ハンバーガー

「ふん、ふ~ん♪」


 デリバリーを何件かこなして日銭を稼ぎ、遅い昼飯だか早い夕飯だかわからない時間にマックを買ってから俺はアパートに帰ってきた。

 10月に入って気温が下がり、最近は過ごしやすくて毎日快適だった。珍しくデリバリーでチップを貰えたこともあり、俺はちょっと上機嫌でいつもは部屋で食べるマックをハッピーコーポの外に置いてある雨ざらしのテーブルセットで食べようとしていた。


(このテーブルセット、誰も使ってんの見たことないな。あ、汚れてる……)


 紙ナプキンでテーブルと椅子を簡単に拭いてから座る。

 お待ちかねのフライドポテトとダブルチーズバーガー、それからスプライトを取り出し、俺は小さく「いただきます」と言った。まずポテトからいただく。


「あ~うま……」


 塩味がガツンとくるしょっぱさと染み込んだ油っぽさが、『うまい』という感情になって幸せを届けてくれる。続けて2、3本食べてから、俺はハンバーガーに手を伸ばした。

 ダブルチーズバーガーにかぶりつくと、肉とチーズのハーモニーが口いっぱいに広がった。


「うま~……!」


 世の中には2000円くらいするハンバーガーもあるらしいが、俺は安価なハンバーガーで十分満足できる人間だった。本当にうまい。しょっぱくて味の濃いものは全部うまいのである。


(本願くんはマックとか食べんのかな。カエルのハンバーガーの方がうまいとか言ってきそう)


 デリバリーに出かける前に、河原へ狩りに行く本願くんと会ったことを思い出しつつスプライトを飲む。

 そのままひとり飯を楽しんでいると、砂利を踏む音がした。顔を向けると、ハッピーコーポの敷地内に女の子が入ってきていた。


(え、誰だろ……かわいい)


 美少女だった。

 俺に語彙力がないので、美少女としか表現できない。とにかくハッピーコーポにそぐわない、可愛い子だった。

 美少女は俺に気づくと軽く会釈をして、俺もポテトをくわえたまま会釈を返した。目で追うのも気持ち悪いよなと思うも、どの部屋に用があるのか気になってしまった。

 彼女はまっすぐ102号室──本願くんの部屋の前へ行き、チャイムを鳴らした。しかし本願くんはおそらくまだ河原にいるので、誰も出てこない。すると美少女は迷いなく踵を返し、目で追っていた俺は慌てて目をそらしたが、彼女は俺の目の前にやってきて止まった。


「あの、102号室に住んでいる人をご存じですか」

「えっああ、知ってますよ」


 俺は手にしていたハンバーガーをテーブルに置いて、立ち上がった。

 美少女は長い黒髪を三つ編みにして、グレーのスカートを履いて胸元に赤いリボンをつけていた。見覚えのある配色に、俺は本願くんの制服を思い出す。


「もしかして、本願くんのお友達?」


 『本願』と聞いた美少女はハッとして、すぐに表情を戻す。


「はい。同じ高校だったんです。彼と会って話をしたくて」

「そうなんだ。今はたぶん河原に行ってると思う。俺LINE知ってるから、友達来てるよって伝えましょうか?」

「! ぜひ、お願いします。私は水原美也子みずはらみやこと申します。美也子が来ている、で通じると思いますので」

「水原さんですね、了解。あ、俺は103号室の竹原です」

「竹原さん、ありがとうございます」


 そう言って水原さんはお辞儀をし、その様も品が良く育ちの良さが垣間見えた。


(本願くんも隅に置けないな~。こんな可愛い子と仲良しなんて)


 水原さんの前では虫なんて食べちゃダメだよって後でアドバイスしようと思いながら、『今どこいる? 水原みやこって子が会いに来てますよ🤔』とLINEする。

 

「今送ったから──」


 言ってる最中に既読がついた。

 しかし返信はなく、代わりに誰かが走ってくる足音が聞こえた。


 ──ダダダダダッ!


 滑り込むようにアパートの前に現れたのは、本願くんだった。走ったせいなのか、顔が蒼白して見える。俺が手を振ると、本願くんは俺ではなく水原さんを見た。


「いくら何でも急ぎすぎでしょ~本願くん」


 好きな女の子が来ていると知って全速力で来たのかと微笑ましく思って笑ったが、本願くんは俺に笑い返すことはなかった。

 走ってきた勢いとは対照的に、水原さんに近づこうとしない。


「祈くん、話があるの。ここは母に聞いて──」

「まず、こっちに来て」


 本願くんはかぶせるように言った。

 音量はほとんど呟きで無視できそうな存在感だったが、水原さんは「ご連絡ありがとうございました」と俺に頭を下げると、素直に本願くんのところへ歩き出した。

 本願くんは彼女を待たずに、来た道を戻っていく。

 平穏ではないピリついた空気を感じて、俺は「仲良くね!」とふたりの背中に言ってから、ふと思った。


(なんで水原さんは自分で本願くんに連絡しなかったんだろ)


 友達または彼女ならLINEくらい知っていて当然のはずだ。


(ただの同級生ってだけならLINE知らないかもしれないけど、浅い関係にも見えなかったよな)


 首を傾げつつ、若い男女の関係にあまり首を突っ込むのもよくないと思い、俺は椅子に座って残っていたポテトを食べ始めた。









 夏が終わると、どんどん日が沈むのが早くなる。

 さっきまで夕日だったのに、今はもう夜になろうとしていた。食べ終わったゴミをまとめてテーブルを拭いていると、砂利を踏む音がした。見ると、本願くんがひとりで帰ってきたところだった。


「おかえり。あれ、水原さんは?」

「駅まで送って、帰ってもらいました」

「あ、そう。大丈夫だった?」


 元気なことの多い本願くんに覇気がなく見えて、俺はついつい首を突っ込んでしまった。


「あの。ちょっと、喧嘩してて。心配かけてすみません」

「あ~いやいや!女の子って難しいもんな。そっかそっか」


(なるほど……喧嘩ってわけか)


 本願くんと水原さんはなんらかの原因で喧嘩しており、それゆえお互いLINEできる雰囲気じゃなかったということだ。ふたりは友達以上恋人未満、もしくは恋人同士なんだろう。

 当事者にとって喧嘩は一大事だが、高校時代に喧嘩し合える女の子などいなかった俺は『青春してていいな』とまず思ってしまった。


「本願くん、水原さんの前でカエルとか虫とか食べてないよね?」

「なんでアイツの前で食べなきゃなんですか。食べるわけないですよ」


 いいアドバイスになると思ったら本願くんが意外と常識を発揮してくれて、俺はアハハと笑った。ゲテモノを食べて生きる身寄りのない本願くんに、水原さんという存在がいるのが俺は嬉しかった。


「水原さん可愛いし礼儀正しいし、いい子だね」

「そうですか?俺には礼儀ないですよ、今も勝手に来たし」

「そら、それはそうだろ。あ、惚気か~?」

「イタッ、違いますって!」


 俺が肩パンをすると、本願くんも笑っていた。

 これが最後の会話だった。

 この3日後、本願くんはいなくなった。

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