第22話「呪装兵、夜の追撃」

 焚き火の火は低く、車輪の油はよく回っていた。

 夜は、街道の石くれに均一な影を与え、丘の稜線は薄い刃のように空を切り取っている。

 裂け目は、やはり消えていなかった。黒が黒のまま深さだけを増やし、その縁では光だけが滑って落ちていく。


 最初の影は、音のない足音で降りた。

 人の形をした黒鎧。継ぎ目から墨色の字が煙のように立ちのぼり、胸甲の奥で祈りの反転が金具を腐らせる。

 矢を番えたミーナが一拍早く放ち、乾いた音で中甲に刺さった。落ちない。矢羽は黒に喰われ、矢柄の木が灰に戻るみたいに消えた。


 「――呪装兵」

 セラが息を細くする。声は真ん中を外さないまま、温度だけが下がった。

 「王都禁軍の隠し持つ禁忌兵器。封の札が剥がれている」

 「数は?」

 「四、いや六」

 裂け目の縁から、さらに影が歩いて来る。落ちる前に歩いて、着地する前に斬る態度。


 「――来る」

 リナは短く言い、前に出た。短剣が夜の温度を二度上げ、一体目の喉に走る。

 刃が通り、音が遅れる。

 黒鎧は半歩退いた。リナは踏み込み、逆手で腋を掬う。

 勝てる――そう言い切るには、一瞬足りなかった。


 刃が溶けた。

 吸われたわけではない。祈りの逆位が金属を別の在庫に分類し直すみたいに、短剣の輪郭を消し、柄だけを残す。

 リナは瞬時に手を開き、素手で距離を外して転がる。

 「武器が溶ける!」

 「在庫を喰う――仕様か」

 俺の口の奥で、倉の言葉が勝手に並ぶ。

 《警告:敵性体に“在庫喰い(Inventory Eater)”の挙動》

 《接触/捕捉した物資の“タグ”を剥がし、基底資源として摂取》

 《摂取物に応じて機能を強化/鎧の縁を増設/祈文の層を追加》


 馬が嘶く。夜の低い地鳴り。幌の中、巻紙が鳴り、王命の封蝋が芯のように重い。

 俺は喉で呼吸を整え、空に指を立てる。


 《転送:即席鉄檻(1.8×1.8×2.1)×2/減速膜→対落下衝撃/地面固定具→自動打ち込み》

 《補助:投光筒×6→目を奪う》


 空が薄く撓む。

 檻が落ちる。減速膜が花のように開き、四角い影が呪装兵の上に降り、地面固定具が脚の周りの石に噛む。

 落下の衝撃で黒鎧の膝が一瞬折れる。夜の温度がまた二度上がった。


 ――喰った。

 呪装兵の胸甲が開き、檻の一本に黒が這い、鉄の色が変わる。

 縦格子の一本が、鎧の肩に吸い込まれ、肩当の縁に増設される。

 檻は捕縛具ではなく、補給になった。

 「喰って強くなる……在庫を喰う兵器」

 セラの声が低く落ちる。

 俺は檻の二台目を、空に戻した。倉の奥で、負荷の赤が瞬きを早める。


 《注意:転送負荷上昇/冷却必要/連続使用不可(短時間)》

 「限界が近い。四回、五回で手が震える」

 「止まると死ぬ」

 「止めない。――方針を変える」


 在庫を喰うなら、喰わせるものを選べばいい。

 良品ではない。腐った在庫だ。

 俺は倉の最奥に降りる。

 薄い砂の上に、古い棚がある。古語のラベルで「廃棄保留」。

 《タグ:使用期限切れの魔力薬/沈殿/分離/過反応》

 廃棄すべき理由がびっしりと書かれていて、今夜だけは美辞麗句に見えた。


 「喰わせる」

 「どうやって?」

 「補給の顔をする」

 呪装兵は在庫の**“タグ”に反応して摂取する。

 なら、“倉の在庫”らしいタグを太く襟元に貼る。

 俺は瓶の外に補助ラベルを巻き、導入剤を上澄に混ぜて吸収の立ち上がりを速**くする。


 《転送:魔力薬(期限切れ)→餌箱仕様×12》

 《仕様:瓶に甘味層を追加→舌で認識しやすい/導入剤で吸収促進/倉タグを強調》

 《投下:呪装兵の周辺→拾いやすい高さ》


 甘い匂いが黒の縁に乗る。

 呪装兵が反応し、拾い、甲冑の喉に押し入れた。

 在庫を喰う兵器は、在庫を拒めない。

 瓶が割れ、魔力が喉に入る。


 過剰反応は一瞬で沸き、鎧の祈文を逆立てる。

 黒の文字が白に焼け、煙が逆に吸い込まれる。

 ひとつの呪装兵が膨らみ、隣の呪装兵が反射で抱え、祈文が混じる。

 混じるは壊れる。

 互いの**“規約”が噛み合って砕け、肩と肩を押し付けたまま自壊**した。


 「いける!」

 ミーナが矢を二射、足の間に留める。進みたい足が遅れ、斬りたい手が掴み直す。

 リナは素手に短槌の柄だけを握り、跳んで一体の膝裏に蹴りを入れた。

 「足場!」

 俺は地面に薄い板を生やし、彼女の足の下で縮めて弾ませる。

 短槌の頭がなくても、柄は折れない。柄で首の角度を奪い、砂灰袋を喉に叩き込む。

 黒が咳をする――音のない咳だ。

 砂灰は呪を喰い、過反応の灰が内側から鎧を削る。


 一体が、走った。

 狙いは馬車。王命の封。

 リナが追う。

 足は速い。だが、夜の石は速い。

 黒の腕が横から入り、リナの脇に打ち込まれた。

 息が漏れ、膝が折れる。

 俺は喉が先に動いた。

 「――リナ!」

 転送の赤が点滅を速める。

 《警告:連続負荷》

 構うな。

 《転送:起立補助帯/圧迫帯/局所鎮痛》

 帯が空から落ち、減速膜がやわらかく受け、俺は走りながら受け取って彼女の胸を抱え、腰椎を外さない角度で起こす。

 「守れなくて――すまない」

 言ってから、胃の裏が熱くなった。言わずにいられなかった。

 リナは薄く笑い、帯の端を自分で引いた。

「あなたがいるから、私は立てる」

 言葉は短いのに、救命の距離を縮めた。

 彼女の体温が戻る。足が地を掴む。短槌の柄が握り直される。

 「行ける?」

 「行く」


 残った二の呪装兵が、餌箱の甘い匂いに引かれて瓶を掴み、喉の奥に割り入れた。

 過反応は遅延し、内から光のない光が広がる。

 甲冑の縁が離れ、祈文の層が互いに噛み合って砕け、膝が落ちる。

 砂灰の帯が上から滑り降り、黒を均す。

 裂け目は、僅かに薄くなった。

 まだ完全には閉じない。向こうに在庫の気配がない。

 在庫はこちらにある。倉はこちらにある。


 最後の一体は、走る方向を失った。

 人の形のまま、肩を振るわせ、膝を折り、立とうとして倒れた。

 祈りの裏の祈りが空に掃き出され、夜に混じる。

 呪装兵は兵ではない。制度化された失敗だ。

 倉の規約の影を歩かせれば、こうなる。


 俺は膝をつき、手を見た。

 震えは引かない。

 第四鍵の負荷は、機械ではなく俺に残る。

 転送は共有と別だが、人を使う。人の体に重く刻む。


 セラが水を差し出し、呆けた顔で裂け目を見ていた。

 「王都は――禁軍を外で動かした。封を剥がした誰かがいる。財務院か、技術庫か、そのどちらでもない第三の手か」

 「第三?」

 「――あなたの倉を、軍事システムとして記録している部署」

 彼女は低く告げる。銀の印がほんの少し震えた。

 「呪装兵は王都の禁軍。禁軍をぶつけた相手は――軍事。つまり、あなたの倉はもう王都の帳簿で“軍事システム”扱いになっている」


 息が短くなった。

 胸の奥で、鍵が一枚、回る音がした気がした。

 ――国家の心臓。

 勇者の言葉が、朝の刃の白で蘇る。

 「心臓にするなら、管が要る。管が要るなら、街の自由は締められる」

 俺は倉の奥で、古語の囁きをもう一度聴いた。

 ――在庫とは、信頼の形而上。

 ――継承は、鍵を渡すことではない。鍵が開く場所を守ること。


 馬車の軋みが戻り始める。

ミーナは矢を拾い、リナは帯を外し、短槌の柄を腰に差した。

 セラは印を拭き、巻紙を改める。王命は紙の上で重い。

 夜はまだ折れていない。

 だが、裂け目の縁は薄くなった。

 道は――続いている。


 「行こう」

 俺は立ち上がり、手の震えを帳簿にしまう仕草をしてみせた。

 「王に呼ばれても、在庫の所有者は街だ。街のために鍵を使う。軍事と書かれようと、運用の目的は変えない」

 リナが笑う。いつもより弱く、いつもより近い笑いだ。

 「あなたは、そうでなくちゃ」

 セラは頷き、「真ん中で証言するわ」と言った。

 「あなたの倉が軍じゃないこと。――街だということ」


 馬が動き、車輪が石の目地をまた拾う。

 夜の追撃は、呪装兵とともに遠のいていく。

 倉の奥で、第五鍵の輪郭が淡く灯った。

 継承――鍵を渡すのではなく、場所を守る流れを継ぐこと。

 首都は近い。

 檻かもしれない。

 けれど、中から鍵を盗むために、俺は鍵束を握り直した。


(つづく)

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