第24話

城門の外は、まさに地獄のような光景だった。

アシュトン様が率いる部隊は、敵の大群を相手に信じられないほどの戦いを見せていた。

アシュトン様の剣が光るたび、数体の魔物が同時に薙ぎ払われる。

ダリウスさんの戦斧は、ゴーレムの硬い体さえも叩き割っていた。

ギデオンさんは、片腕とは思えぬ巧みな指揮で部隊の損害を最小限にしていた。


彼らは、確かに強かった。

だが、敵の数はあまりにも多すぎた。

倒しても、倒しても次から次へと新たな敵が湧いてくる。

まるで、無限に続く悪夢のようだった。

特に、後ろから攻撃してくる魔術師たちが非常に厄介だった。

彼らが放つ呪いの魔法が、アシュトン様たちの体力を着実に奪っていく。

城壁の上から見ていても、彼らの疲れがはっきりと分かった。

このままでは、いずれ力尽きてしまう。


「レオさん、弓兵部隊に魔術師たちを集中して狙わせてください。」

「あの者たちを放っておけば、アシュトン様たちが危ない。」

私の指示に、レオさんがはっとしたように頷いた。


「はい、ですが距離が遠すぎます。」

「こちらの矢が届く前に、敵の魔法の壁に阻まれてしまう。」

「何か、彼らの注意をこちらに引きつける方法はないでしょうか。」

私は、必死に考えた。

魔術師たちの注意を、アシュトン様たちから逸らす何か良い方法を。

その時、私の頭に一つの考えが閃いた。

それは、あまりにも危険で無謀な作戦だった。

だが、今の私達に残された唯一の希望かもしれない。


私は、城壁を駆け下りて混乱が続く広間へと向かった。

私の狙いは、ただ一人だ。

隅の方で、未だに恐怖に震えている兄のアルフォンスだった。

彼の周りを守っていた近衛騎士たちは、流れ矢に怯えて物陰に隠れている。

今なら、彼と直接話せる。


私は、彼の前に静かに立った。

彼は、私の存在に気づくと怯えた目で私を見上げた。


「お兄様、今この城がどういう状況にあるかお分かりですね。」

「し、知るか。俺には、関係ないことだ。」

彼は、まだ現実から目を背けようとしていた。

私は、そんな彼に厳しい言葉を投げかける。


「いいえ、大ありですわ。この戦いは、お兄様の弱さが招いたことなのですから。」

「な、なんだと。」

「あなたは、弟君への嫉妬と父君に認められたい気持ちから危険な力に手を出した。」

「そして、その結果多くの人々を危険な目に遭わせているのです。」

「その罪から、目を背けることは許されません。」


私の言葉は、鋭い刃のように彼の心をえぐった。

彼は、ぐっと言葉に詰まり悔しそうに顔を歪める。

私は、続けて言った。


「ですが、まだ間に合いますわ。」

「あなた自身の過ちを、あなた自身の手で償う機会がまだ残されています。」

「本当の強さとは何かを、証明する時です。」

私は、彼の手を取り無理やり立たせた。

そして、彼を連れて再び城壁の上へと向かう。


「リリアーナ様、何を。」

レオさんが、驚いて私達の元へ駆け寄ってきた。

「レオさん、アルフォンス王子を城壁の最も目立つ場所へ。」

「そして、王家の旗を彼のそばに掲げるのです。」

「ですが、それでは王子が敵の格好の的になってしまいます。」

「ええ、それこそが狙いですわ。」


私の意図を察したレオさんは、一瞬ためらった。

だが、私の真剣な瞳を見て覚悟を決めたように頷いた。

アルフォンスは、恐怖で必死に抵抗した。


「やめろ、俺を殺す気か。」

「死にはしませんわ、あなたは王家の王子なのですから。」

「あなたを殺せば、敵はエルミート王国全てを敵に回すことになります。」

「彼らも、それほど愚かではないはずです。」

「ですが、あなたを人質に取るために必ずこちらの出方を探ってくるでしょう。」

私は、アルフォンスを囮に使うことにしたのだ。

魔術師たちの注意を、彼に集中させるための非情な作戦だった。


王家の旗が、城壁に高く掲げられた。

その旗の下で、アルフォンスが兵士たちに無理やり立たされている。

案の定、敵の動きがぴたりと止まった。

魔術師たちが、顔を見合わせて何か話し合っている。

彼らにとっても、王家の王子が姿を現したことは予想外だったのだろう。


その一瞬の隙を、私は見逃さなかった。

「今です、レオさん。弓兵部隊、一斉射撃。」

「目標、敵魔術師部隊。」

レオさんの号令と共に、無数の矢が空を覆った。

矢は、美しい線を描きながら油断していた魔術師たちへと降り注ぐ。

数人の魔術師が、悲鳴を上げて地面に倒れた。

敵の魔法の壁が、一瞬大きく揺らぐ。


「やった。」

だが、喜びも束の間だった。

敵の指揮官らしい男が、こちらを睨みつけ杖を掲げた。

彼の杖の先から、禍々しい黒い光が放たれる。

その光は、一直線に城壁の上のアルフォンスへと向かってきた。

敵は、人質にするよりも王子を消し去ることを選んだのだ。


「危ない。」

誰もがそう思った瞬間、アルフォンスの前に一人の騎士が飛び出した。

彼を護衛していた、近衛騎士団の団長だった。

彼は、最後まで自分の主君を守るという騎士の誇りを捨てなかったのだ。

黒い光が、彼の体を容赦なく貫く。

騎士団長は、一言も発することなく崩れ落ちた。


その光景を見て、アルフォンスの顔が恐怖と驚きで凍りついた。

自分を守るために、命を落とした忠実な部下。

その死が、彼の心の奥底で固く凍てついていた何かをついに打ち砕いた。

「ああ、あああ。」

彼は、獣のような悲痛な叫びを上げた。

そして、自分の指にはめられたあの蛇の紋章の指輪をもう片方の手で掴んだ。


「お前のせいだ、お前さえいなければ。」

その言葉は、もはや私に向けられたものではなかった。

彼を、ずっと操り続けてきた呪いの指輪に対する魂の叫びだった。

指輪が、黒い煙を上げて彼の指を焼く。

だが、彼は決して手を離さなかった。

すさまじい痛みに耐えながら、彼は自らの意志で指輪を指から引き抜いたのだ。


指輪が、甲高い音を立てて城壁の石畳に落ちる。

その瞬間、アルフォンスの体から黒い靄のようなものが消えていった。

彼は、呪いから完全に解放されたのだ。

だが、その代償は大きかった。

彼は、全ての力を使い果たしてその場に崩れ落ちる。

意識を失う直前、彼は私に向かってか細い声で呟いた。

「すま、なかった。」

それは、彼が生まれて初めて口にした心からの謝罪の言葉だった。


アルフォンスが呪いから解放されたことで、戦場の空気は再び大きく変化した。

彼に操られていた、あの武装集団の動きが明らかに乱れ始めたのだ。

彼らもまた、アルフォンスを通して間接的に心を支配されていたのかもしれない。

敵の陣形に、決定的な隙が生まれる。


城門の外で戦っていたアシュトン様が、その絶好の機会を見逃すはずがなかった。

「今だ、総攻撃をかけろ。」

「敵の指揮官を討ち取り、この戦いを終わらせるぞ。」

彼の雷のような号令が、戦場に響き渡る。

それに合わせるように、騎士団は最後の力を振り絞って反撃に転じた。


私も、城壁の上から兵士たちの心を励ます言葉を叫び続けた。

「あと少しです、希望を捨てないで。」

「私達の故郷を、この手で守り抜くのです。」

戦いの流れは、完全に逆転した。

追い詰められた魔術師たちは、ついに撤退を開始する。

残された魔物の群れも、指揮官を失い森の奥へと逃げていった。


長い、長い戦いがようやく終わったのだ。

アシュトン様たちは、深追いはしなかった。

彼らは、傷だらけの体を引きずりながら城門の内側へと帰ってくる。

城内に残っていた民衆から、割れんばかりの歓声が上がった。

私達は、またしてもこの城を守り抜いたのだ。


だが、その勝利の代償はあまりにも大きかった。

多くの騎士が、その命を落としあるいは深い傷を負った。

そして、アシュトン様の体もまた限界に達していた。

彼は、私の目の前までたどり着くと安心したように小さく微笑んだ。

「約束、守ったぞ。」

その言葉を最後に、彼の体は糸が切れた人形のようにゆっくりと前へ傾いた。


「アシュトン様。」

私は、崩れ落ちる彼の体を必死に受け止める。

彼の体は、ひどく冷たくなっていた。

鎧の隙間から、おびただしい量の血が流れ出している。

私の腕の中で、彼の意識が急速に遠のいていくのが分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る