牛乳
12月25日。
僕は5時半に目を覚まして、部屋を出た。救済読経を進言した結果、父は僕を許し自室での軟禁は終了となっていた。
父は毎朝7時に起き、7時15分から散歩へ出かけ、そのままお気に入りのカフェで朝食をとって、帰宅は8時半ごろ。世話係の信者は7時半にやって来て、僕の朝食を作り8時に自室へ持ってくる。その他、信者ではないお手伝いさんは9時に来て家事を行う。
僕が人の目にさらされず行動できるのは午前7時までだった。大事をとって6時50分までが真の自由時間といったところだ。
足音をさせないように1階へ降りて、キッチンへ向かう。冬の日の出は遅く、まだ外も中も薄暗いが電気は付けずに進み、冷蔵庫を開けた。牛乳、卵、ハム、キャベツ、ウィンナー、その他諸々。冷蔵庫には潤沢な食材が並んでいる。
「どれならすぐ食べられるかな……」
朝ごはんに謎の汁を食べただけでは、今日を乗り越えられない。そう思って、勝手に食料を拝借しに来た。料理する余裕はないのでそのまま食べられるものを探し、取り急ぎ口の空いていた牛乳を飲む。ああ、甘くておいしい。栄養に身体が喜んでついつい飲みすぎてしまいつつ、トマトひとつ、ハム1パック、6Pチーズ1個を手に取り、冷蔵庫を閉めた。
パンがあれば欲しいなと冷蔵庫の隣にある戸棚を漁る。僕の食事は完全に管理されており、キッチンなんて信者かお手伝いさんしか入らない実質侵入禁止エリアなので勝手がわからない。上から順に開けて行き1番下の扉に到達すると、そこは不用品の一時置き場らしく食べ物はなかったが、『20××』と書かれた段ボールがあり僕は扉を閉めるのをやめた。20××、それはお母さんが出て行った年で、直感が段ボールの中を見ろと囁いた。
音を立てないように慎重に持ち上げて床におろす。ガムテープをゆっくり剥がすと、中は雑多なものであふれていた。ペンや本、それから子ども服。一見統一性のない物たちだが、僕にはなぜこれがひとまとめにされているのかすぐにわかった。すべて母に関連するものだった。母が使っていたペン、母が僕に着せていた子ども服。母が家を出る際に持っていけなかった余りものがここに集められている。なぜこれを父が捨てていないのかはわからない。父にも多少なりとも母への情があったのか、お手伝いさんにでも片付けさせて存在すら忘れているのか。
父の本心はさておき、母の思い出が残っていたのはとても嬉しかった。懐かしさに胸を締め付けられながら、僕は中身を本格的に漁り始めた。今日持っていけるものがあれば、身に着けてお守りにしたかったのだ。
もう段ボールごと全部自室に運べないかと考え始めた時、底をまさぐっていた指先に冷たい何かが当たった。
「これ……お母さんに昔もらった……」
掴んで取り出すと、それは母が昔くれた誕生日プレゼントだった。ずっと捨てられてしまったと思っていたが、どうやら父に没収されていたらしい。「安全に使ってね。使うとき以外は私が持っておくから」と、母と約束したことを昨日のことのように覚えている。小学生の僕にはまだ早いと母は思っていたが、僕は母との散策で使いたくて欲しがったのだ。
(よし、これだ。これにしよう)
僕は誕生日プレゼントを下着の中に入れる。冷たいはずなのに、温もりがある気がした。
「……お母さん、僕頑張るからね」
そう言って僕は再び段ボールにガムテープをし、元の場所に戻した。
午前10時15分。僕は儀式用の白装束に身を包み、信者の運転する車へ父と共に乗り込んだ。これから本部へ向かい、11時から救済読経を行う。
久しぶりの外界を車窓から見る。今日はクリスマスなのでイルミネーションやリースを飾った家が多かった。救済会は仏教系、というか仏教をうっすら模倣した贋作仏教なので父はキリスト教系のお祝いを禁止しており、ケーキもサンタもツリーも我が家には存在しなかった。幼稚園や学校でなんとなくクリスマスらしさを感じることはあっても、うちにサンタが来ることはなかった。同級生がサンタに何をもらったか自慢し合う横で、サンタなどいないと黙っている子どもだった。
これからはクリスマスも楽しめるようになりたいな、と心のやりたいことリストに追加する。そうして外を眺めるうちに、車は本部へと到着した。信者のお布施で建てられた、真っ白い3階建ての施設だ。土地代も併せて一体いくらかかったのか、想像もつかない。
僕は竹原さんがいないかと窓の外を見て、車から降りてからも周囲を見渡した。駐車場には僕たちの車以外には何も停まっておらず、人影もなかった。それでも、ちゃんと確かめたくて建物の後ろも見ようと歩き出そうとすると、父が「待ちなさい」と言った。
「なにをウロウロしているんだ。さっさと本部に入りなさい」
父に言われて、僕の足は従おうと動いた。でも、自分で足を止めて、そして僕は顔隠しを取った。
竹原さんがいてもいなくても、僕は自分ひとりでも父に立ち向かうと決めていたからだ。
「お前、何をしている。早く顔を隠さないか」
「……お父さん、話があります。聞いてください」
「まず顔隠しをつけろ。それから、私のことは教祖と呼べと言っているだろう」
「教祖と覡様ではなく……父と息子として話があるんです。お願いします」
僕は頭を下げて、父の反応を待たずに言葉を続けた。
「18歳になったら、家を出たいです。金銭面で迷惑はかけません。縁を切っていただいて構いません。18歳になるまでは覡様として救済会に携わります。でも、それが終わったら辞めさせてください」
一息で言った。
何度も練習した内容だったけど、落ち着いては言えなくて早口になってしまった。しっかりと自分の気持ちを父に話したのはこれが初めてで、僕は口の中が急速に渇いていくのを感じた。心臓がバクバクして、耳鳴りがする。
父は、僕に向かって大きくため息を吐いた。
「戯言を聞いている暇はない。お前がこれから自由になって、覡様として生きていく以上のことができるのか? お膳立てしている私に感謝もせず、出て行きたいだの辞めたいだのと」
「僕は、普通の人生が、欲しいだけです……! 覡様として生きるのはもう耐えられないんです。僕には何の力もないのに、こんな大勢をだまし続けるのは」
「まったく、躾が足りなかったようだな。とにかく今は救済読経をしろ。躾はそのあとだ」
「待って、待ってくださ──」
「メリィークリスマァース!!!」
突然だった。突然男の大声が響いた。
僕含め、この場にいる全員が門の方を向いた。赤い服、誰もが何の衣装かわかる服を着てバイクにまたがる人影がある。それはどう見てもサンタだった。
サンタはバイクを急発進させ、こちらへ急接近してくる。服だけでなく白い髭までつけており男の顔はよく見えなかったが、そのバイク──原付は見覚えがあった。
(うそ、あれは……っ)
「な、なんだあいつは……! おい、止めろ!」
動揺する父めがけて捨てるように原付を飛び降りたサンタが、帽子と髭を取る。
現れたのは、原付の持ち主・竹原さんだった。
(ほ、ほんとに来てくれた……)
僕はまず呆然と見つめてしまった。ウソみたいだと思った。ただの偶然かもしれない交換日記の内容を信じて、それが本当になるなんて。
でもこれは現実で、竹原さんは目の前にいた。
「た、竹原さ──」
「友情パーンチ!!!」
しかし再会を喜ぶ隙もなく、竹原さんは僕を見るより先に叫びながら父に殴りかかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます