魔界最強に転生した社畜ですが、イケメン王子たちに迫られて困っています

タタミ

序章

『──俺を見ろ』


 知らない声が、頭に響く。

 知らないのに、どこか懐かしいような感覚がする。


『──俺だけを……』


 悲痛を含んだ声音に、近づきたくて俺はもがいた。

 見たいのに、見えない。触れたいのに、触れられない。

 もどかしくて、苦しい。


『……愛している。だから──』


 生暖かい、鉄の匂い。

 顔に、腕に、胸に、ふりかかってくる。

 叫び声が聞こえた。誰かの名前を叫んでいる。

 俺は動かない体の中で、何かが暴れるのを感じていた──。










「──様、──客様、お客様!」

「っ! は、はい!?」


 肩を叩かれて、俺は目を覚ました。

 ここはどこだ、と目を瞬くと車の中で、目の前に運転席から身を乗り出したおじさんがいる。


「つきましたよ、マンション」

「あ、ありがとうございます……」


 ああ、ここはタクシーか。

 仕事に追われて終電を逃し、重い足取りでタクシーに乗ったことを思い出しながら、俺は急いで財布を取りだした。自腹で会計を済ませてタクシーを降りる。


「うわ~……さむ。あ、ごはん何もないんだった……」


 現在時刻は深夜2時過ぎだ。すぐにでも寝てしまいたい気持ちはあったが、冬の冷気にあてられて目が覚め始めてしまって、空腹が主張を強めた。家には本当に食べ物がないので、すぐそばのコンビニで何か買っていこうと踵を返す。


「はぁ、今日も疲れた……」


 人のいない夜道はとても寒かった。何せ今は12月下旬で、明日はクリスマスイブだ。いや、明日ではなく正確にはもう今日がイブになってしまっている。

 もちろんイブに仕事以外予定はなく、残業しながらクリスマスを迎えるのは決定的だった。なんでこんなに労働しているのか虚しくなってきて、俺はストレス発散のために「ああ~……!!」と声を絞り出す。


「こんなに頑張ってるんだから、何かいいことが起きなきゃやってられん! 大金が手に入るとかさ~!」


 深夜で誰もいないので、大きな独り言を言ってちょっとスッキリする。少しいい気分で伸びをすると、スマホが震えるのが分かった。一気に気分が萎えるのを感じながら画面を見ると、予想通りパワハラ上等の上司から電話が来ている。


(……出なくてもいいかな)


 10分でも早く家に帰れていれば寝ている時間だし、たまには無視してやろう。この電話に出て大金が手に入るわけでもない。

 電話口で出ない俺にイライラしている上司を思い浮かべて、俺は自棄気味に笑った。


「あ~権力者になるのもいいな~。王様とか楽しそう」


 その時だった。


 ……──リーン。


「ん?」


 何かの音がした。気のせいかと思ったが、鈴のような音が聞こえ続けている。


「何の音だ、上?」


 音が上から聞こえてくる気がして空を見上げる。星がとても綺麗で、同時になぜか怖さを感じた。日本で星がこんなに見えることがあるだろうか。


(あ、空が落ちてくる)


 急にそう思って、俺は上を見るのをやめた。

 前を向いたら、トラックが俺を轢こうとする寸前だった。


 ──ガンッ!!


 身体が何メートルも飛ぶ。全身が砕けて裂ける音がして、俺は千切れた自分の脚が目の前に落ちてくるのを見た。

 これで、俺の人生は終わったのだった。あっけない、二十数年。

 最近は仕事ばかりで、何の充実感もなかった。あまりに刺激のない、平凡だけど恵まれてもいない人生。

 走馬灯を見る余裕もなく、瞼すら動かせない中で意識が遠のいていく。


(せめて天国に行って、幸せになりたい……)







 ……。

 …………。

 ………………リーン。


 ──リーン、リーン、リーーン……。


 ……──耳元で鈴の音がする。

 同時にむせかえるような花の香りがして、俺は重い瞼を開いた。


「ん……」

「ああ、至上様……! お目覚めでございますね」


(え、誰)


 目を開けた俺が最初に見たのは、真っ白な男性だった。

 髪も肌も目も服も、すべてが白く、顔立ちは今まで見たことがないほどに美しかった。


(天使だ……)


 俺はすぐにそう思った。

 周りを見れば、他にも白装束の人たちが控えているし、ここは天井のとても高い教会のような場所だし、なにより俺は白い花で溢れた棺に横たわっていた。

 ここは天国で、この男性は天使。それ以外に思いつかなかった。


「ご気分はいかがですか?」


 男性は手にしていた鈴──神社で巫女さんが持っていそうな道具を部下らしき男性に渡すと、俺の手を優しく握った。


「えーっと、気分はいいです、たぶん」

「それはなによりでございます」


 ほほ笑んだ天使は、振り返り手を叩いた。


「至上様がお目覚めです。4王子への通達と、至上様お迎えの準備を」

「はっ!」


 周囲にいた白装束たちが足早に去っていく。


(シジョウ様ってなんだろう)


 おそらく俺のことをシジョウ様と呼んでいる。死者の呼び方か何かかと思うが、これから天国で新生活が始まるんだからわからないことはちゃんと聞いておいた方がいい、と愚直に社会人をやっていた俺は思った。


「あの、天使さん。シジョウ様っていうのは何ですか?」

「え? ……もう、ご冗談はよしてください。まんまと驚いてしまいました」

「いや冗談ではなく……。ここに来たばかりで、本当に何もわからなくて」


 俺が苦笑いを浮かべると、ずっと柔和だった天使の顔が深刻に固まった。


(もしかして、非常識だったか?俺、聖書とか読んだことないんだよな……)


「本当に、本気でおっしゃっているのですか?」

「はい、本気です。まず、ここは天国であってますよね?」

「……なんと」


 天使は口元に手を当てて黙り込む。

 目を伏せて何か考えているようだったが、数秒後には決意した目を俺に向けた。


「ここは天国ではなく魔界です。私は天使ではなく、至上様の側近・イリスでございます」

「は? ま、魔界?側近って──」

「至上様はこの魔界を統べる最高権威者の呼び名。そして、至上様はあなた様のことです」

「シジョウ様が、俺……?」

「至上様は死と蘇りを繰り返されます。昨日至上様はお隠れになり、そして今日蘇りお目覚めになりました。今まさに目覚めたのが、あなた様です」

「へえ~……? え……?」


(つまり、どういうことだ……?)


 先ほどのイリスさんのように、俺は深刻な顔で固まっていた。

 この時の俺はまだ、起きている現実の理解に必死で、これから激動の運命に巻き込まれるなんて予想もできていなかった。

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