第11話
「エリアーナ、ここにお前の店を出すぞ」
バルトさんの太い指が、地図の中心を力強く叩いた。
フロンティアの町にある、一番の大通りを示している。
彼の言葉が、工房の空気をビリビリと震わせた。
一瞬だけ、私は意味が分からなかった。
お店を、出すというの。
私が、自分の店を。
この町で、一番良い場所に。
「え……?」
私の口から漏れたのは、そんな間の抜けた声だった。
あまりに突然の、そして壮大な提案だ。
私の思考は、まったく追いついていかない。
バルトさんは、呆然とする私を見て笑った。
その顔は、面白いいたずらを思いついた子供のようだ。
それでいて、確かな勝利を掴んだ将軍のようにも見えた。
「どうした、変な顔をして。聞こえなかったか」
彼は、ニカッと白い歯を見せる。
「だから、お前の店をここに構えるんだ。ポーションだけを売るのではない」
「お前が作る化粧品や日用品も、まとめて売る店だ」
「でも、そんなの無理です。お金もありませんし、私一人ではとても」
しどろもどろになる私に、バルトさんは呆れたように肩をすくめた。
「金の心配は、お前がするな。これは投資だと、前に言っただろう」
「俺が、いや冒険者ギルドがお前に出資する。お前の作る物には、それだけの価値があるからな」
その言葉は、私の胸を熱くさせる。
「この町を、根っこから変えるだけの力だ」
彼の言葉には、いつも力があった。
有無を言わせない説得力と、絶対的な信頼がこもっている。
追放された私を、誰も必要としなかった私を。
この町のギルドマスターが、ここまで評価してくれている。
その事実が、私の心を温かくした。
「それに、一人でやらせたりしない。店の準備も経営も、俺が全部手伝ってやる」
「お前は、これまで通りでいい。最高の品物を作ることだけに、集中すればいいんだ」
「バルトさん、本当に……」
感謝の言葉が、うまく出てこない。
「返事を聞かせろ、エリアーナ。やるのか、やらないのか」
彼は私の目を、まっすぐに見て問いかけた。
迷いは、もうなかった。
この人の期待に、私は応えたい。
私の力で、この町をもっと良くしたい。
聖女として果たせなかった役割を、今度こそこの場所で。
「やります、ぜひやらせてください」
私は、深く、深く頭を下げていた。
「おう、それでこそお前だ」
バルトさんは満足そうに頷き、私の背中を力強く叩いた。
少しよろけてしまったけど、手のひらの温かさが嬉しかった。
私の決意は、さらに固いものになった。
話は、そこから驚くほどの速さで進む。
バルトさんの行動力は、私の知る誰よりも素早かった。
そして、とても的確な判断力を持っている。
彼が地図で指した場所は、大通りに面した角地だった。
少し古びた、石造りの二階建ての建物だ。
以前は織物屋だったが、主人が亡くなり十年近く空き家らしい。
「場所は、ここが最高だ。人通りも多いし、角地だから目立つ」
「内装は古いが、基礎はしっかりしている。ゴードンに頼んで、お前好みに改装させよう」
翌日、私たちは早速その建物を訪れた。
中は埃っぽく、蜘蛛の巣が張っている場所もある。
それでも、窓が大きくて日当たりが良かった。
天井も高くて、開放的な空間だ。
一階を店舗にして、二階を私の住居と新しい工房にする。
今の工房より、何倍も広くて快適な場所になるだろう。
「すごい、こんなに素敵な場所が……」
私は、思わず声を漏らした。
「気に入ったか。さて、問題はここからだ」
「どんな店にしたいか、お前の頭の中の考えを、全部俺に話してみろ」
私たちは建物の真ん中に立ち、新しい店の姿を思い描いた。
私がまず考えたのは、店の名前だった。
「お店の名前は、聖女の恵みはどうでしょう」
少し、恥ずかしい気もした。
「聖女の恵み、か。少し、大げさな気もするがな」
「まあ、この町の奴らにとっては、お前はもう聖女様みたいなもんだ。よし、それでいこう」
次に、お店の基本方針を話し合った。
私が作りたいのは、商品をただ並べるだけの店じゃない。
訪れた人が、心から安らげるような癒やしの空間だ。
薬草やハーブの優しい香りに包まれ、日々の疲れを忘れられる場所にしたい。
「内装は、白と茶色を基本にしたいです。木の温もりが、感じられるような」
「壁には、ドライフラワーやハーブを飾りたいです」
「ほう、なかなか洒落ているじゃないか」
バルトさんは、感心したように頷いた。
「商品の棚には、ガラスの扉をつけたいです。一つ一つの商品が、宝石みたいに見えるように」
「お客様が、自由に試せるテスターコーナーも作りたいですね」
「なるほどな。女性は、そういうのが好きなのか」
バルトさんは、私の拙い説明を真剣に聞いてくれる。
そして時々、商売人としての鋭い視点で助言をくれた。
「レジは、入り口から一番奥がいい。客が店内を、ぐるりと見て回るようにするんだ」
「店の奥に、小さな相談スペースを作ったらどうだ。客の悩みを直接聞いて、その人に合った商品を提案するんだ。お前なら、それができるだろう」
「相談スペース、ですか。それは素敵です」
夢が、少しずつ具体的な形になっていく。
その過程が、楽しくて仕方がなかった。
この話は、すぐにザック先生の耳にも入った。
私が彼の小屋を訪ねて店の計画を話すと、彼は長い髭を揺らして目を細めた。
「ほう、自分の店を持つか。それは、素晴らしいことじゃな」
先生は、優しい声で言った。
「はい、それで先生にも、お店作りを手伝っていただきたいんです」
私は、頭を下げてお願いした。
「わしにか、わしは植物の研究しかできんぞ」
先生は、少し困ったように言った。
「その知識が、どうしても必要なんです。お店の一角に、先生が育てた珍しい薬草を飾る場所を作りたいんです」
「お客様に、商品の原材料がどんな植物か、実際に見てほしくて」
私の提案に、ザック先生の目がきらりと輝いた。
自分の研究の成果を、多くの人に見てもらえるのだ。
それは、彼にとっても嬉しいことに違いない。
「ふむ、面白いことを考えるのう。わしの庭でよければ、いくらでも協力しよう」
「店の飾り付けに使うなら、もっと見栄えのする、美しい薬草の育て方も教えてやろう」
「本当ですか、ありがとうございます」
ザック先生という、心強い味方もできた。
店の計画は、さらに具体性を増していく。
先生は、店の窓を飾るハーブの寄せ植えのアイデアまでくれた。
店内に飾る、植物標本の作り方も教えてくれるという。
噂は、風のように町を駆け巡った。
エリアーナが、ギルドの支援を受けて新しい店を出す。
その知らせは、特に町の女性たちを熱狂させた。
「まあ、エリアーナさんのお店ですって」
「絶対に行くわ、開店はいつなのかしら」
ミーナさんとアンナさんは、自分のことのように喜んでくれた。
店の準備を手伝わせてほしいと、毎日のように工房へやってくる。
「ねえエリアーナさん、お店の制服は考えないの。お揃いのエプロンとか、絶対可愛いと思う」
「お客様に、ハーブティーをお出しするのはどうかしら。お待ちの間に、リラックスしてもらえると思うの」
二人のアイデアは、女性ならではの視点でいっぱいだった。
私は、彼女たちに店の副店長と販売チーフをお願いした。
もちろん、二人とも喜んで引き受けてくれた。
店の改装工事は、ドワーフのゴードンさんが担当してくれる。
頑固だけど腕は一流の彼は、私の描いた拙い絵を見た。
そして、ふんと鼻を鳴らした。
「なるほどな。女子供が好みそうな、ひらひらした店にしたいわけか」
「まあいいだろう。どうせ作るなら、このフロンティアで一番美しい店にしてやるぜ」
彼はぶっきらぼうにそう言うと、巨大な斧を担いだ。
仲間たちと、威勢よく現場に入っていく。
それから毎日、店の前を通るたびに槌の音が聞こえた。
建物は白い幕で覆われ、その中で私の夢が形作られていく。
私は私で、店の開店に向けて新商品の開発に追われた。
工房は、一日中ハーブと聖水の香りで満たされている。
ポーション三種に加え、化粧品も充実させる必要があった。
保湿クリームは、肌質に合わせて二種類を用意する。
さらに、ザック先生が見つけた虹色キノコの胞子を使う。
肌の再生能力を高める、高級クリームも試作していた。
これは、店の目玉商品になるはずだ。
虫除けスプレー、リップクリーム、ヘアオイルも作る。
お客様への、ハーブティーのブレンドも考えなければ。
リラックス効果のある、カモミールブレンド。
気分をすっきりさせる、ペパーミントブレンド。
美容に良い、ローズヒップブレンド。
考えることは、山のようにたくさんあった。
でも、不思議と疲れは感じない。
むしろ、毎日が楽しくて充実していた。
肩の上のプルンも、私の気持ちが分かるらしい。
いつも以上に、元気にぷるぷると体を揺らしている。
「プルン、大忙しだけど頑張ろうね。私たちの新しいお城が、もうすぐできるんだから」
私の言葉に、プルンは嬉しそうにぽよんと高く跳ねた。
ある日の午後、私はザック先生の小屋にいた。
新しいハーブの、配合について相談していた。
先生が見つけた、月雫草という植物を使う。
夜露に濡れると、ほのかに甘い香りを放つのだ。
これを、保湿クリームに加えられないかと考えた。
「うむ、月雫草の香りは心を落ち着かせる。それに、粘液質には高い保湿効果も認められておる」
「エリアーナよ、素晴らしい着眼点じゃな」
「本当ですか、では早速試作品を」
私が立ち上がろうとした、その時だった。
ザック先生が、ふと真剣な顔つきになった。
そして、私を制した。
「エリアーナよ、一つ忠告しておかねばならん」
「忠告、ですか?」
彼のただならぬ雰囲気に、私はゴクリと唾をのんだ。
一体、何の話だろうか。
「お主の作る品物は、素晴らしいものじゃ。じゃがそれは時に、人の嫉妬や欲望を掻き立てる」
「お主の店の噂は、もう町の外まで広まっておる。いずれ、王都の大きな商会や貴族の耳にも入るやもしれん」
王都、その言葉に私の心臓が小さく跳ねた。
アルフォンス殿下と、リリアの顔が脳裏をよぎる。
「そうなれば連中は、お主の技術や権利を力ずくで奪いに来るやもしれん」
「お主は、その覚悟をしておかねばならんぞ」
ザック先生の鋭い目が、私をまっすぐに見据えていた。
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