第2話 身代わりの結婚1
「イザベラに、レオン・シュヴァルツ辺境伯から縁談の申し入れがあった。だからイリス、おまえが代わりに嫁ぎなさい」
父、ローゼンミュラー伯爵の言葉に、イリスは耳を疑った。
大事な話があると言われて居間に来たら、珍しく父と
だから嫌な予感がしていたのだが、その予感は当たってしまった。
王都の北東部を治めるレオン・シュヴァルツ辺境伯。
彼は辺境騎士団長も兼任していて、魔物退治の腕は立つが、冷血で残酷なことで有名だ。
辺境伯領は遠く、寂しい荒野が広がるだけだと聞く。
そんな場所に、しかも冷血と噂の男に、かわいい娘イザベラを嫁がせるわけにはいかない────と両親は思ったに違いない。
しかし、おそらく多額の支度金を提示されたのだろう。
だからかわいいイザベラの代わりに、要らない方の娘であるイリスを嫁に出そうというわけだ。
胸の痛みをこらえ、イリスは抵抗をこころみた。
「ですがお父様、求婚はイザベラがされたのですよね? 代わりにとおっしゃいましても……」
「心配は無用だ。イザベラとおまえは顔が似ているし、おまえは社交もせずに屋敷の庭園で土いじりばかりしていたから、入れ替わってもイザベラがしばらく大人しくしていれば誰も気づかない」
「けれど、辺境伯の方は……イザベラを見初めたから求婚しているのであって、すぐにバレてしまうのでは」
強引に話を進められそうになり、必死に食い下がる。
王都でイザベラが誰にも気づかれなくても、辺境でイリスが辺境伯に気づかれたら?
花嫁を入れ替えるなど、殺されても文句は言えないほど無礼なことだろう。
「大丈夫よ! あの方はあたしにメロメロだったし、お姉様はあたしに顔だけは似ているもの」
両親に挟まれて座っているイザベラが愛らしい笑顔を見せた。
イリスは余計に不安になった。
「それならますます無理よ。イザベラ、辺境伯とお会いしたときはどんな状況だったの?」
「どうって……他の殿方と変わらないわ。とにかくあたしにベタ惚れなの。その証拠にこうして求婚されたし、支度金もたっぷりくれるっていうし」
「だったらあなたが嫁いだら……」
「いやよ、あたしはフロリアンと婚約したんだから!」
フロリアン・ランセルは、社交界で令嬢たちに人気の伯爵令息だ。
顔が良くオシャレで社交的な彼とイザベラが懇意にしているのは知っていたが、婚約までしたとは知らなかった。
(……つまり、そういうことなのね……)
イリスは理解した。
イザベラも継母も派手好きで見栄っ張りの浪費家だし、フロリアンが婿入りするとしたら、この伯爵家の服飾費も維持費もさらに膨れ上がるだろう。二人の結婚式もとびきり豪華なものになるはずだ。
だが、ローゼンミュラー家の家計は苦しかった。
人件費を抑えるために経理を手伝わされていたイリスはそのことをよく知っていた。
そこへレオン・シュヴァルツ辺境伯から、多額の支度金を提示され求婚されたのだ。
金に目がくらんだ父がイリスを差し出そうと思うのも無理はない。
自分は政略結婚した母とのあいだにできた要らない娘であり、継母と異母妹からも疎まれているのだから。
(でも、いくらなんでも無茶だわ。それに私はお母様の庭園から離れたくない)
イリスはちらりと窓の外の庭園に目をやった。
六年前に亡くなった母のアザレアは貴族女性には珍しく、ガーデニングをこよなく愛する人だった。
母のことが大好きだったイリスも、母にくっついて毎日のように庭に出て土いじりをしていた。
花を育てるだけではなく、母は庭園で採れるハーブを利用してシロップやお茶や薬を作った。
そのレシピも、イリスは全部母から教わった。
母が亡くなると、父は喪が明ける前に再婚し、後妻となった継母とその娘のイザベラを屋敷へ呼びよせた。
父と継母と異母妹は、前妻の娘のイリスをあからさまに除け者にした。
社交にはほとんど同行させず、学費が高いからと学校にも通わせず、食事もイリスは使用人たちととらせて雑用だけ押し付ける。
家族に虐げられているイリスは、寂しさを紛らわすためにますます庭園で過ごすようになり、継母とイザベラは「薬草が好きだなんてまるで魔女のようだわ、気味が悪い」とますますイリスを嫌うのだった。
庭園に視線を向けたイリスのことを、イザベラは鼻で笑った。
「やぁだ、お姉様ったら本当に庭園がお好きなのねえ? でも庭師と結婚させられるより辺境伯に嫁ぐ方がマシでしょう? それに、辺境なんて呼ばれてるくらいだもの、お姉様が大好きな自然であふれてるでしょうね」
「その通りよ。土いじりしかできないあなたが、田舎とはいえ辺境伯夫人になれるのよ? 破格の支度金もいただけるのだし、この縁談に感謝してほしいわね」
「ああ、素晴らしい話だ。いいかイリス、田舎者なら騙されやすいだろうが、絶対に辺境伯に身代わりを気づかれるなよ?」
継母と父からも矢継ぎ早に言われる。
田舎田舎と馬鹿にしているが、破格の支度金を払えるなら相手はかなり有力な貴族で間違いない。
父たちにとっては素晴らしい話だろうが、そんな相手に嫁ぐ自分にとっては、命がけの身代わり婚である。
だがイリスには選択肢などない。
断ったところで折檻され、縁談を受けるまで閉じ込められるだけだ。
それならさっさと了承してしまった方がいい。
イリスは顔を上げ、はっきりと返事をした。
「……わかりました。『イザベラ』として、辺境伯へ嫁ぎます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます