800/税・雑 10,300/粗利 265,500/事故 0/泣き 0/音数逸脱 0』

 数字は、静けさの価値をはっきりと映す。


◇◇◇


 片付けのあと、ノエルが白手袋の上に細針をそっと置いた。

「映写石、保存済。刻印は昨日の宝箱針と同系統」

「カミラだけではないわ。針を流している関所がある」

 《設計視》の隅に、供給路の細い灰色の筋が見えた。峠を繋ぐ灰色は、王都の関所カルテルへと続く。

 数字の背後にある関所。いずれ、断たねばならない。


 そこへ、ゆっくりと拍子を取るように杖の音。

 峠の上から、競合所長カミラが姿を現した。

 黒いドレス、唇に薄い笑み。

「夜は綺麗ね。静けさを売るなんて発想、嫌いじゃないわ」

「お気に召して嬉しゅうございますの。――ですが針はお気に召しません」

「知らないわ。供給網の問題じゃなくて?」

 涼しい顔。

 わたくしは扇を閉じ、軽く一礼した。

「では公開で辿りましょう。第7話、数字で」

 カミラの目がわずかに細くなる。「楽しみにしてる」

 彼女は踵を返し、峠の闇に溶けた。


 横でガレスが短く言う。

「明日、関所側の通行記録を照会する。俺の仕事だ」

 その声は、剣ではなく秤の音。

「助かりますの。秤は、鐘とよく合いますもの」

「……鐘は二回目を少し遅らせろ」

「承知」


◇◇◇


 夜の帳が深まり、鐘が二度、間を置いて鳴った。

 ヌルが床ライトを消し、ゴブ班が面をはずし、コウモリが暗幕にくるまる。

 座面の音だけが残る。

 “誰かが座って、また来たいと思う”音だ。


 公開石板の端に、ノエルが新しい欄を追加する。

『夜の静けさ指数(音数逸脱0・笑い非発声率・泣き0)=0.92』

「指標は比率で。目標値は0.9以上」

「良い数字。――静けさにも数字があると、皆さま安心いたしますの」


 断罪の代わりに、わたくしは夜ごと約束を重ねている。

 泣かせず、走らせず、笑って帰す。

 明日は“数字で殴る”番だ。

 満足度×回遊率で、競合をひらりとかわす。


(第6話 了)


次回:第7話「数字で殴る――競合ダンジョン対決」


“怖い”を売るか、“帰りたくなる”を売るか。満足度×回遊率で結果を出しますの。

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