ハイカロリー ~優しいドラゴンと、ちょっとぽちゃっとした伝説~

竹笛パンダ

第1話 その席に座る伝説の人


「おはようございます……藤島さんですよね。」


「ふん、ヤマザキか。

 無難な線を選んだな。」


「ああ、課長がこれ持って挨拶しろって……。」


「そうだ、俺が藤島だ。

 ……で、それを持ってきたってことは──」


 藤島さんは小さく鼻で笑って、包みを机に置いた。


「あいつ、また俺に押し付けやがったな?

 それで、お前は?」


「今日から配属された、菅谷です。」


「そうかよ。

 ちょっと待ってろ。

 今、お前の席を作ってやる。

 まぁ、気楽にいこうや。」


 藤島さんは机を片付け始めた。

 雑多においてある資料をどけると、机が出てきた。


「この席を使ってくれ。

 お前の相棒は、そこのハブからつないでやるといい。」


 なんなんだ、この人は?

 課長から「くれぐれも粗相のないように」って言われて、どんな伝説のベテランかと思ったら──

 お腹ぱっつんの『ぽちゃおじ』じゃないか。

 羊羹かじってるし。

 机の上にキーボード3台って、この人何と戦っているんだよ。

 ……これが『伝説の藤島?』


「おい、お前の得意技は何だ? VBか?」


「いえ、C#を少し……。」


「C言語か。

 ほう、伝説のドラゴン使いだな。」


「い、いや、C『シャープ』です。」


「なんだそれ? 斜め上の世界か? ははっ、面白ぇ!」


 最近プログラミング教室で習ったばかりなのに古いって、この人は何を言っているんだろう?


 RRR……


「はい、設計2課藤島。

 よお水島、元気か?

 まぁ、そいつは確か、前に俺が組んだものなんだけどよ。

 ……無理にハードから、ソフト制御に変えるからだろう?

 ……しょうがない、あの会社の菓子はうまいからな。

 ……。

 今度何かおごれよ。」


 ここにはめったに仕事の依頼なんて来ないから、ゆっくり教えてもらえなんて言われていたけれど。


「藤島さん、お仕事ですか?」


「ああ、そうだ。」


「先ほどの水島さんって、もしかして水島部長ですか?」


「なんだ? 知り合いか?」


「いえいえ、そんな恐れ多い。

 それより部長からの直接依頼ですか?」


「ああ、老舗の菓子メーカーからの依頼だ。

 1課の連中がもめたらしい。

 俺はその後始末だ。」


「伝説のリリーフっすね。」


「馬鹿言え、そんなんじゃねぇよ。

 まぁ、製造ラインを自動化するって話なんだが。

 既存のシステムを生かしたいってことだ。」


「新しく制御の系統を立てるってことですか?」


「ああいう仕事にはな、職人の技ってもんがあるんだよ。

 だから現場の人間にしかわからねぇ。

 そりゃ新しくオートメーションのシステムをおっ立てりゃ、それで済む話だがな。

 今と同じ水準の菓子を作るには、現場の知恵を反映させなきゃならない。

 どのメーカーの菓子も同じ味じゃ、つまらんだろ?」


「そういうものなんすかね?」


 僕がちょっと考えていると、


「まぁ、百聞は一見に如かずだ。

 見てみりゃわかるよ。

 ほら、出かけるぞ。」


 そういって僕らは、老舗のお菓子メーカー、『なかや』に出向いた。



 なかやには先客がいた。

 システム制御のエリート集団、設計1課の連中だ。

 すごい人の集まりとは聞いている。


「おい、ぽちゃおじのお出ましだぞ。」


 設計1課の課長、神崎が声をかけた。


「さすがに今回ばかりは1課も歯が立たなかったと見える。」


「ああ、そうだよ。

 うちのアルゴリズムじゃ歯が立たなかったってことは……

 つまり理論じゃなくて勘だよりなんだとよ。」


「自動化されたテンプレシステムに突っ込んで、あとは調整するってやり方。

 まぁ、悪くはないが、万能じゃねぇってことだ。」


「それで? お前らはどうすんだ?

 ぽちゃおじは、あんこの味にはこだわるってか?」


「まぁ、そういうことだ。

 あんこがうまけりゃいい。

 それだけだ。」


「ふんっ、そうかよ。」


 神崎は部下を引き連れて、なかやの会議室から出て行った。



 会議室に入ると、工場長と製造課長が待ち構えていた。

 隣の藤島さんは、やや気だるげな表情をしていたけれど、目だけは鋭く光っていた。


「藤島さん……やっぱり来てくださったんですね。」


「うちの若いのが、ちょっとやらかしたみたいでね。

 顔を出しておこうと思ってさ。」


「いえいえ、ちょっと現場とシステム側の噛み合わせが悪かっただけです。」


「というと?」


「今、うちの工場のあんこを作っているのは、ほとんど夜勤の外国人労働者なんです。」


「ほう、それで?」


 製造課長がゆっくり説明を始める。


「作業の指示を出していたのは、ベテランの職人さんたち。

 でも、もうほとんどが定年か、他部署に異動してしまいました。

 実際、職人の舌で守ってきた味が、継承されずに消えかかっているんです。」


「それじゃ、あんこの味を守ってるのは――」


「はい、あと数名の『おばちゃん職人』だけです。」


 そこまで聞いて、藤島さんが僕のほうをちらっと見た。

 なにも言わないのに、視線だけで「わかったな」と言われた気がして、僕は背筋を伸ばした。


「聞いたか、菅谷。

 これは小豆との知恵比べだぞ。

 しかも、外国人でも扱えるようにしなきゃいけない。

 簡単にはいかねぇぞ?」


 僕は、張り切って答えた。


「大丈夫です!システムを自動化して、誰でも使えるようにすれば……!」


「……おい。」


 藤島さんの低い声が僕の言葉を止めた。


「お前な、何でもかんでもタイパとコスパで考えるなよ。

 この先にいるのは『ユーザー』じゃなくて『人間』だ。

 機械に仕事をさせるだけじゃねぇ。

 困ってる人に、ちゃんと手を差し伸べる。

 それが俺たちエンジニアの仕事だろ?」


 ずしんと胸に落ちた。

 僕は何も言えず、ただ「……はい」とうなずいた。


 横目で藤島さんを見ると、あの人はいつもと同じように、羊羹をかじっていた。

 でも、そのまなざしはまっすぐで、僕の気持ちを正面から受け止めてくれていた。


 ――ああ、やっぱりこの人はすごいな。


 僕の中の『忠犬』が目覚めた気がした。


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