第22話

アルフォンス王子の一行が城に来てから、数日が過ぎた。

城の中の空気は、一日ごとに悪くなっていく。

近衛騎士たちは、辺境の全てを見下していた。

訓練中の騎士団をあざ笑い、使用人たちにできないような難しいことを言いつける。

その乱暴なふるまいは、とどまることを知らなかった。


「おい、そこの片腕。かざりにしては、ずいぶんとじゃまだな」

ある日の昼下がり、訓練場で近衛騎士の一人がギデオンさんにそうからんだ。

その言葉に、辺境の兵士たちが一斉に怒りをあらわにする。

だが、ギデオンさんは落ち着いていた。


「これは、かざりではありません。この地を守るために戦った、ほこりでございます」

彼は、少しも動じずに、静かに言い返した。

その堂々とした態度に、近衛騎士は一瞬言葉を失う。

だが、すぐに顔を真っ赤にして、剣のえに手をかけた。


「貴様、俺に口答えをする気か」

今にももめ事が起きそうな様子を止めたのは、私の声だった。


「皆様、そこまでにしてくださいな」

私は、お茶の入ったおぼんを手に、おだやかにほほえみながら彼らの間に入った。

「王都の騎士様も、長い旅でお疲れなのでしょう」

「よろしければ、冷たいお茶でもいかがですか」

私の急な登場に、その場にいた誰もがおどろきの表情をうかべる。

特に、近衛騎士は、魔力のない王女である私を、完全に見下していた。


「なんだ、役立たずの姫か。お前は引っ込んでいろ」

「まあ、そんなこわい顔をなさらないでくださいな」

私は、わざと困ったような顔をして見せる。

「兄であるアルフォンス殿下は、皆様のことを、エルミート王国がほこる最高の騎士だとおっしゃっていましたわ」

「そんな皆様が、このような場所で、自分たちのための争いをなさるはずがありませんものね」

私は、アルフォンスの名前を出し、彼らのほこりをくすぐった。

そして、彼らの行動が、王子である兄の顔にどろをぬることになると、それとなく言ったのだ。


近衛騎士は、ぐっと言葉につまった。

私をばかにすることはできても、王子にさからうことはできない。

彼は、くやしそうに顔をゆがめると、はき捨てるように言った。

「ちっ、覚えていろよ」

そう言って、彼は仲間たちと共にその場を去っていった。


残された辺境の兵士たちが、ほっとしたため息をもらす。

ギデオンさんが、私に向かって深く頭を下げた。


「リリアーナ様、申し訳ありません。そして、ありがとうございます」

「いいえ。皆さんが、がまんしてくださったおかげです」

私は、兵士たち一人ひとりの顔を見ながら言った。

「あなた方の忍耐が、今この辺境の領地を守っているのです。私は、そのことをほこりに思います」

私の言葉に、兵士たちの顔からくやしさが消え、静かなほこりがうかんでくる。

彼らは、アサーションの訓練で学んだことを、実際に行ってくれていたのだ。

自分の感情に流されず、全体のことを考えて動く。

それは、簡単なことではなかったはずだ。


その日の午後、私は相談室で、兵士たちの話を聞いていた。

やはり、近衛騎士たちに対する不満が、ほとんどだった。

私は、彼らの怒りや不満を、ただひたすらに受け止める。

そして、彼らのがまんを、心からほめたたえた。

それだけで、彼らの心は、少しだけ軽くなるようだった。


一方、エマの情報を集める活動も、少しずつ成果を上げていた。

彼女は、もともと持っている人の良さで、近衛騎士たちにつく侍女たちとすっかり仲良くなっていたのだ。

彼女たちがこぼす文句やうわさ話の中から、エマは大切な情報を拾い上げてくれていた。


その夜、エマが私の部屋へ、報告にやってきた。

その顔は、少しわくわくしているようだった。


「リリアーナ様、分かりました」

「アルフォンス様が、何をそんなに焦っているのか」

「まあ、教えてちょうだい」

「はい。どうやら王都では、第二王子様が、急に力をつけてきているらしいのです」

「第二王子は、アルフォンス様と違って、魔力のあつかいが非常にうまく、騎士団からの信頼もあついとか」

「国王陛下も、最近では、アルフォンス様よりも、第二王子様の方を、高く見ている、と」


第二王子。

私には、ほとんど記憶のない、お母さんが違う弟だ。

彼が、アルフォンスの地位をおびやかしているというのか。


「それで、アルフォンス様は、自分の力を示すために、何か大きなてがらを立てる必要があったのです」

「今回の命令は、そのためのものだったのかもしれません」

「辺境伯騎士団という、力のある兵力を、自分の手駒として王都に連れ帰る」

「そうすれば、第二王子側の貴族たちを、だまらせることができる、と」

エマの報告は、ばらばらだったものが、一つにつながるような感覚を私にもたらした。

アルフォンスの焦りの正体は、弟への劣等感と、自分の地位への不安だったのだ。


「ありがとう、エマ。とても、大事な情報よ」

私は、彼女の働きを心からねぎらった。

彼女は、うれしそうに少し笑った。


だが、まだなぞは残っている。

アルフォンスと、あの黒いローブの魔術師たちとの関係だ。

ただのてがらかせぎのために、あのような危険な者たちと手を組むだろうか。

あるいは、彼もまた、魔術師たちに利用されているだけなのだろうか。


次の日、私は、決心してアルフォンスの所へ行った。

彼は、客室で一人、良いワインを飲んでいる。

その表情は、どこか機嫌が悪そうだった。


「あら、お兄様。お一人ですの」

私が部屋に入ると、彼は顔をしかめた。

「なんだ、リリアーナか。何の用だ」

「いいえ、特に用はありませんわ。ただ、お兄様がひまをしているのではないかと思いまして」

私は、何も知らない妹を演じながら、彼の隣のいすにこしをおろした。


「王都は、今、大変な時なのでしょう」

「第二王子様が、ご活躍だと聞いておりますわ」

私の言葉に、アルフォンスの手がぴたりと止まった。

彼の顔から、血の気が引いていくのが分かる。


「誰から、それを聞いた」

「まあ、城の侍女たちが、うわさしておりましたのよ」

「お兄様にとっては、自慢の弟君でいらっしゃいますものね」

私は、わざとそう言ってみせた。

その言葉は、彼のほこりを、最も深くきずつけたようだ。

彼は、ワイングラスを、テーブルにたたきつけた。


「あんな奴が、俺の弟だと。ふざけるな」

「あいつは、俺から全てをうばおうとしている、にくらしい存在だ」

彼は、にくしみに顔をゆがめている。

私は、さらに言葉を続けた。


「お兄様ほどの、すばらしい方が、どうしてそんなに思いなやむのですか」

「お兄様には、王太子という、しっかりとした地位がおありではないですか」

「それに、お兄様には、王家の誰も知らないような、特別な『力』があるのでしょう」

私は、相手の反応を見るために、わざと話を向けた。

それは、危険なかけだった。


アルフォンスは、はっとしたように私を見た。

その目に、心がゆれ動いている様子がうかんでいる。

「特別な、力だと。お前に、何が分かる」

「ええ、私には何も。ですが、お兄様なら、きっと、普通の人間にはできないような、奇跡だって起こせるはずですわ」

私は、彼をもちあげる言葉を並べた。

自分に自信がない人間は、自分を認めてくれる存在に、弱い。


私の言葉は、彼の心のすきまに、うまく入りこんだようだった。

彼は、ふふん、と鼻を鳴らす。

そして、勝ったような笑みをうかべた。

「まあ、お前には分からんだろうな」

「俺には、昔の賢者から受けついだ、特別な知識と協力者がいるのだ」

「その力を使えば、あのいまいましい弟など、すぐにでもだまらせることができる」

「この辺境の騎士団は、そのための、ほんの小手しらべにすぎん」


昔の賢者、協力者。

間違いない、彼は、黒いローブの魔術師たちのことを指している。

彼は、彼らからあたえられた力を、自分のものだと信じこんでいるのだ。

完全に、利用されている。

私は、はっきりとそう分かった。


「すばらしいですわ、お兄様」

私は、本心ではないほめ言葉を送りながら、彼の様子を注意深く見た。

彼が身につけている、豪華な指輪の一つに、目がとまる。

黒い石の、大きな指輪だ。

その石の表面に、何か模様がほられている。

それは、蛇が、自分のしっぽをかんでいるようなデザインだった。

あのさいだんにきざまれていた、不気味なもんしょうと、全く同じものだ。


私は、息をのんだ。

全てのなぞが、つながった。

アルフォンスは、事件を裏で操っている人間ではない。

彼もまた、あの魔術師たちにあやつられた、かわいそうな駒の一つでしかなかったのだ。


私は、落ち着いたふりをしながら、彼の部屋を出た。

ろうかに出たしゅんかん、全身の力が抜けていくのを感じる。

すぐに、アシュトン様の仕事部屋へと向かった。

彼に、全てを報告しなければならない。

私達の、本当の敵の姿が、ようやく見えてきたのだから。


仕事部屋のドアを開けると、アシュトン様が、ギデオンさんと何かを話しこんでいた。

私のいつもと違う大変そうな様子に気づき、二人は話を止める。

私は、息をととのえながら、アルフォンスとの会話と、指輪のことを全て話した。

私の報告を聞き終えたアシュトン様は、静かに目を閉じた。

そして、ゆっくりと口を開く。


「そうか。やはり、そうだったか」

彼の声は、怒りよりも、むしろあわれみを含んでいるようだった。

「アルフォンス王子は、敵に利用されている、と」

「はい。おそらくは、あの指輪を通して、心をあやつられている可能性もあります」

「彼自身は、自分の考えで行動しているつもりなのでしょうが」


「なんと、おろかな」

ギデオンさんが、くやしそうにはき捨てた。

「では、我々の本当の敵は、王都ではなく、あの魔術師たちということになりますな」

「ああ、そうだ。そして、奴らは、また必ずこの地をねらってくるだろう」

「アルフォンス王子という、都合のいい手駒を手に入れたのだからな」

アシュトン様の言葉に、部屋の空気が再びはりつめる。


「ならば、どうしますか」

「アルフォンス王子を、とらえますか」

「いや、それはまずいやり方だ」

アシュトン様は、首を横に振った。

「彼をとらえれば、王都との全面戦争はさけられない」

「それに、彼をあやつっている黒幕を、しげきすることにもなる」

「今は、泳がせておくしかない。そして、奴らが次の一手を打ってくるのを待つ」

「その間に、こちらも、とっておきの方法を用意する」

彼はそう言うと、私の方に向き直った。


「リリアーナ。君にしか、頼めないことがある」

彼の真剣なまなざしに、私はごくりとつばを飲みこんだ。

「君の力で、アルフォンスを、呪いから解き放つことはできるか」

「あの指輪から、彼を切りはなすんだ」

それは、あまりにもむずかしく、そして危険な役目だった。

だが、この状況をうちやぶれるたった一つの方法であることも、私には分かっていた。

私がうなずくよりも先に、仕事部屋の外から、さわがしい警報の音が鳴り響いた。

見張りの兵士が、何かをさけんでいる。

「敵の攻撃だ、敵の攻撃だ」

「森の方から、大きな部隊が、こちらへ向かってくる」

私達は、顔を見合わせた。

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