第15話 第1話

「野口、クソ遅いやん!」


 決定的な瞬間やった。

 小一の時の運動会。わたしは男子達からそう笑われた。根暗がドン尻を走っているだけでこんなにバカにされる。

 この世に救いはないなと思った。

 死ぬことを考えた。


 そのまま家に帰りたくなくて母親にワガママ言って駅前の本屋へ寄ってもらった。そこで初めて漫画をねだった。ギャグ漫画やった。

 読んだら自分でもビビるくらい笑えた。もう泣きながら笑っとった。

 救いはあると思った。

 死ぬのは当分止めとこうと思えた。


 今も小一の頃から大きくは変わっていないと思う。相変わらず漫画に支えられて生きている。

 今だってTSUDAYAに向かって歩いている。周りの人よりだいぶ速い歩き方で。

 周りを置き去りにするのは楽しい。知らんおっさんの驚く顔さえ心地良い。

 ああ。これやな。


 それでも“競う”はピンとこない。

 競歩って“競い歩く”と書く。

 “歩く”はええ。“競う”はイヤや。

 こんなことで人間に優劣付けて遅い奴を嘲り笑う文化とかクソダルすぎ。マジゴミや。

 “歩く”が好きなのは独りでいられるから。どこかに留まっていると誰かからなんか言われて気に障ったりするけど動き続けてる分には誰にもかかずらわんで済む。気楽だ。


 でも漫画の主人公になるには――“競う”が必要なんかもしれん。

 わたしの知る限り多くの主人公は周囲に一目置かれてる。当然や。何か光るところがあるから主人公なわけで。

 一目置かれるには実力なり実績なり潜在能力なり期待されるに足る要素がいる。それを示すわかりやすい見せ方が“競う”こと。それをすると力の比較が分かりやすいし。


 別に褒められたくて歩いてるわけやない。わたしはただ生きるために歩いてる。TSUDAYAへ行って漫画と出逢って生きる力をもらうため。そのためだけに歩いてた。

 でも。もしかしたら……歩くことで人に認められる道があるんかもしれん。

 まさかこんなことを考える自分が自分の中におるとか。想像もしとらんかった。


 わたしは漫画の主人公になりたい。


「どうした? 真下」

 わたしはある覚悟を決めて陸上部の部室に足を踏み入れていた。

「先生」

「科学部辞めてきたか?」

「競歩の大会に出るのはどうやったらええですか?」

「……大会? いきなりか?」

「陸上部に入らないと出れませんか?」

 もし茂野が「陸上部に所属せんと大会には出られん」と回答するのであればその時点で競歩は諦める。その場合はまた別の方法でアプローチするしかない。

「……ンなことはないけどな」

 最大の問題がクリアされた。身体がほてっていくのを感じた。

「どうやったら出れますか?」

「競歩なァ……本来は地区大会で結果残して県大会って流れやけど、競歩はやっとる奴おらんからいきなり県大会からなんよな」

「そしたら兵庫大会に出ればええってことですか?」

「一応訊いとくけど、お前日本陸連に登録とかしとらんよな?」

「日本陸連……?」

 人生で初めて聞いた単語や。

「……本気で出たいなら登録しといたるわ」

「ありがとうございます」

 助かる。茂野心からありがとう。こんな人に感謝できたのほぼほぼ初めてかもわからんくらいありがとう。

「陸上部に入らんとしても、出場する時は学校の名前で出んとアカンからな。ユニフォームも用意しといたる」

「おいくら万円……?」

「登録料は五百円、ユニフォームは……余ったやつ見繕うからタダでええわ」

 安い。助かる。なんか茂野の好感度がわたしの中で爆上がりしとる。

「ありがとうございます」

「……まずは始めるのが大事やからなァ」

 それは同感だ。どんな漫画にも始まりがある。

 今日がわたしの第一話になるのかもしれへん。

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