第二章第8話 ゆらぎの兆し

 秋が深まり、朝霧が濃くなるにつれ、村はひっそりと静まり返っていった。

 祭りの夜の喧噪が、遠い夢のように思えた。


 装置を公開してから十日――私はまた納屋にこもり、調整作業を続けていた。


 村では、装置の扱いを巡って連日のように会議が開かれている。

 議題は「どう使うか」より「どう守るか」。


 私も参加してはいたが、言葉を並べるより手を動かすほうが落ち着いた。


 きっかけは、東京時代に触れた非接触給電での共鳴の手応えだった。

 私は電磁誘導を使った電力伝送の研究に携わっていた。

 コイルとコイルの間に生じる共鳴。少しでもずれると効率が落ち、波が崩れる。

 だが、あるとき気づいた。波を“ぶつける”のではなく、“合わせる”ことで、遠くまで届くということに。


 その感覚が、いまも手の中に残っている。


 退職して村に戻ってからも、頭のどこかにあの波形が残っていた。


 ある夜、古い基板を引っ張り出して再現実験をした。

 波形を少しずつ整えていくうちに、出力の谷が妙に滑らかに沈み込み、すっと“抜ける”瞬間がある。


 ふとした思い付きで、送信側のチャンバーに金属粉を散らした。

 数秒後、粒子がふっと消えた。

 受信側のチャンバーを見ると、同じ粒が現れていた。


 私は震える手でノートに書き込んだ。


>波の谷に抜け道あり 時間差ゼロ


 理屈はわからない。ただ、確かに起きた。


 あらためて、二つの装置を向かい合わせにし、波を閉じ込めるようにした。

 干渉を抑え、揺らぎを固定する。


 そして――リンゴを転送できた。


 偶然ではなかった。現象は、確かに“そこに在った”。


 それから数日後、安定していた波形に微かな乱れが生じた。

 共鳴音が少し高く、鋭い。計測器の針が揺れ、周期がねじれる。


 私は首をひねり、微調整を重ねた。

 父は黙って装置の輪を眺めていた。


 風が止まり、納屋の空気がぴたりと張りつめる。

 小さな軋み――梁の骨が鳴るような音がする。


 父はしばらく耳を澄ませ、それからゆっくり口を開いた。

 

「……場が、ちょっと息苦しそうだな」


「場?」


「人が張りつめすぎると、場もそれに引きずられる。逆もある。空気が重い日は、人もすぐ疲れる」


 ボルトを締め直しながら、父は静かに続けた。

 

「理屈は後でいい。けどな、場も人も、無理は禁物だ」


 その瞬間、発振器が立ち上がり、装置の輪がわずかに光った。

 発光はすぐ沈んだが、中心に薄い残光がひとかけら漂い、空気が二重に震えた。

 光は重なって戻る。

 まるで世界の境界が薄くめくれる――そんな感覚だった。


 夜、ノートを開く。


>位相ずれ:ランダム

>光の二重化:0.2秒

>体感:耳鳴り、目眩


 ページの隅に小さく書く。


>膜(ブレーン)?


 以前、読んだリサ・ランドール博士の理論が脳裏に浮かんだ。


――宇宙は層でできている。隣り合う膜がある……


「光の向こうに、もう一枚の世界があるのだろうか。」


 ペンを置いたとき、戸口から声がした。


「ねえ、いま、音が変わったよね?」


 振り返ると、海が立っていた。


「風の音が一瞬、二重になったの。重なって、戻る感じ」


 私は笑ってごまかしたが、背筋がすっと冷えた。

 彼女は耳を澄ませるようにして、

 

「……世界が、息をしてるみたい」


と呟いた。


 数日前、岩手大学の研究者から届いていたメールに、今回記録した波形データを添付して返信した。

 自分の観測が正しいのか確かめたかったのだ。

 だが、それに対する返答はまだなかった……少なくとも、この朝までは。


 翌朝、スマホが震えた。

 差出人は、岩手大学 理工学部の久慈原俊。


『昨夜の波形ログを拝見しました。

 大変興味深い現象です。

 もし可能であれば、一度お会いしてお話しできませんか。

 似た現象を扱った研究を進めています。』


 私はその文面を何度も読み返した。


 “似た現象”……その一文に、胸の奥が鳴った。


 装置の奥で、青白い光が静かに脈を打っていた。


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