第21話 クーリングオフ
遊園地から帰宅した僕は、アルコールが入る前の父さんに問いかける。父さんは、今まさに缶ビールのプルタブに人差し指をかけたところ。
「なんじゃそりゃ」
僕は例の友人契約について大真面目な顔で聞いたのに、父さんは笑い飛ばしてくる。僕だっておかしいとは思っていたから、父さんから「そんなのあるわけないだろう」と答えてもらえて、よかった。
*
翌朝の
「ちゃんと
観覧車から降りてきた詩子さんは、なんだか心ここにあらずという顔をしていた。僕や矢作くんが話しかけても上の空。宮下さんが「うたこちゃん?」と呼びかけて、ようやく我に返る感じ。文字通りの『憑き物が落ちた』状態だったのだろう。あるいは『肩の荷が降りた』の方か。
「アフターケアっていうんかな。戻ってこられんように念入りにやっとかなあかんから」
「祓ったのに、戻ってくることってあるんですか?」
「まあまああるで。相手にご執心だったり、他にも未練があったり」
矢作くんのいとこの詩子さんに取り憑いていたおじいさんの霊は、矢作くんのひいおじいさんの霊だったらしい。矢作くんは、曾祖父(=ひいおじいさん)の葬式が、矢作くんと詩子さんとの過去の唯一の接点だった、と話していたから、故人であるのは確かだ。矢作くんではなく詩子さんに取り憑いて、柔道の道に進ませていたんだろうか。いや、何らかの働きかけをしていたのだとして、よくない方向に向かっていたから、宮下さんが祓ったのだろう。
「もし、放っておいたらどうなってたんですか? 悪霊に身体を乗っ取られるってことは、あるんですか?」
あの場では矢作くんや詩子さんがいたから聞けなかったことを、今のうちに聞いておく。宮下さんにならなんでも聞けるし、なんでも答えてくれる。
「乗っ取られる心配はないで。生きた人間の肉体には魂が入っとるから。一つの肉体に二つの別の魂が入ることは、基本的にはない。……雄大くん、興味あるん?」
「ホラー映画みたいなことにはならないんだ」
映画のたとえを出すと、宮下さんは面白そうに笑ってくれた。宮下さんは、現実を生きている。映画のような創作物ではない。実際の出来事として、遭遇している。改めて考えてみると、僕とは生きる世界が違う人なんだな……。
「前に話した『
「ぜひお会いしてみたいですが、お忙しいんですね」
「うたこちゃんだけやないからな。雄大くんも、ある意味、大輔くんに憑かれていたようなもんや」
君に憑かれているのは、構わない。むしろ、僕が見えなくて申し訳ない。この『神切隊』のあきらさんという人に会えたら、霊が見えて話せる程度の霊能力が後天的に身につくかを相談したい。
「大輔は、まだいるんですよね?」
「おるよ。おるおる。大輔くんは、雄大くんの一生を見届けるんやってさ。雄大くんが亡くなったときに、ふたりであちらに行くんやろ」
「大輔……」
まだ先になりそうだけど、待っていてくれるんだな。僕は医者になって、いろんな人を救い、その上で、天寿を全うできればいいな、と思っている。待たせてしまうが、僕を見守っていてほしい。
「宮下さんが詩子さんに会うのなら、僕は僕で、今日は調べ物をします。その成果は明日、お話ししますね」
「そかそか。今日は別行動やね。じゃ、また明日」
宮下さんが手をひらひらと振った。こういう日があってもいい。
「はい。いってらっしゃい」
僕は調べ物のために、宮下さんの家に向かう。宮下さんの不在は、僕にとっては好都合だ。宮下さんがいたら聞きにくいことを、聞く。事前にアポイントメントを取っていないから、ひょっとしたら
「あだだだだだだだだだ」
調べた住所の場所には大きな屋敷が建っていて、表札には〝宮下〟という漢字が二つ並んでいる。だが、入り口の前で右往左往していた僕に、関節技を決めてくる人がいた。
「ギブ、ギブアップです!」
僕はその人の腕をばんばんと叩く。抵抗すると、余計にきつくなってきた。誰か助けて!
「僕は!
精一杯無実を証明するように訴えかけて、身分証として携帯している生徒手帳をポケットから取り出す。すると、僕を締め上げていた腕がゆるんだ。つまみあげるようにして生徒手帳が相手に渡る。なんとか、助かった。
「成海、学園、一年生、狭間、雄大」
「はい! そうです!」
「了解、解放」
よかった。僕、生きてる。四肢、くっついている。危ないところだった。
「僕は、宮下
宮下理緒の名前を挙げると、ぎろりとにらみつけられた。サングラス越しでもわかる鋭い眼光で、僕は縮こまる。この人は何者なのだろう。
「私は宮下、
僕の心が読まれたかと疑ってしまいそうなタイミングで、名乗られた。雪路さん。グレーのパンツスーツ姿に黒い革の手袋。宮下姓ってことは、この人も宮下さんと何やら関係がありそうだ。
「吉能のマネージャー兼ボディガード役」
あった。吉能氏のマネージャーさんだから、僕のことを不審者と勘違いしたのか。我ながら不審な動きはしていたと思うから、恥ずかしい。対応として間違っていない。
「はぁ……はぁ……急に、駆け出しちゃって……あたしを置いていかないでよね……っ!」
息を切らしながらスーツケースをゴロゴロと転がしつつハイヒールで走ってきた吉能氏が、雪路さんの背中によりかかった。突然の運動でメイクが崩れているからか、テレビやホームページで見た顔とは別人に見える。動物にたとえるとしたら、キツネみたいな。
「我が家の前に、不審者が」
「ふしんしゃ? このガキが?」
「成海学園の、生徒。理緒の、ご友人」
「せいかい……ああ。ああー! はいはい。あのミーハーおじさんの、引きこもり息子ね? 思い出したわ」
カチンとくる言い方をされている。ガキも、引きこもり息子も、僕のことだよね? 父さんがミーハーおじさんなのは、僕には否定できないが。
「狭間雄大です。初めまして」
「ご友人ねえ」
じろじろと見られている。上から下まで、品定めするような目つきだ。鑑定品にされた僕は、思わず眉をひそめてしまった。
「あんな顔がいいだけのクズの面倒を見させられて、あなたも可哀想ね」
「それって……!」
「成海学園の生徒さんですものね。中卒の社不と話を合わせるの、大変よね? 心中お察しいたしますわ」
おほほほほ、と笑っている。どうしてこうもトゲのある言葉を選んでくるのだろう。耳を塞ぎたくなる。雪路さんも、僕と同じく、笑っていない。こちらは無表情だ。
「僕は、宮下さん――理緒ちからは、僕の父さんと吉能氏で〝友人契約〟が結ばれていると聞きました。僕の父が、理緒ちの学費を負担しているのだと」
吉能氏も雪路さんも『宮下さん』だから、便宜上ここは『理緒ち』と表現する。本人は理緒ちと呼ばれたがっていたが、面と向かって「理緒ち」と呼ぶのは、まだ先になりそうだ。
「僕はいくらなんでも『おかしい』と思い、父さんに問いかけました。すると、父さんには笑われてしまったわけです」
僕と君とは親友であった。しかし、君が亡くなったとて、友人が一人もいなくなったわけではない。
「そうね。理緒を成海学園とかいう学校に通わせてあげてんのは、このあ・た・し、よ」
白状した。このような大きな屋敷で暮らしており、故宮下
「なら、どうして僕の父さんを巻き込んだんです?」
「あたしが払ってるって知ったら、絶対学校に行かなくなるからね。理緒は性格がドブカスだもの。せめて一般教養ぐらいは身につけてもらわないとだわ」
優しいのか優しくないのか、わからない。詩子さんがよしのんと言い出してから、宮下さんがイヤそうな顔をしたのを思い出す。普段からこんな風に接しているのだとすれば、誰だって嫌いになるだろう。
「吉能氏もお忙しいでしょうから、あともう一つだけ、聞いてもいいですか?」
「あなた、面白いわね。お忙しいとわかっていて引き留めるなんて」
「……樹里ちゃんという女性と理緒ちは、昔、同棲していたんですか?」
「は?」
この「は?」は、雪路さんだ。吉能氏は、ぎょっとした顔をしている。なんだろう。僕、なんか変なこと聞いたかな。
「いえ、その。樹里ちゃんという女性と理緒ちが、キスしているところを見かけまして」
「うわ」
この「うわ」も雪路さんだ。さっきまで無表情だった顔が、ひきつっている。なんだろう。
「理緒ちが『またいっしょに暮らそう』と言っていたから、僕はてっきり、樹里ちゃんはかつて同棲していた彼女なのかなと思いまして、理緒ち本人に聞いたんですけど」
「本人にって、まさかあなた『樹里ちゃんって彼女さん?』とでも聞いてないでしょうね?」
吉能氏は、過去の僕がした宮下さんへの質問とほぼ同一のことを聞いてくる。雪路さんがこの世の終わりのような表情なのに対して、吉能氏は意地悪そうな顔をしていた。
「聞きました、けど……?」
「そしたら、なんて?」
「雄大くんには、彼女に見えたんやね。って」
宮下さんのこの言葉が忘れられない。給料日だと告げたあの時の嬉しそうな顔と、同じ顔をしていた。
「あはははははははははははっ!」
吉能氏は大笑いし始める。僕は面白いことを言ったつもりはない。ただ、宮下さんの言葉を思い出して、伝えただけだ。
「樹里ちゃんが彼女ねえ! マザーフ○ッカーにとっては、最高に嬉しかったでしょうよ!あはははは……あなた、最高ね! 最高に面白いわ! 気に入った!」
なんだか気に入られてしまった。本来口にしてはいけないレベルの罵倒の言葉も聞こえた気がする。
「いいわ。あたしの連絡先を教えてあげる。ビジネス用じゃないわよ。個人用の」
吉能氏が小さなバッグからスマホを取り出す。本当に気に入ってもらえたらしい?
「理緒のことで聞きたいことがあれば、どんなに小さなことでも送って。
「ありがとうございます……?」
「たとえば、樹里ちゃんの連絡先とか、ね」
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