第3話 歩き方恥ずすぎ鬼ダルい

『重心が。前に掛かっている方が。速く歩けます。そのために。このように。前傾姿勢を。保って。歩きます』

 わたしの目に飛び込んできたのは身体を思いっきり前に傾けて歩く赤荻元選手の異様な姿だった。いちいち間を空ける謎の口調はとりあえず放っておく。

 え。どうしたんすか。何食ったらそんな姿勢で歩こうって思えるんすか。怖くないすか。肩めっちゃ怒ってるし。両手も握り拳でブンブン振って。足の動きもシャキシャキしすぎっていうか。

 ――嫌な記憶が蘇ってきた。

 わたしに『野口』とあだ名を付けたあの男。アイツとツレが帰り道に「野口バイバ〜イ!」とふざけて叫びながらわたしを隣から素早く追い抜いて行った時の歩き方に瓜二つだった。足のシャカシャカ感がなんか物凄くそれっぽい。なんやろ頭痛が痛くなってきた。あかんわ。クソダルいわ。

 でも……速いは速いな。

「……ダルいけど、速かったらええし」

 TSUDAYA 菅波インター前店。わたしの新たな聖域サンクチュアリ。呼吸をする場所。生命維持に必要な栄養マンガが無限に並んでいる場所。

 わたしはあそこにいなきゃならない。毎日出来る限り速く辿り着かなきゃならない。

 確かにこれは恥ずい。こんな歩き方の人が反対側から迫ってきたら目を逸らすか大袈裟に避ける。

 でも速い。

 たぶん歩きではこれが最速。

 一番速く着ける。

 選択肢は、ない。

『次は踵着地。踵着地をすることで。重心移動が。スムーズに。なります』

 ……もうちょいパパッと喋ってもろて。


 とりあえず母親のデカ鏡の前で速歩きを試してみることにした。スマホがあれば動画も撮れるがなくてよかったかもしれない。どんな形であれあの姿を映像で残したいとはさすがに思えない。

「前傾姿勢、踵着地、腕振り、骨盤、踏み出し小さく……」

 ループものの登場人物みたいに何度も何度も繰り返し呟きながらその場で赤荻元選手の姿を再現しようと足踏みする。

「……わからん」

 側面から見ている限り前傾姿勢っぽくはなっている。しかし足踏みしてるだけじゃなんともならんように思えた。やはり動画か……デジカメあったかな?

「帰ったでー」

 玄関のドアが開くより早く母親の声がした。テンポええやん。わたしの姿を見た母親が意外そうな顔をする。

「あむ、今日は早いやん。本屋はもうええの?」

「あんな、母。実はな、TSUDAYAが潰れんのよ」

「ホンマなん? どうすんのアンタ、もう本屋行かれへんやん」

「そうはいかへんから。遠なるんやけど別のTSUDAYAがあるからそこ行くわ」

「それはええけど門限までには帰るんやで?」

「わかってる! でさ、ちょっと見といてほしいんけど」

 わたしは母の目の前で赤荻元選手直伝の高速歩きの真似をして居間をぐるっと回ってみた。

「どう? 速く歩けとる?」

「……気でも触れたん? アンタ」

「おかしいのは母の娘やねんから! いやちゃうし! 速い?」

 母親は口元を隠しながら「まあ、速いんやない? 職質食らうかわからんけど」とポツリこぼした。

「それで外歩くん?」

「当たり前やん。じゃなかったらこんなんようせんし」

「……不審者扱いされへんか、お母さん心配やわ」

 されてもええし。しゃーないし。

「自転車買うてくれたらええだけの話やし」

「それはダメよ、アンタ運動神経ないから」

「……ダルっ」

 そう言われるとなんとも反論できないわたしがいた。

 生まれてこの方わたしは“運動”とか“体育”とか身体をなんか特殊な方法で動かすことを連想させる文言にどうにも拒否反応が出てしまう。そういうのはそれが出来るヤツらがやればいい。誰にでも同じことを強制しないで欲しかった。多様性だの個性だの言うても結局出来るヤツが出来ないヤツを蔑む。鬼クソダルい世の中。

 だからわたしは、なにを犠牲にしてでもTSUDAYAへ行く。たとえ母親に恥をかかせるとしても……。

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